都市とりんご
突然の信号音。威嚇するような音を立て、自動改札の扉が閉まる。鳴り続ける音。後ろからの視線が突き刺さる。どうやらぼうっとしていたらしい。一歩後ろに退き、列から離れた。ちらと後ろを見る。ビジネスマン風の男と目が合った。すぐにそらす。そんなに恨みがましい目をしないでくれ。こっちは徹夜だったんだ。
押し出されるように駅を出る。陽が、少しばかり眩しすぎた。うつむき加減で歩きだす。
人の波に流されるように歩くうちに、バス停に着いた。列の一番後ろに並ぶ。内ポケットから携帯電話をとりだし、時間を確認する。八時三十七分。まだ、少し時間がある。
本を取り出そうとしたとき、向かいにあるベンチにりんごが置いてあることに気付いた。一口、齧られている。まるでオブジェのようだ。それを横目で見ながら、本を読み始める。
『人生を成功に導くには、まず自分の立場を決めることです。そして自分で考えること。自分自身のスタンスを確立し、物事に優先順位を付ければ困難な状況に出会っても迷うことはありません。たとえば、出世、家族、友人、趣味。あなたはこれらの言葉にどんなイメージを持っていますか。まずはそれを確認するところから始めてみましょう』
ふと、りんごに目が行く。しゃくしゃくとした歯ざわり。爽やかな甘酸っぱさ。そんなことを思い浮かべる。
『どうでしたか?実はそれらのイメージは、社会によって影響された<記号>であることがままあります。さきほどのイメージは本当に自分自身の感性に忠実なものだったでしょうか。出世は他人を蹴落とすとか、家族は守らねばならない大事なものなどのステロタイプではなかったでしょうか。またはそれをひっくりかえした、言わば逆ステロタイプのようなものだったのでは?はじめはこれらのことを直視するところから始めましょう』
活字の意味が浮かばずに頭の中を上滑りする。書いてあることがわからない。りんごを見る。赤いりんご。あのりんごは、とても美味そうだ。
信号音。バスが到着したようだ。あわてて財布を取り出す。列の先頭から順番に、バスのなかへ吸い込まれていく。私もバスに乗り込む。
「バスが発車します。扉に気を付けて――」
そのとき、りんごが見えた。あの、美味そうなりんご。私はバスから飛び出していた。
りんごを手に取る。美しい赤色。つるりとした感触。齧りかけの部分から覗く、瑞々しい果肉。我慢できなくなり、思い切って口に運ぶ。
ごわごわした食感。強すぎる酸味。果肉が歯に絡みつく。おもわず、吐き出してしまった。手にあるりんごを見る。赤味が強すぎる。果肉からは汁がにじみ出ている。これは、このりんごは腐っている。どうしてこんなものを美味そうだなんて思ったのだろう。
顔を上げるとバスはもう、見えなくなっていた。食べかけのりんごを捨て、タクシー乗り場を探そうと辺りを見回す。陽の光が眩しかった。
習作掌編集 明丸 丹一 @sakusaku3kaku
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