第17話

 自分でも信じられない。夢中になって相手や自分を傷つけるような言葉を自分で意図しないうちに口走ることはあれど、あんなふうに目の前が開けるような言葉が飛び出したのは初めてだった。

「あいつ、昔から夢中になると周りの情報を全部遮断するから」

 円城寺さんの家に向かう道すがら有馬さんが言って、私はそうなんですかと口にした。では無視されていたわけではないのか。玄関の戸を開けると、円城寺さんの下駄がなかった。それを見た有馬さんは軽く舌打ちをする。

「いないのか。あいつ、もしかして俺が来るって時を見計らって外出してるんじゃないだろうな」

「まさか……」

 虫呼ばわりはしてたけど、それだけ仲が良いということだと思うし、それだけはっきり相手にものが言えるのなら避ける必要はないだろう。共に過ごした時間が長いがゆえのことなのだろうが、少し羨ましく感じる。

「円城寺さんって、有馬さんには結構はっきり思ってることを言うんじゃないでしょうか。だから、本当に有馬さんが邪魔だとか会いたくないと思うならこんな…… わざと外出したりなんかしないんじゃないかと―― ごめんなさい」

「なにが」

 突然謝罪の言葉を口にした私に有馬さんが尋ねた。私は口元を押さえながら正直に言う。

「なんか、わかったような口をきいてしまったから」

「…… べつに、その通りだと思うけど。あいつわりと気を許した相手には雑なんだ」

 有馬さんは話しながら慣れた様子で家の廊下を進んだ。たぶん私がここへ来る前から何度も円城寺さんに会いに来ているのだろう。当たり前のように居間に入って腰を下ろした有馬さんに、私はお茶を淹れることにする。伯母さまに一時的に引き取られている間に教えてもらったことがようやく役に立ちそうだ。

 私がお茶を淹れて戻ると、有馬さんは縁側に腰かけてぼんやりと庭を見つめていた。なにか考え事をしているようにも見える。

「お茶、お持ちしました」

 声をかけるが、まるで昨日や今朝の円城寺さんみたいに反応がない。縁側に茶器を置いても気づかないのか庭を眺めたまま微動だにしない。

「有馬さん?」

 さすがに不安になって名前を呼ぶと有馬さんはぱっと弾かれたように顔を上げる。

「―― さく……」

 なにかを口にしかけたその唇はしかし、私の姿をとらえると勢いを失くしたように閉じ、それから小さくあんたか、と呟いた。

「あの、お茶を」

「ああ、有難う」

 有馬さんは私に礼を言ってから湯呑みに口をつけた。

 円城寺さんはどこへ言ったんだろう。帰ってこなかったら有馬さんに無駄足を運ばせてしまったことになる。

「これ、あんたが淹れたのか」

「え、はい」

「うまいな」

 飾らない口調で褒めてもらうと、お世辞かと疑う余地がないので気持ちがいい。無愛想だけど、きっと誠実な人なんだろうと思う。円城寺さんと同じだな、と思いつつ私は答える。

「伯母に厳しく仕込まれましたから」

 有馬さんはいい伯母上だ、と伯母さまにもひとこと称賛の言葉を口にすると、今度はおかしそうに唇の端を持ち上げた。

「和彦は全然駄目なんだよな。まあ、今まで妹に淹れてもらってたらしいから仕方ないのかもしんないけど」

 そういえば、円城寺さんと妹さんと、そして有馬さんの三人が幼馴染なのだと前に聞いた。私には兄弟はいないし、何年も一緒にいる幼馴染もいないからいまいちわからないけど、幼い頃から今までの自分を知る同年代の人間がいるという感覚はいったいどういうものなのだろうか。

「…… 俺のせいなんだよ。あの子が死んだのは」

 ぽつりと呟かれた言葉の意味が、最初はわからなかった。返事ができずに茫然としている私の耳に、玄関の戸が開く音が聞こえてくる。

「あっ、お、おかえりなさい」

「ただいま帰りました。…… 薫子さん、学校は――」

 慌てて立ち上がり廊下で出迎えた私に律儀に挨拶しながら居間に目を向けた円城寺さんは、縁側に座る有馬さんの姿を認めると言葉を止めた。

「邪魔してる」

「…… ああ」

 どちらも無表情で、ともすれば怒っているようにも見える顔同士で交わされるやりとりは、なんだか喧嘩をしているようにも見える。先日のべつに喧嘩してるわけじゃないから、という郡司さんの言葉を思い出すがそれでもやっぱりなんとなく仲が悪いというか、どこか棘のようなものを感じる。

「円城寺さん、お茶飲まれますか?」

「あ、いいですよ、自分で……」

「いえ、さっきお湯を沸かしたところだったので…… あと私も飲みたいので、ついでに」

 どちらにせよ自分の場違い感が否めなくて、居心地の悪さを誤魔化すために私は台所へと引っ込んだ。お茶を淹れながら私ははっとする。そもそも、有馬さんの家で絵を描く許可を貰うためについてきてもらったのに、当事者の私がその場にいなくては始まらないではないか。

 有馬さん、少しでも話を通しておいてくれてるかなと思いつつ二人分のお茶を持って縁側に戻る。

 ふたりは人二人半分くらいの微妙な距離を置いて縁側に座って、ただじっと黙っている。友人同士で並んで座って、ふたりとも仏頂面で黙ってるなんて、そんなことってある? やっぱり仲が悪いんじゃないだろうか。

 そろそろと円城寺さんのそばに茶器を差し出すと彼はすぐに気づいて礼を言ってくれた。円城寺さんが口をつけたのを見てから私も自分のぶんに口をつける。…… 少し濃いかもしれない。さっきの有馬さんのと同じように淹れたつもりだったけど―― いやそもそも有馬さんのも本当はおいしくなんてなくて、お世辞を言ってくれただけなのかも……。

「―― そうなんですか?」

 ぐるぐると考えている最中に突然疑問形で投げかけられ、私は間抜けにも口を半開きにして固まってしまう。

「薫子さん、絵に興味があるんですか」

「あっ、いや、はい、えーっと」

 続けて尋ねられてつい肯定か否定かよくわからない返事をしてしまった。いまだ鈍い回転しかしない頭を歯がゆく思いつつ言葉を続ける。

「綾乃ちゃんが、私の絵を見たいと言ってくれたので…… せめて一枚くらいはと思って」

「綾乃さんというのは、例の友達の?」

「そうです」

 へえ、と円城寺さんはやはりどこか無関心そうな相槌を打ち、私の淹れたお茶を啜った。

「描きたい絵の大きさとかにもよるけど薫子さん、しばらくうちに通うことになるけどいいか? 道具貸してもいいんだけど、うちでやる方が環境も整ってるから楽だろうし」

 あまりに反応が薄いことに不安になったのか、有馬さんがおそるおそるといった様子で確認する。しかし、円城寺さんは有馬さんがなぜそんなことを聞くのかわからないらしくきょとんとして首を傾げる。

「薫子さんがよければ、俺はいいけど」

 この前郡司さんたちと食事したときも思ったけど、円城寺さんは有馬さんとかの前だと自分のことを「俺」って言うんだなあ、と場違いなことを呑気に考える私の横で有馬さんが焦れたような声を出す。

「いや、自分とこの嫁が別の男の家に通うのって外聞悪いだろ。提案した俺が言うのもなんだけど」

「今更落ちるような評判なんてないし、そもそも結婚したこともあまり周りには言ってないからべつにいい」

 そうなのだ。私のことはついこの前まで有馬さんすら知らなくて、ていうかまず、こんな歳の差で夫婦に見えるかも謎だ。八重さんみたいに大人っぽかったり、綾乃ちゃんみたいに美人ならお似合いだったのかもしれないけど――。そう思うと少し複雑だ。

「…… 自分の妻が、友人とはいえ自分以外の男といられるのは嫌じゃないか?」

 なんだか引っかかる言い回しのような気がして円城寺さんを見ると、同じようにこちらを見ていた彼と目が合った。

「―― 薫子さんさえ嫌でなければ」

「嫌なわけ、ないです」

 嫌だと思う意味がわからない。そう思って言えば、有馬さんは深いため息を吐いて立ち上がった。

「おまえらは俺を信頼しすぎだ」

 帰る、と口にして有馬さんは帰っていった。

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