第14話

 家に戻ると、円城寺さんと有馬さん、郡司さんの三人が玄関で待っていた。

「おかえり」

 郡司さんが開口一番そう言った。

「薫子ちゃん、お腹空いてる? 今みんなで昼飯食いに行こうかって話してたんだけど」

 みんなってこの場にいる全員のことだろうか。郡司さんの言い方だと、私も含めて「みんな」と言っているように聞こえるが、今までそんなことはなかったために脳の処理が追いつかない。

「あんまりお腹空いてないか」

「―― いえっ、あの」

 郡司さんの言葉に、私は慌てて声を上げる。

「あの…… 行きたいです。お腹、空いてます」

「そう?」

 よかった、と微笑まれて五人で歩くことになる。…… 円城寺さん、さっきから喋らないけど怒ってるのかな。わざわざ学校の近くまで送ってくれたのに、学校へは行かずに、それもふらついて帰ってきたら、怒られて当然だと思う。ただでさえ今までしでかしたことへの蓄積があるだろうに、今回ばかりは無事じゃすまないはずだ。

「薫子ちゃん、なにか食いたいものある?」

「えっ」

 またしても郡司さんが私に質問してきて、私は頭を高速で回転させながらほかの人たちを見る。急に言われても思いつかないし、ていうかまず、私などが食べたいものを言ってしまってもいいのだろうか。

「この辺なら、そうね、定食屋さんもあるし、あとお蕎麦屋さんと洋食屋さんもあるわ」

「えーっと……」

 八重さんが気を利かせて候補を挙げてくれるがかえって私は混乱してしまう。

「俺は蕎麦がいい」

「いや薫子ちゃんに……」

「あっ、わ、私もお蕎麦好きです」

 有馬さんが横から言ってきて、私は急いでそこへ賛同した。

「お蕎麦屋さんならあっちね」

 八重さんが指さした方へのんびりと歩き出すが、私は元々歩くのが遅いのでぼんやりしていると置いて行かれそうになってしまう。早足でついていく私の横に、円城寺さんが並ぶ。前の方では有馬さんたちが雑談をしている。円城寺さんはなぜかそこに加わらずに、私のとなりを歩く。…… どうしてだろう。彼と私の歩幅を考えたらこうはならないはずで―― いや、今に始まったことじゃない。いつも一緒に歩くときは円城寺さんは私の歩幅に合わせてくれてたし、彼の家に住むことになってからも私が過ごしやすいようにことさら気を遣ってくれていたのだ。

 きっと、最初から……。

 私はそこでふと、隣を歩く円城寺さんの顔を見上げた。するとなぜか円城寺さんも私のことを見ていた。

「…………」

「…………」

 特に意味もなく、私たちは見つめ合ってしまう。

 とはいっても恋人同士で行われるようなそれではたぶんなく、例えるなら道端で初めて遭遇する猫に対するそれだ。撫でさせてくれるのならいいが、近づいた瞬間鋭い爪で攻撃されてはたまらない。

 なにか私に言いたいことがあるのだろうか。いや、あって当然だ。

「…… 心配しました」

 なにを言われるだろうとそわそわしているところへ予想外の言葉が降ってきたので私は一瞬固まってしまった。

「友達と喧嘩したと聞いたので」

「あ、はい……」

 有馬さんと郡司さんに聞いたんだろう。

 いつもの低い声で淡々と紡がれた言葉に私は頷く。

 心配した、と円城寺さんはたしかにそう言った。心配、心配って、だって。自分の知っているものとは違いすぎて、彼がそれを私に与えてくれるのだとは信じがたくて、私は目をふせる。

 でも、出会った当初からの円城寺さんの言葉が、態度が、私の疑念をことごとく信じられるものへと裏打ちしていく。

 素っ気なくて、冷たくて、無関心で、でもなによりも誠実だった。この世で一番優しい言葉に思えた。

 私たちは蕎麦屋に入ってそこで昼食をとった。三人以上の人数で食卓を囲むのが私には初めてで、やけに賑やかに感じた。それもそのはずで、我が家の食卓はいつも食器の音と咀嚼の音だけが響いており、会話などひとつもなかったのである。理由はわからない。

 円城寺さんとも食事の会話が弾んだことは今までなかったので、私は不思議な気分で食事をしたのだった。

 穏やかであたたかいその食事は、私に今までにないほどの幸福感をもたらしていた。



「あ」

 食事を終え、財布を出した有馬さんの手元からなにか紙切れのようなものが一枚、はらりと落ちた。何年か前に撮った写真らしく、今より少し若い有馬さんに円城寺さん、そして私の知らない女の子が写っている。私と同じ三つ編みで、年頃も同じくらいだ。

「…… まだそんなの持ってたのか」

 それをすばやく拾い上げた有馬さんへ、円城寺さんがいつもの抑揚のない声で言った。

「俺の勝手だろ」

 有馬さんもいつもと同じ素っ気ない声で返す。はたからみれば喧嘩でもしているような温度で交わされる会話を内心はらはらしながら見守っていると、郡司さんが横から

「こいつらいつもこんな感じで、べつに喧嘩してるわけじゃないから安心して」

と教えてくれる。ふたりとも表情から感情が読み取れないのでわかりにくい。さっき有馬さんは円城寺さんのことをわかりにくいと言ったけど、有馬さんも大概なんじゃないだろうか。

 郡司さんら三人とは店の前で別れて、円城寺さんと私はまっすぐ帰宅した。

 家に入るなり円城寺さんが部屋の本を見るかと訪ねてきて私はぱっと顔を輝かせた。

「いいんですか」

「頭上には気をつけてください」

 本が積まれた廊下を通って、これまた本に埋めつくされた部屋にたどりつく。父の書斎にも本はたくさんあったけれど、私が読むような本はないといつもあしらわれてしまっていた。

 どの本棚も文字通りぎゅうぎゅう詰めで、入りきらない分は棚に並んだ本の上へ寝かせて置いてあり、それでも入りきらない本は本棚の上へ、それでも入らない本は床へといった具合で部屋は本で埋めつくされている。本の重みで床が抜けてしまわないか心配だ。

 そのなかで私はふと、本ではないものが積まれているのが目に留まった。そのものの正体は上に積まれた本をどけるとすぐにわかる。本よりも少し薄いくらいの厚みで、木製の―― 写真立てだ。

「あ……」

 蕎麦屋で有馬さんが落としたものと同じ写真だ。さっきは有馬さんがすぐに拾い上げたからよく見ることができなかったが、そこにいる女の子はどことなく円城寺さんに似ている。歳の頃はやっぱり私と同じくらいで――。

 と、背後からばさばさとなにかが落ちていく音がして、私は咄嗟に写真を元の場所に戻した。

「だ、大丈夫ですか……」

 大きな音は部屋の外から聞こえていた。ふすまを開けて廊下を見ると、崩れた本で歩く隙間もなくなってしまっている。

「これを渡そうと思って」

 円城寺さんが本を数冊差し出してくる。外国の本を日本人が訳したもののようだ。

「妹が好きだった本で、今の薫子さんと同じ歳の頃に読んでいたのでもしかしたら薫子さんも気に入るかもと」

「妹さん……」

 たぶんさっきの写真に写っていた女の子のことだ。

「その人って、今は」

「亡くなりました」

 五年前に。

 さらりと言われて、思考が停止する。あまりにあっさりとした口調だったので、似た言葉と間違えたかと思ったくらいだった。

「童話なんですけど、大人が読んでも面白い話がけっこうあるので、読んでみてください」

「あ、ありがとうございます……」

 もしかして、そうなんだろうか。

 円城寺さんが私を引き取ってくれたのも、一緒に住むのを許してくれたのも、最近少し、素っ気なさが薄れてきたのも、心配してくれたのも。…… 本を、貸してくれたのも。全部。

(私に、亡くなった妹さんを重ねていたから)

 なんだかすごく納得してしまった。

 おかしいと思ったのだ。会ってから間もない、円城寺さんからしてみればほんの子どもであろうこんな小娘になぜここまでしてくれるのか。簡単な話だった。

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