第6話

 さて、どうしよう。

 どうしようもなにも、この部屋開けるべからずと言われたからにはそうするしかないし、知らない人間は誰も部屋に上げるわけにはいかないのだが。

 だいたい、お任せください、などとは言ったものの、この間は円城寺さんのお知り合いかもしれない人を無理矢理追い返したくらいしかしていない。あとは自分の中の欲望と闘った程度で、これは別に彼の役には立っていない。

 それにしてもなぜ部屋に入ってはいけないのだろう。なにか見られたら困る物があるのか。あんなふうに禁止されると余計に気になるものだが、円城寺さんの言葉を借りるなら彼が私に隠しているものを、見せようとしないものを、私が強引に暴く権利はない。それはたとえ、夫婦であったとしても。

「なんだか、昔話みたいね」

 帰り道の途中、件の話をかいつまんで話すと、綾乃ちゃんは楽しそうに笑った。

「ほら、いくつかあるじゃない。絶対に見ないでくださいって言われたのに、結局は見てしまうお話」

「ああ、たしかに……」

 円城寺さんの浮世離れしたというか、周りの人たちとは違う雰囲気といい、少し似ているかもしれない。とはいえ、昔話のような結末になってしまったら困るが。

「あれってどうして開けてしまうのかしらね? 駄目だって言われているのにね」

「それは、相手との約束よりも好奇心の方が勝ったって話じゃない? 私、今は開けてしまう人の気持ちがすごくわかるわ」

 私が言うと、綾乃ちゃんは「あはは」とお嬢様らしくない、けれど誰よりも少女らしい可憐な笑い声を漏らした。綾乃ちゃんのように美人だったら、私も上手く笑えたんだろうか。

「…… でもねえ、見たらいけない、開けては駄目って、大抵どのお話でも意地悪で言っていたわけでなくて結局は相手を想う気持ちにつながっていたわけでしょう? それなのに破ってしまうなんて――」

 綾乃ちゃんは途中で不自然に言葉を止め、立ち止まった。不審に思った私が「綾乃ちゃん?」と振り返り尋ねると彼女は道端に貼られた紙をその白い指先で指し示した。

 不審者の注意喚起の貼り紙だ。

 貼り紙によるとこのところ女性を人気のない路地に連れ込んで長い髪をばっさり切り取っていくという事件がこのあたりで何度か起きているらしい。若い女性を中心に狙った犯行のようで、被害者はすでに三人。

 隣で綾乃ちゃんが怖いわね、と小さく呟いた。

「“髪切り男”とかって新聞でも取り上げられていたわよ」

 女性は日が落ちたら街をふらつかないこと、人気のないところへ行かないこと、単独や女性のみでの行動は控えることなどの対処法が書かれている。

「父が心配して、馬車で送迎しようかなんて言うの」

「綾乃ちゃんのお家ちょっと遠いものね」

 そんなことを話しながら途中の曲がり角で綾乃ちゃんと別れた。日が沈むまでまだ少し時間がありそうだ。家に帰ったら、衝動に負けてあの部屋を開けてしまいそうな気がする。となれば、日が沈むまで少しの間、時間を潰すほかない。

 綾乃ちゃんが馬車で通うようになったら、私はひとりで行き帰りをすることになる。今までも半分くらいの道のりはひとりだったけれど、それでも残りの半分を彼女と他愛ない話をしながら歩けるのは私にとって大きかった。綾乃ちゃんは優しいから、帝都に来て間もない私のことを気にかけてくれているんだろう。綾乃ちゃんのお家は立派なお家で、彼女と話したい人は、話すべき人はたくさんいるのだ。


『あんた、友達なんかいないでしょう』


「…………」

 ひとりでいるのは好きだ。ひとりでぼーっとするのも。

 大勢でいるのが嫌いなわけじゃないけれど、どうしても疲れてしまうからつい避けてしまう。そういえば父もいつもひとりでいたような気がする。単なる人数としての話じゃなくて、私たち家族といる時でさえ彼はひとりだった。

『お父さんは、私たちがいてあげないと駄目なのよ』

 母の口癖だった。

 本当だろうか?

 お父さんは、本当は――

「あっ……」

 ぼんやりしながら歩いていたせいで、進行方向と逆の方向から歩いてきた人たちの波に押されて数歩よろけてしまう。慌てて道の端に寄って、そして気づく。

 もうすっかり日が暮れてしまっている。早く帰らなければと身を翻した私の腕を、誰かががしりとつかんだ。それはすさまじい腕力で私を人波の中から引き揚げ、私はほとんど引きずられるようにして建物と建物の間の路地に連れ込まれた。

 これは、なに?

 一体なにが起きようとしているのだろう。

 混乱して頭がうまく働かない。

「―― っや……!」

 建物の壁に押しつけられ、髪を鷲づかみにされたことで上げかけた悲鳴は、大きく分厚い手のひらに阻まれる。

「おか……」

 いない。お母さんはいない。お父さんもいない。

 なんで?

 なんでいないの? 私に黙って、どうして?


『あんたのことなんか、誰も――』


 誰も、助けてはくれない。助けてくれる人は、どこにもいない。

「いや……」

 膝から力が抜け、声が喉奥へ引っ込んでいくのがわかった。わけのわからない恐怖に目の前が真っ暗になりかけたその時だった。

「お巡りさん、こっちです! 怪しい男が今――」

 瞬間、私をとらえていた手が離れ、私はその場にくずおれた。なにが起こって、どうなったんだろう。ともかく怖いことがたった今目の前から去ったことだけはわかる。

「あんた、平気か? 悪いが警察ってのはでまかせだから一緒に……」

 差し伸べられた手の主を見上げたその時、私が目を見開くと同時に相手のその人も驚いて言葉を止めた。

 広い肩幅に、大きな手。短く刈り上げた短髪と手入れのされていない無精ひげ。いかにも粗暴そうなその人は、先日私が追い返した人物だった。


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