「月蝕楽園」櫛森ゆうき
@Talkstand_bungeibu
月蝕楽園
その夜は特別な夜だった。
醜く肥えた男の無残な死体が転がっているのを、女がやわらかな微笑でもって見守っている。
女は聖母のような微笑みを浮かべたままで、さっきまで蟻のように群れて男を殴り続けていた、様々な性別、年齢の人々の注目を一身に集めていた。
人々は、目に覚めやらぬ熱狂を宿して、これから女が何を語るのか、まるで寝物語をせがむ子供のように無邪気に待っている。
女はゆっくりと口を開いた。
低く、艶やかな、年齢不相応な声が、女の形のよいくちびるからあふれ出す。
「皆さまの奉仕によって、指導者様は天へと昇られ、無事、神列へと加えられました。これで、皆さまは楽園へと赴くための資格を手にしたのです」
人々は、皆、同じ着古したぼろの衣服を纏っていた。
こんなにも多種多様な人間がいるのにも関わらず、同じ格好をしていることが、その集団の異様さを強調していた。
「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」「楽園へ!」
人々は、拳を突き上げ、口々に叫ぶ。
それが地割れのようにあたり一帯に響き、その中心にいる女は、人々をさらにあおり立てるように、天に昇る月に向かって両手を広げた。
「さあ、参りましょう。楽園へ!」
女がそう叫び、人々の熱狂はいよいよ頂点へと達した。
すかさず、数人の男女が、女の指示によって、人々に、粗末な杯に少量、注がれた葡萄酒を配り出す。
最後のひとり、女にまで葡萄酒が行き渡ると、彼女はやわらかな微笑みのまま、「楽園へ、参りましょう」と言い、杯を煽って、葡萄酒を一気に飲み干した。
人々が、それに続く。
――そして、皆が死に絶えた。
廃墟には無数の死体が転がり、空には赤くぼやけた月が浮かぶ。
これが、特別な夜、月蝕の夜の出来事であった。
「月蝕楽園」櫛森ゆうき @Talkstand_bungeibu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます