5-11

[N/A]


 それから僕は他者と関わった。母には元気かどうかの確認を兼ねて電話するようにしたし、今までずっと疎遠だった父とも再び連絡をとった。研究室の人たちとも会話した。誰かとお酒を飲む機会も増えたし、週末にはゴルフなんかにも行ったりした。本当にあるかどうかすらわからない「生きるエネルギー」を存分に使うような生活をしてみた。


 驚いたのは、誰かと関わるのは、孤独でいるのと同じくらい辛い思いをするということだ。

 話せば話すほど、僕の研究を意味がないと言う人は増える。もちろんそれは最初から知っているんだけど、面と向かって言われると嬉しくは無かった。他者と関わるという行為は、やはり自分の弱さを浮き彫りにする。

 あと、とても仲の良い人間ができた。本音で話したいと思ったその人に、本浄瑠璃の話をした。僕は彼に共感をしてもらいたかった、あるいはそこまでいかなくとも、同情や労いの言葉をかけて欲しかった。けれども彼は、それを少し気持ち悪がってしまった。

「何十年も前の初恋を引きずって、こんなことをしているってこと?」

 これは初恋でもなんでもない、僕はそう言ったのだけれど、どうやら彼には伝わらなかったようだ。こんなふうに、理解もされないこともあるけれど、それでも彼はとても良い人だった。必要なのは決して、ただの肯定だけではないらしい。僕の中の一つを否定されたぐらいで、人間の価値は決まらないんだと知った。そんな事実、彼にとっては百も承知なことのようだ。僕の気持ち悪い研究の動機を話した後も、彼は変わらず僕の良き友だった。

 あの学生は、その間ずっと研究室には顔を出さなかった。「なにか用ができたら連絡してください」と言ってそれっきりだった。

 そんな風にして、僕を取り巻く環境はたった数ヶ月で大きく変わってしまった。

 少し辛くて、けれども代わりに少しの暖かさを手に入れることができた。


 そして、そんな生活を続けていたとき、僕はふと『今まで見えなかったもの』が見えることに気が付いた。それはきっと<世界>に対する見方が変わったからだ。

 ……ああ、やっと僕は、世界に少しだけ、手を伸ばすことができた。

 かつて本浄瑠璃が言っていた通りだった。孤独な状態で見える美しさも、孤独でない状態で見える美しさも、僕はやっと見る事が出来たんだ。多分、少しだけだけど。


 そしてそれが、僕の求めた証明の、最後の鍵だった。




[N/A]


 僕はあの学生を呼び出した。「そろそろ用がある」と連絡すると、すぐに顔を出してくれた。それだけ足が軽いのなら、もう少し来ても良かったのに。僕がそう言うと彼女は「だって、気まぐれなのが私のアイデンティティですから」と笑っていた。

「それで、私を呼び出したという事は、何かが見つかったということですか」

 僕は頷く。

「君のおかげで分かった気がするよ。僕の示したかったことの、最後のひとかけらが」

 やっと僕が世界に手を伸ばしたから、世界は少しだけ僕にヒントを教えてくれたようだ。

「やっと、答えが出る。そんな気がするんだ」

「そうですか」と学生は応える。「だとすれば、これから少し忙しくなりますね」

 面倒くさいなあ、と言って、人差し指で毛先をくるくると丸める。だけどそれとは裏腹に、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていた。

「けれども手伝ってくれるんだろう?」

「ええ、構いませんよ。私の気分が良い間だけですけどね」



 世界のことを示すのに、世界に目を向けようともしなかったのだ。それで答えが見つかるはずがなかった。逆に、気付いてからは本当に一瞬だった。それからは明確に道筋が見えた。これまで漠然としていたものが、何か一つの答えに向かって進んでいることが確かに感じられた。何一つ見落とすことが無いよう、ゆっくりと時間をかけて頭を働かせた。それでも数か月経った頃には<それ>はもう完成間近になっていた。


[N/A]


 完成の時は、深夜にすることにした。星空がよく見えるからだ。


 他の人間が全て帰った後、夜の八時ごろから僕は作業に移った。研究結果の清書としてはこの上なく不適ではあるのだが、僕はこの論文もどきを、便箋にボールペンで書くことにした。これは僕にとっては研究の成果というより、一つの手紙だと思ったからだ。

 そして、数時間ほど経ったあたりで、完成を予感し始めた。

 もう、ほんのわずかで終わるのだ。僕の長い旅は。

 一度息を吐き、コーヒーを飲み、そして窓から移る夜空を眺めた。あの夜空のどこかに王子さまの星があって、彼はきっとそこで笑っているのだろう。今になっても、僕は全ての星が笑っている様には見えなかった。けれども、ひとつひとつの星々は、笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだりしているように見えた。きっと、それでいいんだと思った。


 それから僕はラジオを付けた。僕は小さなラジオをいつも常備していた。いつか僕と本浄が話した世界、汚いものだけがある世界に繋がるのではないかと思っていたからだ。もちろんそんなはずはない。お守りみたいなものだ。

 温度の下がったカップを左手に持ちながら、右手でラジオのダイアルを回し、音量を上げる。

 いつか行きたい世界の絶景、という特集が聞こえてきた。


「----ニュージーランドにはテカポ湖という湖があり、そこでは世界一美しい星空が見られると言われています。いつか行きたい世界の絶景、まだまだ続きますよ----」

 ニュージーランド。

 僕は本浄の叔父さんの話を思い出した。

 ああ、つまり彼も、一番綺麗なものに出会えたのだな、今更ながらそれに気づいた。



 そうしてすべてを書き終え、僕はそれを便箋にしまった。

 最後に『本浄瑠璃へ』と書いておいた。あの頃を思い出してしまい、小恥ずかしい気持ちになった。

 けれどもこの感覚を幸せに思えた。

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