4-11 8/31(iii)

 もう少しだけお話ししましょう、と彼女は言った。

「ねえ、日向野くん。きっとわたしが消えてしまうのは、わたしが要らない存在だから、なんでしょうね。日向野くんには何度も言ってきましたけど、わたしは自分自身にこれ以上期待ができません。そのうえ、要らない存在であることが、世界からも認められちゃったんです。だから誰にも言わずに消えていくつもりでした。存在だけじゃなくて、皆の記憶からもわたしを消し去ってしまうつもりだったんですよ」

「要らない存在だというのなら、僕も同じだ。誰とも干渉しないし、自分自身にも大して期待をしていない」

「けれど、日向野くんはやっぱりわたしとは違います。この世界に生れ落ちた何かしらの意味があるんだと思います。だから、わたしだけが消えなければならないんだと思います。きっと、日向野くんにとって、わたしは足枷でしかないのでしょうから。わたしに付き合わせて、あなたの大切な時間を沢山使ってしまって、ごめんなさい」

「悲しいことを言わないでくれ。僕と本浄は一緒だって言ったじゃないか」

「今は一緒かもしれません。似たもの同士と言えるでしょう。けれど、日向野くん自身が思っているよりも、日向野くんは素敵な人間だと思います。だから、これからは幸せに過ごしてほしいと思います。わたしと違って、あなたはそうできる人です」

「<世界>が勝手に決めた尺度で、僕たちの幸福なんて決めつけないで欲しい、そう言ったのは本浄の方だろう」

 そうですね、と彼女が微笑む。切なげな表情。

「わたしはこんな態度しか取れないから、<世界>に見放されてしまったんでしょうね。それは自分でもはっきりとわかります」

 僕は何も答えなかった。

「それなのに、わたし、欲張っちゃったんです。わたしにとっての最後の日に、お別れする最後の瞬間に、一瞬だけでも何か価値を生み出したいと強く願いました。そしてそれはこんな歪んた形で叶ってしまったんです。それが<法則>でした。……ねえ、日向野くん。わたしのこの数か月は、どんな意味があったのだと思いますか」

「わからないよ」と僕は返す。口から出たそれは正直な気持ちだったような気もするし、真っ赤な嘘だったような気もする。それすらもわからなかった。

「わたしはわかります。きっと、この世界が美しいという事を示したかったんです。光輝く星空も、夏空の下の向日葵も、懐かしさを感じる駄菓子屋も。わたしがこれまで忌み嫌っていた町でさえ、観覧車の上から見れば、とても綺麗なものに思えました。きっと、そういうことを知るためだったんです」

 僕は何も言えなかった。彼女の挙げたそれらの景色は、僕も一緒に見た景色だったから。そしてそれを僕も美しいと思ったからだ。今もそう思っている。

「世の中は沢山の辛いことやどうしようもないしがらみで溢れていて、それはもちろんわたし自身もそうで、けれど、そんなどうしようもない世界なのに、空は澄んでいます。とても長い時間がかかったけれど、青くどこまでも広がる空を綺麗だと思えるようになったことを、私は本当に心から嬉しく思います。そしてそれは、全て日向野くんのおかげなんです」

「やめてくれよ」

「この世界からさようならをする直前にしか、この世界を好きになることができなかったんですよ、わたし」

「もういいよ」

「不器用ですよね、けど、それでもいいんです。そんな綺麗な世界に、ほんの少しの間でも居られたことに、すごく感謝しているんです」

 そしてそれは、日向野くんのおかげでもあります。


「だから、君にだけは最後までわがままを言ってしまいます。


 ――どうか、君だけはわたしのことを忘れないでください。


 ずっと覚えていて、なんて大それたことは言いません。けれど、ふとした拍子に思い出してくれたら嬉しいです。教室で誰かに勉強を教えるとき。一眼レフで星空を写したとき。女の子と二人でさびれたラーメン屋に行った時。駄菓子屋のベンチを見かけたとき。そういう時に、同じようなことがあったな、って頭の片隅に思い浮かべてくれたら、それで十分です。もう少しだけ欲を言えば、それが何か君にとっての利益となれば、わたしはこれ以上なく幸せです。ちっぽけかもしれませんが、この世界にわたしがいたことの、たったひとつの意味になると思います」

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