4-12 8/31(iv)

 彼女を見届けると言いながら、僕は心のどこかで、彼女が救われる方法を探していた。きっとこのままじゃ、彼女は満たされないままに消えてしまうのだろうと危惧していた。そして、今の今までそう思っていた。

 けれど、違うのだ。

 彼女は既に救われていた。そのことを今、僕に教えてくれているのだ。

 それなのに僕は、ずっと未練のような感情を抱き続けている。いつか彼女に言った言葉を思い出した。

『誰かを大切にしようとしてもさ、ふとした拍子に、それが自分のためにやっている行為なんだなって思うんだ』

 結局僕は、そんな思いを抱えたままだったのだろうか。彼女を最後まで見守るという行為は、自分が救われるための行為だったのだろうか。



 僕は認めなければならなかった。彼女が消えていくことを、赦さなければならなかった。

 彼女の考えは肯定しないと言った。けれども、彼女の思いは肯定しなければならない。覚悟や、優しさや、世界への愛を、僕も愛さなければならない。


 息を吐いた。もう一度深呼吸をした。彼女はゆっくりと待っていてくれた。



「これはもう君にとって価値のない言葉かもしれない。けれどこれだけは言わせて欲しい」

「なんでしょうか」

「この数ヶ月間、僕は初めて<世界>から見放されている自分に、なにか意味のようなものを感じることができた。それは君のおかげなんだ。君が生み出した価値なんだよ、きっと」

 僕は本浄瑠璃の生き方が好きだった。不幸で悲しくてどうしようもない人生だけど、けれども僕にはどこか尊いものに見えた。

「君の見る世界が好きだ。君がどれだけ要らない子だと言われようと、世界から汚いと烙印を押されようと、それでも綺麗な景色を綺麗だと言える君のことを、僕は心から尊敬していた」

「とてもありがたいです。でも、そんなこと言ってくれるの、日向野くんだけですよ?」

 そう言って彼女は微笑む。それはそれは嬉しそうに。

「だから僕に教えて欲しい。僕はこれからどうすればいい。君の居なくなった後、僕はどんなふうに生きていけばいい。わかるようでわからないんだ」

「さっき言ったとおりです。今の日向野くんならきっと、<世界>に手を伸ばすことができるのだと思います。だって、こんなに醜いわたし達でさえ、ふとした拍子にその美しさに気が付くことができたんですよ?」

 彼女は空を見て、自然を見て、海を見た。それから少し遠くで歩いている老人を見て、ランニングをしている男性を見て、ベビーカーを押している夫婦を見た。

「だから、もっとこの<世界>のことを愛して欲しいです。そうすれば気付ける美しさがあると思います」

「けれども、僕らが世界の美しさに気付けたのは、むしろ逆の理由かもしれないよ。<世界>から見放され、一番遠い場所で傷つけられたからこそ、美しさに気付けたのかもしれない」

 そうかもしれませんね、と本浄は笑った。

「だとすれば、これまでわたしたちが見てきたのは、辛い中で見える美しさです。けれどもわたしは、幸せな中で見える美しさもあると思います。今のわたしの願いは、それを知ることです。けれどもそれはもう叶いません。だから、それを見つけて下さい。わたしの代わりに、あなたが」

「むしろ、幸せな中で見える醜い世界もあるかもしれない」

 僕は最後まであまのじゃくのようなことを言っていた。

「構いませんよ」と彼女は言った。

「それならそれで安心できます。だって、わたし達のような孤独な存在にとっては、周りは怖くて醜くて汚いものだらけです。けれど、幸せなあの人たちにも、ちゃんと醜くて汚いものがあったんだって、そう思えるなら。それはそれで必要なことなのだと思います」

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