3-9 8/24(ii)

 それから僕らは食事をとろうとした。しかし彼女の部屋には二人分の食器が無かった。誰か来客が来るとは思っていませんでした、と言う本浄。これまで一度たりとも、自分以外の茶碗が必要だったことはなかったのだろう。だから僕たちは家を出て、近くにあったファミレスに向かった。食事をとってから、これからのことについて話し合うことにした。

「じゃあ、幾つか聞きたいことを順番に聞くけれど」

「はい」本浄が首を縦に振る。

「本浄が良い写真を撮るたびに消えているものは何なの。今のところ、自分そのものではないことは明らかなわけなんだけど」

 ここ1,2ヶ月で彼女の外見が変わっている様には見えない。この虚弱そうな見た目は初めからだし、それはたぶん<法則>のせいではない。だとすると……安直ではあるが、今消えているのは彼女の内面なのだろうか。僕がそう訊くと、彼女は曖昧に頷いた。

「それが、わからないんです。自分自身の中の何かが消えている、というのはわかるんですが……」

 やっぱり僕の予想通りのようだ。そして僕の予想以上のことは、本浄も何も知らなかった。わからないのであれば仕方がない。この質問はここまでにしておき、次に浮かんだ疑問を訊くことにした。

「じゃあ、次。本浄の叔父さんって、今は何してるの。その人がいれば、いい写真の撮り方とか教えてくれそうだけど」

 僕がそう訊くと、彼女が少し寂しそうな顔をした。もしかするとその言葉は失言だったのかもしれない。僕は反省した。

「仕事でニュージーランドに行って、それきり帰ってこないんです。ずっと探し続けてたんですけどね。今年で丁度七年目です」

 行方不明、ということだろうか。失踪者が七年間見つからなかった場合、日本では死亡届を出すことができるはずだ。

「流石に親戚も諦めたみたいですよ。正直、わたしもそう思っています」

 珈琲を啜り、一息ついたあと、「それは大きな問題じゃないと思うんです」と彼女は言った。

「こんなことを言ったら不謹慎なのかもしれないですけど……わたしはそれより、叔父さんが目標を達成できたのかを知りたいです。だって、たぶん叔父さんは何か目的があって、どうしても撮りたいものがあって、だからニュージーランドまで足を運んだんだと思うんです。それが達成できたのかが一番気になります」

「生きてることよりも?」

「その言い方はずるいです、日向野くん。もちろん生きているに越したことはないんですから」

 しかし、その望みは限りなく薄い。そのことを本浄や彼女の親族は痛いほど理解しているのだ。

 だから彼女のその思いは、冷たさではなくむしろ優しさから出たものである。せめてもの幸福を祈ったものである。

 話を聞いて、僕も本浄の叔父の幸福を願った。


 それからしばらく話し合い、すべきことを明確化させた。とは言っても、やることは前とそんなに変わらない。彼女は綺麗な写真を撮りに行く。僕はそれに付き合う。大まかな流れはそれだけだった。

 僕はしばらく本浄の家に泊まることにした。

 異性が自分の家に泊まることについて、彼女はびっくりするくらい恥じらいを見せなかった。こちらにとっても好都合だけれど、それにしてもまったく抵抗がないのは違和感があった。一つ問題だったことといえば、彼女の部屋には一人分の寝床や食器しかない。僕は数日分の着替えや簡易的な寝袋を始めとした生活必需品を買いに行った。それらがすべて終わるころには、日が沈んでいた。


 それから二人で本浄の家に帰ると、彼女は途端に悲しそうな顔を浮かべた。

 どこかに出掛けた時、帰る途中は寂しくなるし、家に着くともっと悲しくなる。夕焼けは寂しいし、暗い夜は悲しい。すっかり忘れていたが、それは当然のことだった。

「父も母も死に、叔父さんも消息を絶ってしまいました。

ねえ、日向野くん。どうしてわたしの周りの人間は、すぐにどこかに居なくなってしまうんでしょうね」

「それを君が言うの、僕の前から消えようとしている君が」

「はい、やっぱりわたしはあまのじゃくなんです」と本浄は震えながら笑った。

 彼女の心が消えそうなぐらいに細くなっているのがわかった。

「僕だけは君の前から消えないよ。少なくとも、君が消えてしまうまでは、君の側にいる」

 本浄が眠るまで彼女の手を握っていた。彼女の手はやっぱり冷たかった。

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