3-1 8/23(i)

 あの日、そのまま本浄と別れた。会話はあれで途切れた。最後に本浄は何も言わずその場を去った。僕は追いかけることができなかった。


[8/23]


 十日間ほど、僕は本浄の居ない日を過ごした。気付けば夏休みはもう終盤だった。


 四日間ほどの出校期間が始まった。最初の三日間、僕のひとつ左の席は空いていた。午前で終わった夏期講習のあと、ひとりで教室に残って勉強しようとはどうしても思えなかった。それでも何故だか教室に残る。特にやることもないけれど、日が暮れてるまで椅子に座っていた。そこで待っていたら、いつか本浄が来るんじゃないか、そんなはずはないのに心の片隅でそう思っていた。授業が終わった後の午後は長く、それなのに僕は参考書すら開かなかった。


 することもないので本を読んだ。あの日買った「星の王子様」を読んだ。王子は自分の星に帰っていったらしい。どこかの星で王子さまが笑っているから、夜空に見える星々は全て笑っているように見えるらしい。けれども、僕等の肉眼では見えない星もあるのだ。輝きを失って、人々に届かなくなった星も同じ夜空に存在しているのだ。

 きっとその中に、泣いている星がある。


 最終日になって、少しだけ面倒なことが起こった。

 本浄が<法則>に絡んでいることが広まっていたのだ。そのことは広い世間にからすれば大した話ではないけれど、高校のちっぽけなクラスにとってはそれなりの話題のようで、クラスが悪い意味で浮足立っているのが感じ取れた。僕の家はそれなりに学校から近い場所にある。そんなところで長々と話していたのだから、気付かれる可能性はあっただろう。クラスの誰かが見ていたのだとすればとても不運な偶然だが、特に気にはならなかった。面白くないことが連続するのは当たり前のことだろうから。僕にとっても、本浄にとっても。


「ねえ、日向野くん。本浄さんの話って、本当?」

 放課後、一人で何もせずに座っていると名前を呼ばれた。本浄さんとは逆側、右隣の席の女の子が問いかけてくる。

「話って、何」もちろん知らないわけがない。

「何って、あれだよ。本浄さんが<法則>を発動させたって話。ここ数日の休みも、それが原因なんじゃないかって噂」

「そんな噂あるんだ」それでも僕は空返事をした。これまで本浄を無視し続けていた<世界>が、こんなことで彼女に近づかないで欲しい。彼女の孤独の邪魔をしないで欲しい。要するに僕はつまらない気分でいた。けれどもそんなことはお構いなしに彼女は僕に話しかけてくる。今まで話しかけてこなかったのだから、どうか放っておいて欲しい。

「どうなんだろ、何か消えたモノが大切なものだったり……」

「そんなはずないでしょ。消えるのは汚いものだけじゃん。大事なものが消えるのはおかしいって」

 そこで他の女子が割って入ってきた。手には鞄を持っている。きっとこの女の子と一緒に帰るつもりなのだろう。素っ気のないような言い方から、この話題への興味はあまりないのだろうということがわかる。それどころか、友人がその話題を気にすることを疎ましがっているのかもしれない。そんな話題に放課後の時間を使わないで欲しいとばかりの面倒そうな表情だ。

「うん、そうだよね、変なこと言ってごめんね……」右隣の席の女の子が謝罪する。

「いや、一番要らないものならあれだろ、本浄だろ。このクラスでほとんど空気だしさ」

 そこで名前も知らないクラスの男子が声を重ねる。嫌なタイミングだな、と僕は思った。皆が話を終わらせようとしていたことがわからないのだろうか。

「日向野は頭いいから将来役に立ちそうだけど、本浄はなぁ」

 このとき僕はなんとなく嫌な予感がしていた。誰かにとっての一つのラインを平気で超えてきそうな雰囲気があった。<世界>がちっぽけな個人に牙を向ける時に特有の、気味の悪さを感じていた。そしてそれはちっぽけな<自己>にはほとんど抗いようがない。彼の次の言葉を、僕は止めることができなかった。


 そして悪い予感は当たった。

 彼は本浄が「この世界には要らないような、汚い存在であること」をはっきりと告げた。それも、とても大きな声で。

 ばか、と思った。その発言自体もどうしようもないのだけれど、それと同じくらいどうしようもなかったのはタイミングだった。視線を彼よりも先にある"彼女"に向ける。彼が大声でそれを言うと同時に、教室の扉を開いた"彼女"。


 本浄瑠璃がそこに居た。

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