2-6 8/2, 8/6(i)

[N/A]


 夢を見たのは久しぶりだった。

 どこか寂しさを覚えるような、それでいてなにか一縷の懐かしさを感じさせるような、そんな不思議な夢だ。


 起きた時にはもうほとんど覚えていないんだろうな、そんなことを僕はぼんやりと考えながら、意識を彼方に沈めていった。




[8/2]


 夢から気持ちが戻ってこないまま、ぼんやり朝食を食べていると、僕の前に目玉焼きを差し出しながら母が尋ねてきた。

「そういえば……写真、知らない? 玄関の前に飾ってたやつ。フォトフレームの中がからっぽなのよね」

 何となく予感していたことが、やはり確かであったと示される。知らないよ、と返すと、母はそうよねと頷いた。

「折れとか結構あったし、別にいいんだけどね。また現像すればいいし」

 朝食を食べた後、玄関のフォトフレームを確認する。やっぱり消えたんだな、ということを自覚させられた。


 <法則>が起こった夜に夢を見るのは二度目だ。

 つまり、これらはきっと無関係ではない。




[8/6]


 数日後、再び本浄に出掛けないかと誘われた。


 再び僕等は東公園で待ち合わせた。到着しても本浄の姿は見当たらず、どこにいるのかと辺りを見渡すと、またもや公園の風景やいつもの猫の写真を撮っていた。彼女が無邪気な姿を見せる瞬間は非常に少なく、その中の一つが写真を撮る瞬間だ。だから、彼女が写真を撮っているのを見るのは少し微笑ましい。


 本浄は外に出た時の連絡手段を持っていない。「わざわざ連絡を取るような人がいませんから」と言っていた。その気持ちは僕にもわかるが、それでも今の世の中ではかなり珍しい話だと思う。しかし彼女にはそんな文明の利器が何となく似合わないような気がする。小型の便利な端末ではなく、大きくて時代遅れな受話器を持って電話を掛ける本浄の姿が簡単に思い浮かび、何となく面白かった。

「本当は、固定電話もあまり好きではないんです」と本浄が呟く。

「どうして」と僕は尋ねてみる。

「だって、わたしが口から発する言葉なんて、きっと行き当たりばったりのその場しのぎでしかないからです」と本浄が返した。

「わたしはそれほどよくできた人間ではないですから。だから正しくない言葉を吐くごとに後悔してしまうんです。言葉なんてゆっくりと時間をかけて、何度も書いては消して、それでやっと最低限の形になるものなのだと思っています」

 少しでもましな自分を届けるためには、それぐらいの時間の余裕があったほうがいい。不出来な僕等だからこそ、その思いは切実なものとなる。


「それに、どこか素敵だと思うんです。デジタルなものよりも、アナログなものの方がわたしは好きです」

「それはどうして」

「デジタルなものって、入力と出力があって、その間に変換が行われていますよね」

「うん」なんだか勉強みたいな話が始まった。

「例えば手紙をデジタルに置き換えたものって、何でしょうか?」

 それはおそらく電子メールだろう。容易に想像できた。

「そうです。けれども電子メールには手紙とは明らかに違う部分があります。失われる部分とでも言えばいいのでしょうか」

 僕はその部分について考える。相手の字の大きさだったり、筆圧だったり、訂正した後だったり。そう言った「直接的なアプローチ」であるゆえの要素だ。そしてそれは、手紙から相手自身を思い浮かべる、大切な要素の一つである。

「電子メールの場合、一度信号に変換されているんです。その過程で、内容以外の要素は排斥されてしまう。だから、コミュニケーションにおいてとても大切なぬくもりも失われてしまう。わたしはそんな風に思えてしまうんです」

「つまり、デジタルって直接的な『わたし』と『あなた』のコミュニケーションではない、と言えるのかな」

 僕たちは関節的なコミュニケーションであるそれになんとなく冷たく感じる。だから、他人のあたたかさを求めている人間は、アナログなものを求めるのかもしれない。僕がそのように解釈すると「そうかもしれませんね」と彼女が笑い、その後、「そもそも、誰かに手紙を送ることなんてめったにないわたしたちには、縁の無い話なのかもしれませんが」と付け加えた。

「相手がいないと対話はできないけれど、相手がいなくても手紙は書けるよ」そう僕が言うと、本浄は「詩的ですね」と笑った。

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