2-5 8/1(iv)

「そういえば、ずっと聞きたかったことなんですけど」

 駄菓子屋を出てそばの道路を歩いているとき、そう切り出された。夕日が沈み始めている。子供じみた練り飴を美味しそうに口にしている本浄。蜂蜜色の陽光がさしたその横顔。黄昏の世界と彼女が、少しだけ混ざり合う。

「日向野くんはどうしていつも孤独だったんですか。わたしみたいに嫌われているわけでも、コミュニケーションがわたしほど極端に苦手なわけでもないのに」

「前に行った通りだよ、手を伸ばせられないからだ」

 そう僕は答えたが、どうやら本浄にとってはお気に召さない解答だったらしい。

「その理由です」

 質問の意図を汲み取れていない、そう僕に言わんばかりの表情だった。

「わたしが世界に近づけないことにだって、理由があります。不器用で、口下手で、その上暗くて、なにより取り柄がないからです。日向野くんのその部分が訊きたいんです」

 なんだか難しい質問をしてきたので僕は少しだけ辟易した。それでも、せっかく彼女が言うのでよく考えてみた。自分が世界に手を伸ばせない理由、その根幹はどこにあるのだろうか。決して多くは無いけれど、子供の頃はもう少しぐらい他者と関わっていたような気がする。

 やがて僕は、自分なりに一つの結論を浮かべた。

「誰かを大切にしようとしてもさ、ふとした拍子に、それが自分のためにやっている行為なんだなって思うんだ、いつも」

「誰かのための行為だと思っていたことが、ただの自己満足だった、ということでしょうか」本浄が反芻する。

「そう、他人を幸せにするために生きているわけじゃない。自分が幸せになるために生きている。そんなことを再認識させられて、辛くなる」

<世界>に利益を与えられないのなら、それは<世界>と関わる資格が無いも同然だ。

「そうこうしていたら、世界へ伸ばすための手を失っていた」

それはきっと悲しいことだ。けれど、どうすることもできないことだったのだと思う。


 わたしも似たようなものです、と本浄は言った。

「自分の利益については深く考えたことは無いですが、少なくともわたしと関わることが相手の利益じゃないことは確実です」

 本浄がそう考えて生きていることは今更疑いようがない。それこそが、僕が本浄の手を取った理由なのだから。

「だから、こんなわたしが関わることに意味があるのかな、と思うようになりました。気づけば臆病者になっていました。あなたと似ていますよね」

 そんなことを考えるより前に、皆がわたしを見限っちゃったんですけどね。そう言って本浄は苦笑いを浮かべる。

「最近の僕は、君が臆病ということさえ懐疑的だけどね」

「それはどうしてですか」

「だって、僕と話すときはろくに緊張していないように見えるから。それなのに他の人と話すときはいつもたどたどしくて、下を向いている。そっちの方が僕にとっては不思議なんだ」

「わたしは臆病ですよ。あなたがどう思っていても臆病です」

「君がそう言うなら臆病なんだろうね」

 はい、と彼女は頷く。臆病者呼ばわりされたのに、どうして嬉しそうにしているんだろう。

「じゃあ、どうして君は、僕と話すときだけは臆病じゃないんだ?」

「さあ、どうしてでしょう。思い当たる理由はありますが、ここでは言わないでおきます」

「どうして」と僕が訊くと「あなたを傷つけてしまうかもしれないからです」と彼女は返した。


 そうして道路をまっすぐまっすぐまっすぐ歩いていると、見覚えのあるお花畑が沢山目に映った。

 帰り道も相変わらず永遠のように長かったから、ひょっとして僕たちは違う場所に行ってしまっているのではないか、なんていう危惧を少しは抱いていたが、ここにきてやっと安心できた。ここまで帰ってきたという事は、駅が近いという事だろう、それが証明されたからだ。


「少し、持っていてもらえませんか、これ」

 彼女が僕にカメラとケースを手渡す。そしてそのまま向日葵の方へと走っていく。

「夏の匂いが欲しいんです」と言った本浄は、そのまま向日葵畑の中に入っていった。

 そうして向日葵の花に顔を近づける。そこに夏の匂いがあると思ったのだろう。時折彼女が見せる、このように無邪気な姿は微笑ましく思える。向日葵は太陽の匂い、なんていうが、僕が昔感じたのはもう少し嫌な臭いだったような気がする。どちらかと言えば、汗とかそんなものに近いような記憶だ。けれども、ある意味でそれも夏の匂いと呼べるのだろうか。

「日向野くんも来てください。夏の匂いかはわかりませんが、なんだかおもしろいですよ」

「良いよ僕は。荷物番で十分だ」

「あっ、そうでした、すみません、わたしの荷物、持たせっぱなしで」

 本浄が向日葵畑の中から顔を出す。そうしてごめんなさいと言いながらはにかむ。相変わらずの薄い表情だけれど、それでも彼女がなにか充実しているのは十分すぎるくらいに感じ取れた。僕の目線の先には彼女が居て、その後ろで沢山の向日葵が咲いている。世界にはオレンジ色のフィルターがかかっている。

 手渡されたカメラを見つめる。彼女を見ているうち、普通に写真を撮る方法ぐらいは流石に心得ていた。


 そして僕は、来るときあれだけ忌避していたことをいとも簡単にやってのけてしまった。


「……あっ」

 シャッターを押すと同時に、心の中の何かが弾けたような感覚がする。

 僕がその感覚を思い出したのは、かつてのピアノコンクール以来だった。

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