第3話 助けを求めるのは
翌朝、瑞希が教室に入るとすでに隼人がいた。瑞希は花に水をあげるためにいつも早めに登校する。隼人が来るのはその後だ。なぜ登校時間を早めたのか、瑞希にはなんとなく察しがついた。隼人は毎日友だち数人と登下校しているのに今日は一人。
「おはよう。」
瑞希は教室の窓から外を眺めている隼人に声をかける。隼人が瑞希を確認して数秒、「……おう」と覇気の無い声が返ってきた。
瑞希は自分の机にランドセルを叩きつける。いつもなら教科書を引き出しにしまってから水やりに行くが今日はもう後回しだ。
教室のすみっこに置いてある『4年3組』とデカデカと書かれたジョウロを持つ。
「隼人!」と言うと、呼ばれた本人はギョッとしたように瑞希を振り返る。
瑞希はジョウロを投げる。隼人に向かって。なかなかの大きさの物体が跳んできた隼人は、驚き慄きながらも反射的にキャッチした。なかなかの反射神経だ。
「おまっ……!」
ジョウロはプラスチック製だからそこまで重くはない。
「いくよ。」
そう言って瑞希は教室を出ると、ノロノロとジョウロを持った隼人がついてきた。
「重ぉ……」
隼人がホウセンカに水やりをする。重みで手がぷるぷるしている。
「そりゃたっぷり水が入ってるからね。」
隣で腰に手を当ててふんぞりかえる。
「ちょっと!水は土だけにしてよ!全身にかけないで!瑞希言ってやって!」
ホウセンカから早速クレームがはいる。
「ホウセンカが全身に水かけるなって言ってるよ。」
「はあ!?」
両手でジョウロを握りしめて全身を使って必死に水やりしている隼人にそんな余裕はない。
「授業で習ったでしょ。」
「んなこと言ったって……! 重すぎんだろ……!」
「これを毎日してましたよー」
「…………怪力」
隼人は聞こえないように言ったつもりらしかったが、聞こえてしまった瑞希は聞き捨てならない。「はあ!?」と責め立てようとした時、微かに声が聞こえた。
──たすけて
身構えている隼人を前に瑞希は固まる。ホウセンカとも違う声だ。そもそもホウセンカはもっと声が大きくて気が強いタイプだ。
「……なんか言った?」
「え……か、怪力って……」
そうじゃなくて、と辺りを見回す。防御の姿勢をとっていた隼人は怪訝な顔をする。
「助けてって言った?」
首を横にふる。隼人は言っていない、聞こえていない。
「匂うわね。」
「そうね。匂うわ。」
ホウセンカ達がボソボソと話している。
「どこから?」
「いや、知らねーよ。」
「あんたに言ってんじゃない。」
隼人は眉毛をあげて口を尖らせてそっぽを向いた。「あーはいはい。そーですかー」と顔に書いてある。少し拗ねたようだ。
「そこの水やり下手くそ小僧から匂うわね」
隼人を呼ぶと、しぶしぶこちらを向く。
「呼ぶのか呼ばないのかどっちかに……」
「回って」
隼人が言い終わらないうちに言う。文句よりさっきの聞こえた言葉が優先だ。へーへーと言ってしぶしぶ回り出す。ちんたらちんたら回っているが、この状況ではゆっくり観察したいから好都合だった。
「ストップ!」
ちょうど隼人が背中を向けているところで止める。女の勘だった。小学生でも女の勘はあるのだ。
隼人は今日フード付きの半袖の服を着ている。フードを掴んで中を確かめる。「ぐえええ……」と苦しそうな声が聞こえるがお構い無しだ。
すると、フードの一番奥底に枯れた葉っぱがくっついていた。そっと指でつまんでフードから手をはなす。
「腕力…………どうなってんだよ…………」
隼人の文句は瑞希には届かなかった。瑞希が手のひらを上げて「静かに」と制する。葉を耳にくっつけている。
「……聞こえる。」
確信して呟くと隼人も瑞希の手にある葉を見る。
「枯れてんな」
「見覚えある?」
「花の部分ならまだしも、葉っぱじゃわかんねえよ。」
二人でうんうんと頭を悩ませていると、ホウセンカから助言が入る。
「この香りは」
「そうね」
「アネモネよ」
瑞希が手を顎にあてて頷き、納得する。アネモネは春の花だ。夏である今は、葉っぱが枯れているのだ。
「これアネモネらしいんだけど、家でアネモネ育ててるの?」
聞かれた隼人は、「まさか」と苦笑いしている。
「じゃあ近所にアネモネが咲いてる場所がある?」
問いかけに真顔で黙っているため、たたみかけようとすると
「そもそもアネモネがわかんねえ」
しばらく沈黙が流れた後、瑞希とホウセンカ達のため息の音がその場に響いた。
「このへんの図鑑見たらわかるでしょ。」
休み時間、二人は図書室に来ていた。瑞希が見繕ってきた分厚い図鑑が机の上に何冊も積まれている。「怪力……」と呟きかけた隼人を鋭い視線で黙らせた。
「これ……全部読むのか……?」
「アネモネのところだけでいい。全部読みたいなら止めないけどね。」
隼人はぶるぶると首をふった。それぞれ別の図鑑を手に取りアネモネのページを探す。
「花なんてラフレシアぐらいしか知らねえ」
「逆によく知ってんね。日本には咲いてないのに。」
「おう! 一回見てみたいよな!」
十何秒もしないうちに瑞希は目的のページを見つけ隼人に示す。
「早くね!?」
「君、”さくいん”って知ってる?」
頭にはてなマークが浮かんでいる隼人を無視してアネモネの写真を指差す。
「あっ、これ」
何か思い出したような隼人の様子に瑞希は目の色を変える。
「知ってる? 見たことある?」
隼人が記憶をたどりながら説明を始めた。隼人の家の裏には林がある。子ども達の格好の遊び場だった。兄弟や友だちとよく遊んでいたという。
「確かそこに似たようなやつが咲いてたよ。紫の。」
ふむふむと瑞希は考え込む。「助けて」とはどういうことだろうかと考えを巡らせる。「似てるだけで違う花かもしんねーよ!? 間違ってても知らねーよ!?」と叫ぶ隼人の声は瑞希の思考には入ってこない。
「あの林なあ、遊びがいはあるけどお化けがいるんだよ。ビビっても知らねー……」
「今日の放課後、隼人の家に集合。その林に行く。」
お化けがいようがいまいがお構いなしだ。
「はっ!?」
「”百聞は一見にしかず”だよ。」
ピンときてない隼人と図鑑を片付ける。図鑑を片付けながらこっそり国語辞典を引いている隼人を瑞希は見てしまい、ニヤニヤする顔を必死に堪えた。
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