12月15日【星の界】
風が強く吹いています。火口からの紅い光が屋上を仄かに照らし、その中で、子供たちと通信機の電信の光がまたたきます。
やがて、全ての子供たちが、おのおののお役目について話し終わりました。少し大袈裟に、ドラマティックに話した子もあれば、ほんの一言で語った子もありました。自ら語った子もあれば、ほかのきょうだいたちに話してもらった子もありました。とにかく通信機は、子供たち全員の果たしたお役目について、全て知ることとなったのです。
屋上で長いこと放ったらかしにされていた通信機は、たくさんの言葉を体に受けて、すっかり満足したようでした。規律なく滅茶苦茶に動いていた計器やランプは、本来の落ち着きを取り戻します。これでようやく、通信が行なえます。
「どれどれ。では、おまえさん方のきょうだいに、呼びかけてみようじゃないか」
おじいさんはそう言って、通信機についているアンテナのようなものを、空のある一角へと向けました。「あのあたりが、一番闇のひらけていて、電波を通すのに具合がいい」とおじいさんが説明しましたが、実浦くんには何のことだかさっぱり分かりません。とにかく、ここはおじいさんと、子供たちとに任せておくのが良いのです。
アンテナは空へ向けられ、通信機の機嫌も直りました。あとは、子供たちの言葉を電波に乗せて、空へと飛ばすだけです。子供たちはみんなで手を繋いで、通信機を真ん中に、大きな円を作りました。そして、宇宙を閉じ込めたような、深く澄んだ瞳を、通信機へと向けました。瞳から、ぱちっと火花が散ります。
子供たちの電気言語を受け取って、通信機はその言葉を宇宙へ飛ばすのです。ランプは点滅し、電信の音はせわしなく鳴り、夜の国のどこかにいるはずの、最後のきょうだいへ呼びかけます。
ぼくたちはここにいる。きみがくるのをまっている。
おかえりなさい、きぼうのこ。
みんながきみをまっている。
「ねえ、私たちにも、何か出来ることはないかしら」
火灯し妖精が、気が気でないといった様子で言いました。
確かに、彼女の言う通りです。なんとか言葉を届けようと、子供たちがあんなに頑張っているのに、それをただぼうっと見ているだけだなんて、もどかしくて仕方がありません。
『ぼくたちは、歌を歌おう』
芋虫が言いました。そしてくるんと丸まったかと思うと、八角形の小箱になって、実浦くんの手のひらにぽとりと落ちました。小箱は黒曜石か何かで出来ているのか、ひんやりと冷たく、しっかりとした重さがあります。
『蓋を開けてみて』
言われた通りに、実浦くんは小箱の蓋を開けてみました。まず目に入ったのは、金属の円筒です。表面には星々のような小さな突起が、それこそ星座のように決まった形を作って並んでいます。その円筒のすぐそばに、これもやはり金属の櫛が、その歯を円筒の方へ向けてお行儀よく並んでいます。
「オルゴールですね」
実浦くんの手元を覗き込みながら、灯り捕りが言いました。『そうだよ』と、芋虫だったオルゴールが、可愛らしく澄んだ声で答えました。そして、ねじを巻きもしないのに、勝手にころころ鳴り出します。
奏でられたメロディに、実浦くんは、たしかに聞き覚えがありました。
「このお歌、知ってるわ」
火灯し妖精が嬉しそうに飛び上がって、オルゴールと一緒に歌い始めました。ブナの森から火山の麓まで、夜を渡してくれた渡し舟の、舟守りが歌っていた歌です。火灯し妖精は、最初から最後まで、歌詞を少しも間違えずに歌いました。
「良い歌ですね」
灯り捕りが目を細めました。
「これは、しるべの歌ですね。迷うものに道を指し示すための歌です」
灯り捕りの言うことに、実浦くんは心当たりがありました。たしかに、すずらんの小道へ迷い込んだ実浦くんは、この歌を頼りにして、舟の上まで戻っていったのです。
「では、これを歌えば、あのきょうだいたちの助けになれるでしょうか」
「ええ、きっと」
実浦くんは、火灯し妖精の歌うのを何巡か聴いて、歌詞を確認してから、小さな声で歌い始めました。歌を覚えたのか、灯り捕りも歌い始めました。
火灯し妖精と、実浦くんと、灯り捕り。オルゴールの音色に合わせて、しるべの歌を歌います。
蒼い梢の
紅い火花のレーヨンで 来た道しるし振り向けば
遠い砂漠の月影に お前の声が冴えわたる
そうして歌っていますと、実浦くんはだんだんと、自分の歌声と子供たちの電気言語とが、混じり合っていくことに気が付きました。
音と光。それそれの波が干渉し合い、ある部分は減衰させ、またある部分は増幅させ合いながら、やがてひとつの大きな流れとなって、空へ昇っていくのです。そしてその上昇気流は、歌を繰り返すたびにひとまわりもふたまわりも成長し、波の柱とも形容すべきものへとなっていきます。
いつのまにか実浦くんは、たくさんの人々の歌声の、その中のひとつになっていました。こんなに大勢の人々が、一体どこから歌っているのでしょう。男性の声、女性の声。子供の声、老人の声。あるいは、木々の声や虫たちの声や、星々の声も混じっているのかもしれません。その歌声たちは全て、あの子供らの最後のきょうだいを導く声なのです。
たくさんの人々の歌うのを聴いて、なぜだか実浦くんの鼻の奥が、つんと痛みました。そして今すぐ歌うのをやめて、泣き出してしまいたいように思いました。
悲しいのではなく、嬉しいのでもなく、ただ何の感情もなく泣きたいのです。それは、冠雪の霊峰を目前にしたときや、どこまでも続く水平に太陽がゆっくり溶けていくのを見たときに、自分でも分からないうちに涙を流してしまうような、それに似た気持ちなのでした。
歌と電波は、幾度となく繰り返されました。星のない空は、無限にそれらを呑み込んでいきました。子供たちは固く手を繋いだまま、一心不乱に電気を放っています。
いつまでも続くかと思われた通信でしたが、ふと子供たちのうち何人かが、何かに気がついたように空を見上げました。それに続いてほかの子供たちも、同じように視線を上へ向けます。
実浦くんたちは、子供たちよりずいぶん遅れて、その「何か」に気がつきました。アンテナを向けた空の一角に、六等星よりずっと暗い光の点が、たしかに見えるのです。
「見て!」と、火灯し妖精がそれを指差しました。実浦くんはうなずいて、いよいよ声高く、しるべの歌を歌います。子供たちの電気の声も、白く激しく発火して、屋上は今や真昼のような明るさです。
空の一点にあった、針の先のような光は、ぐんぐんこちらへ近づいて来ます。長い尾を引きながら、シリウスのようにいさぎよく燃えるあの光こそ、煤けた幼子たちの探し求めた、最後のきょうだいなのでした。
「おかえり、おかえり!」
一番背の高い男の子が、とうとうきょうだいたちと繋いでいた手を離して、空より降りてきた光に手を伸ばしました。それを皮切りにして、ほかのきょうだいたちも、光の降りてくる真下へと駆け寄り、それぞれ小さな腕をいっぱいに伸ばして、最後のきょうだいを迎えます。
彼らの指先が光へ届くまさにその一瞬、燃える光がほんの一瞬だけ、きょうだいたちと同じ幼子の姿となりました。ようやく触れ合えた指先。手を取り合ったきょうだいたちは、ひとつのまばゆい光となります。そのあまりの眩しさに、思わず実浦くんは目を瞑りました。
そして次に目を開けたときには、光はどこにもなかったのです。実浦くんの隣で、火灯し妖精が「あれっ」と声を上げました。屋上はもう全く静かで、火口からの灯りのほか光るものと言ったら、規則的に点滅する通信機のランプしかないのです。子供たちの姿すら、どこにもありません。
「みんな、どこに行ってしまったの?」
火灯し妖精が寂しそうに呟きますと、実浦くんの手の中で、オルゴールがぽろんと鳴りました。
『いるじゃない。そこにいるじゃないの』
実浦くんは、よく目を凝らします。あんまり眩しい光のあとだったので、目がくらんでいるのです。薄暗い屋上に目が慣れてきますと、実浦くんはひとつ見慣れないものを見つけました。金属で作られた卵です。表面はざらついた鈍色で、わずかに黒の濃淡で、まだら模様が描かれています。
実浦くんが卵に近づいて手を伸ばしたとき、指先が触れるか触れないかのうちに、卵の表面にひびが入りました。ひびは見る間に広がって、金属の殻はいとも容易く破られます。そしてひとすじの雷光が、空へと走ったのです。いいえ、それは雷ではなく、翼を持つ大きな鳥でした。
鳥はあっという間に空高く昇り、なおも翼を羽ばたかせます。羽ばたきのたびに、子供たちの笑う声が、実浦くんのもとに届きます。こんなに嬉しいことはないと言わんばかりに、きゃらきゃら笑いはしゃぎ合う声。その笑い声の中に、実浦くんの腕の中で泣いていた、あの子の声も混じっていました。もう何も、悲しいことなどないのでしょう。
「なんの鳥かしら」
火灯し妖精が言いました。「ヨダカかしら?」
「いや、ちがう」と言ったのは実浦くんです。
「あれは、はやぶさだ」
一羽の光のハヤブサが、遠く遠くどこまでも遠くへ飛んでいくのを、実浦くんたちはずっと見上げていました。あれはきっと、とてもよいところへ飛んで行くのだろうと、実浦くんは思いました。
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