12月14日【電気言語】


 屋上へ顔を出すと、さっき実浦くんを打った風の塊が、やっぱり今度も吹きすさぶのでした。子供たちは風に飛ばされてしまわないように、体の小さな子らを中心にして、丸くひとつところに固まりました。おしくらまんじゅうをしているようにも見えます。

「やけに風が強いな」

 そう呟きながら現れたおじいさんは、どこにしまってあったのか、両手いっぱいにたくさんのガウンを抱えていました。とても機嫌が悪そうです。

 けれど、子供たちがおじいさんを見つけて「おはようございます」と気持ちよく挨拶をしますと、おじいさんの気難しげな顔は、たちまちほころんでしまいます。

「やあ、悪いねえ。気持ちよく寝ていたろうに。さあさあ、これを着なさい」

 おじいさんは、実浦くんたちに話すときとは全く違う声でそう言って、厚手のガウンを子供たちに手渡しました。子供たちは「ありがとう」と言ってそれを受け取り、細い腕を袖に通します。みんな雪だるまのようなシルエットになって、やはりおしくらまんじゅうをしているようです。


『おじいさん、ちゃんと通信機に謝った?』

 ヒトリガが言いますと、おじいさんは「ふん」とそっぽを向きました。

「謝ったとも。だがこやつ、まだ動かんとぬかす」

『仕方がないねえ。では子供たち、出番だよ』

 ヒトリガが促しますと、子供たちはばらばらと返事をして、ひとつに固まったまま、通信機の側へ寄りました。そして、いまだ臍を曲げたままの通信機を、じっと見つめます。


 そのとき、子供たちの瞳から、ぱちぱちと電気が弾けたように思われました。実浦くんはじっと目をこらします。見間違いではありません。また、電気が駆け抜けました。

 紫に近いような、小さな稲妻です。それらは、ごく小さな破裂音を伴って空を走り、電信機の金属の体へ到達します。そうしますと、通信機はランプをちかちか点滅させます。

(これもまた、言語なのだ)

 未知の言語のやり取りを、実浦くんは興味深く見つめます。

 子供たちの瞳からは、とめどなく言葉が溢れました。まばたきと共に大きく弾けたかと思えば、ささやくように控えめな火花が上がります。

「ねえ、さっぱり分かんないわ」

 火灯し妖精が、実浦くんに耳打ちしました。「ぼくにも分からない」と実浦くんが答えますと、理解できていないのが自分だけではないと知った火灯し妖精は、安心したように「なあんだ」と言いました。


「あれは何の言葉かしらね。植物たちの言葉じゃないし、虫たちの言葉とも違う。星のささやきに少し似ているけれど」

『あれは、機械の言葉だよ』

 火灯し妖精の疑問に答えたのは、ついさっきまでヒトリガだった芋虫です。ヒトリガのままでは、屋上の強い風に飛ばされてしまうかもしれないので、今は芋虫になって実浦くんの頭の上にいるのでした。

『機械の言葉は色々あるのだけど、あの小さな稲妻もそのひとつだ。他にも、ぼくがさっきやった、光の点滅のパターンや、音の長短のパターンで会話をすることもある』

「機械って、おしゃべりなの?」

『ものすごくお喋りだよ。いつも誰かと話したがっているし、たいてい誰かと喋っている』

「誰と?」

『空の星々なんかと。きみの言う通り、彼らの言葉は似ているから』


 やがて、子供たちと機械との会話は一区切りついたようで、きょうだいたちの中で一番背の高い男の子が、実浦くんたちの方へやってきました。そして「あのね」と、実浦くんの様子を上目遣いに伺いながら言います。

「もう少し時間がかかりそうなんです。通信機さん、ぼくたちと話せたことが嬉しくて、ぼくたちの話をもっと聞きたいと言うんです。だからもう少し、待っててもらって構わないですか」

 もちろん、駄目と言うわけがありません。実浦くんが了承すると、男の子は煤けた頬を安堵に緩め、また通信機のもとへ戻っていきました。

「では、はじめに話したいもの」

 彼が言うと、何人かの子供たちが元気よく手を上げました。背の高い男の子は、ひとりひとり指名して話す順番を決め、輪の前列へ並ばせました。

 順番の最初の子が、花のように弾ける元気の良い電気を発し、話し始めます。引っ込み思案で、あんまり話すのに向いていない子は、集団の後ろの方に下がって、きょうだいたちがあれこれ話すのを聞いています。子供たちはそれぞれの距離を保ちながら、輪の中に混ざっているのでした。


 実浦くんは、その最後列にそっと近寄って、彼らの言葉に耳を傾けました。ぱちぱち、ばちばち、弾けています。

 どの子も、語りの喜びに満ち溢れていました。聞いているだけで、少しも話さない子ですらそうでした。他人の話すことを聞くというのも、たいへん興味深く喜びをもたらすものですが、自分のことを話すというのも、同じくらい喜ばしいことなのかも知れません。



 言葉の弾ける音を聴きながら、実浦くんはふと、ひとりの子供に目を留めました。語りの輪の一番外側で、柔らかな微笑みをきょうだいたちに向けている男の子。さっき、実浦くんのところに、語りの許可を貰いに来た背の高い子です。きょうだいたちをまとめた後は、自分は語りに加わらず、最後列で静かにしているのでした。

「あの子らは、何の話をしているんですか」

 実浦くんは、子供たちの邪魔をしないよう小さな声で、彼に尋ねてみました。

「ぼくたちがこなしてきた、お役目のお話をしています」

「それは、夜の国へ来る前のことですか」

「そうです。ぼくは、金属だってねじ曲がるようなひどい熱から、きょうだいたちを守るお役目でした」

 微笑んだまま、彼は答えました。そして、煤けた指をきょうだいたちに向けました。まず、通信機にもたれかかっている子を指差します。

「あの子は、きょうだいたちがばらばらになってしまわないよう、繋ぎとめるお役目でした」

 次に、長い髪の毛を指でいじりながら、白っぽい電気を弾けさせている女の子を指差しました。

「あの子は、きょうだいたちが遠くまで飛べるよう、体いっぱいに燃料を満たしていました」

 たくさんいる子供たちの全員が、それぞれのお役目を持っていたのです。男の子はそれをひとつずつ、ひとつも間違えずに説明します。

 全て聞き終えたとき実浦くんは、彼らがここに来る前に一体なんだったのか、それに思い当たったような気がしました。そしてその途端、胸が切なく締め付けられました。


 話している子供たちは、みな嬉しそうです。彼らのお役目というものは、彼らにとって等しく誇らしいものであったのでしょう。けれどそのお役目を終えたから、彼らは夜の国へ放棄されたのです。果たしてそれを喜んで良いものか、実浦くんには分かりません。

「ここへ来たことが、悲しくはないのですか」

 以前にも同じように尋ねたことを、実浦くんは覚えていました。すずらんの小道で出会った外套の少年に、放棄されたことが悲しくないかと問うたのです。あのとき実浦くんは、失礼なことを訊いてしまったと思って、自分の浅はかさを恥じました。

 けれど今は、実浦くんは、訊くべきこととしてこれを尋ねます。


 男の子は微笑んだまま、注視していなければ分からないほどかすかに、頭を横に振りました。

「ぼくはかえって、お役目が終わってほっとしたのです。きょうだいたちから切り離されたとき、ぼくは光の畑みたいにきらめく海に落ちながら、高く高く昇っていくきょうだいたちを見ました。そしてこれでもう、ぼくはなんにも頑張らなくて良いのだと思うと、始めて気の安まるような思いがしたのです。そしてぼくよりずっと長く頑張らなければならない、もっと大切なお役目を背負ったきょうだいに、本当にすまないような気持ちがしたのです」

 男の子の瞳には、薄い涙の膜が張っていました。膜はやがて重力に従って、彼の下まぶたに沿って丸く溜まり、頬の上を滑り落ちていきます。煤けた頬に、涙のとおったあとがひとすじ、流星のように残りました。


「ぼくそのときは、ぼくが代わってやれたらどんなに良いかと思ったんです。だけども同時に、ぼくには到底できっこないとも思いました。果てのない宇宙を、たったひとりで旅しなければならない寂しさなど、いったい誰が想像できますか」

 男の子の頬に、無数の星が流れます。実浦くんは思わず、彼の肩を抱きました。きょうだいの苦しみを肩代わりしてやれなかったことや、きょうだいの味わう孤独に怖気づいてしまった罪の意識が、この幼い体いっぱいに詰まっているのです。

 何か言葉をかけたいと思ったのですが、彼のつらさを慰めるどんな言葉も、実浦くんは知りませんでした。


 彼を抱きしめていますと、厚いガウンに守られた肩から、すすり泣く電気言語が伝わってきます。それは深い深い宇宙の色の中に、ぼわっと浮かんだ星雲のような、遠くに見る星団の光のような、淡い輪郭の電気でした。その言葉は、実浦くんの頭蓋の内側にしばらく反響しますと、やがて無数のパルスにまぎれて消えてしまいました。

「きみは悪くない」

 実浦くんはそれだけ言いました。男の子は、温かなガウンと実浦くんの腕に隠れて、きょうだいたちに見つからないようひっそりと、電気言語の泣き声を上げ続けました。


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