12月13日【屋上】
屋上へ上がる階段梯子は、傍目には決して分からない物置の中に隠してありました。おじいさんは階段梯子の中程に腰掛け、天井の跳ね扉を開けようと頑張ります。
あんまり危なっかしいので、実浦くんは思わず「ぼくがやります」と申し出ました。おじいさんは「馬鹿にするな、わしがやる」と怒鳴りましたが、もう一度開けようと頑張ってみて、しかし跳ね扉はびくともしませんでしたので、「やってみなさい」と偉そうに、実浦くんに場所を譲りました。
跳ね扉は、鍵もないのにやたらと固く、がんとして開く素振りを見せません。実浦くんは押したり引いたり、左右に揺すぶってみたりします。
その物音を聞きつけて、火灯し妖精たちが物置までやって来ました。
「まあ、そんなところに扉があったのね。見落としていたわ」
火灯し妖精は、すーっと実浦くんのそばまで飛んできて、実浦くんの肩に座りました。橙色のほのかな熱が、実浦くんの耳のあたりを照らします。
「開かないの?」
「開かないんだ」
『ぼくに任せて』
火灯し妖精が座っているのと反対側の肩に、青白いヒトリガがとまって言いました。そしてヒトリガはぱっと羽を広げたかと思いますと、素朴な造形の金属の鍵になって、実浦くんの手の中にぽとっと落ちました。
「でも、この扉には鍵穴がないよ」と実浦くんが言いますと、鍵は『開かない扉と対話するには、鍵になるのが一番なんだ』と言いました。
そういうものなのでしょうか。実浦くんはとにかく鍵の言うことを信じてみることにして、跳ね扉の取っ手に鍵を近づけます。すると、なにやらごにょごにょと、声が聞こえたようでした。
それはちょうど、隣の部屋で誰かと誰かが話しているのを聞いているような、そんなもどかしい感覚でした。声が聞こえ、何か会話をしているのは分かるのに、その内容が聞き取れないのです。
近くて遠い言葉を駆使しながら、ヒトリガだった鍵は、跳ね扉と話します。そしてどうやら話し終わりますと、あんなにびくともしなかった跳ね扉が、わずかに身を震わせ、そのままぱちんと開いたのです。
『ね、開いたでしょ』
鍵は、ヒトリガに戻りながら、得意げに言いました。
いよいよ屋上へ顔を出しましたとき、質量を持った重たい風が、どうっと実浦くんの頬を打ったように感じました。その風に感じ入っていますと、下の方から「つかえてるよ、早く上がっておくれよ」とおじいさんの怒った声が聞こえましたので、実浦くんは慌てて屋上へ上がります。
屋上は、真っ暗で、けれど静寂ではありませんでした。ごうごう、低い音が常に鳴っています。それは耳鳴りのようにも思えるのですが、実際には闇を吹き抜ける風の音でした。実浦くんの服の裾や髪の毛は、風に煽られてあっちこっちになびきました。それでも、こんなに風が強いのに、一体この風がどちらから吹いてきているのか、実浦くんには見当もつかないのでした。
隅の方へ寄ってみますと、手すりの向こうに、紅く明るい火口が一望できます。火口は無限とも思える熱を脈動させ、やはり無限とも思える炎の群れを吐き出し続けています。
(もしかしたらこの風は、あの火口から吹いているのかも知れない)
実浦くんは考えます。
(そしてやはり、あの火口へ吹き込んでもいるのだ。きっとそれが同時に起こっている。だから、この風がどちらから吹いているのか、ぼくにはさっぱり分からない……)
「おい、おい。そっちへ見とれていないで、手伝っておくれ」
おじいさんがそう言わなければ、実浦くんはいつまでも火口を見つめていたかもしれません。そういうわけにもいかないので、実浦くんは視線を熱源より外し、おじいさんの呼んだ方へ向かいます。
おじいさんは、なにやら難しそうな機械と格闘しているようでした。機械には、たくさんの計器やランプがついています。それらは一応、動いてはいるのですが、メーターの針はあちらこちら好き勝手に振れ、ランプは滅茶苦茶に光り、傍目から見ても、制御が出来ていない様子でした。
「いや困った。電源は入ったが、全く言うことを聞かん。おまえさん方、機械いじりは得意かね」
実浦くんは、申し訳なさそうに首を横に振りました。灯り捕りも「いいえ」と言いました。
三人そろって困っていますと、また先頭に立ったのはヒトリガでした。ヒトリガはぱっぱっと羽を広げたかと思いますと、まだら模様を規則的に点滅させ始めたのです。
そうしますと、通信機の方も、似たようなパターンでランプを点滅させます。その光の点滅は、恐らく実浦くんの知らない言語なのでした。
点滅言語のやり取りはしばらく続き、やがてヒトリガが『なるほどねえ』と言いました。
『どうやら、拗ねているようだよ。長いこと使われないで、放ったらかしにされていたから』
そうしますと、おじいさんは「なんだって」と憤慨します。
「そんなことを言ったって、どこと通信する用事もないのだから仕方ない」
『さっき開かなかった跳ね扉もね、本当は拗ねていたんだよ。お願いしたら開いてくれたけど、時々は使ってあげなよ』
「そんなことを言ったって、使う用事がないのだから使うこともない」
しかし、おじいさんがいくら憤慨したところで、拗ねた通信機は元には戻りません。『まあ、謝ることだね』と、ヒトリガはのんびり言いました。
「では私たちは、一階に降りて、あの子たちを起こして来ましょうか」
そう提案したのは、灯り捕りです。
「どうか動いてくださいと、みんなでお願いをしたら、通信機も機嫌をなおしてくれるかも知れませんから」
実浦くんは、何の異論もなく、その提案に賛成しました。なんとなく、実浦くんたちがここにいては、おじいさんはいつまでも通信機に謝れないのではないかと、そう思ったためです。
実浦くんたちは、連れ立って階段梯子を降りてゆきます。後ろから、おじいさんがぼそぼそ喋り始める声が聞こえましたが、実浦くんはそれを聞かなかったふりをしました。
一階に降りて、暖炉の部屋に戻ります。子供たちはまだ、みんなぐっすり眠っています。実浦くんは、こんなに深く眠っているところを起こすのも可哀想に思ったのですが、幼子の耳元で「おはよう」とささやきました。子供は身じろぎしながら薄目を開けて、覚醒の素振りは見せるものの、いまだ夢の中です。
「誰も起きないわ。よっぽど疲れていたのね」
火灯し妖精も、気の毒そうに言いました。大きな声を出して、無理に起こしてしまうことも出来るのですが、それではあんまり乱暴です。
みなが困っていますと、灯り捕りが「そうだ」と嬉しそうな声を上げました。そして、彼女の大きすぎる鞄を探って、中からあのスケッチブックを取り出しました。黒い厚紙にあらゆる灯りが写し取られた、神秘のスケッチブックです。
「確かこのあたりに……ああ、あった。さあみなさん、そろそろ目覚める時分ですよ」
灯り捕りは、スケッチブックを開いて、子供たちの方へ差し向けました。すると、たちまち部屋の中は光に満たされたのです。
澄み切った雪解け水のような、冷たく清廉な光です。透明の中に、ときおり黄金の針のような光が、疾く鋭く走ります。それは決して残酷な鋭さではなく、それを体に浴びた途端に思わず姿勢を伸ばしたくなるような、凛とした気持ちの良い鋭さでした。
その光を浴びますと、子供たちは寝ぼけたような声を上げながらも、一人また一人と背伸びをして、ソファから起き上がります。あくびをして、髪の毛を手ぐしで整えて、小さな手で目元を擦ります。そしてきょうだいたちで互いに顔を見合わせて、目が覚めてもまだ一緒に居られる喜びに、にこっと笑いました。
「これは、ある星に一番最初の命が生まれた日、その日の朝の光です」
灯り捕りは、懐かしそうに微笑みながら呟きました。それを見て実浦くんは、この人は本当に、実浦くんにはとても想像が出来ないほど遠く、数え切れないほどたくさんの土地を旅してきたのだと感じ、改めて驚くのでした。
「さて、それではみなさん」
灯り捕りが、子供たちを集めて言いました。
「みなさんにお願いがあります。屋上にある通信機が拗ねてしまって、どうにも使えないのです。それを私たちとみなさんで、動いてくれるようお願いしたいのです」
子供たちは「つうしんき?」「わたし、知ってる」「ぼく知らないや」などとざわめきました。すすきのそよぐようなざわざわがおさまると、「はあい」と、子供たちのうち一人が、姿勢よく手を上げました。「はい、どうぞ」と、灯り捕りがその子を指しました。まるで、学校の生徒と先生のようです。
「通信機で、何をするのですか」
「ええと……」
灯り捕りが、確認するように実浦くんを見ましたので、実浦くんは一歩前に出ました。
「通信機を使って、きみたちの最後のきょうだいに、電波の声を送るんです」と、灯り捕りの代わりに答えます。
「たくさんのきょうだいが、ここであなたを待っていますよと、そういう電波を送ります。そのための、通信機です」
そうしますと、たくさんの声が跳ねました。いよいよ、探し求めていた最後のきょうだいが見つかるかもしれない。期待と希望の声です。これはもうなんとしてでも、通信機には機嫌をなおしてもらわねばなりません。
子供たちはせせらぎのように清い歓声を上げながら、屋上へ向かいました。
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