12月12日【暖炉の前で】


 甘いホットチョコレートを飲んで、お腹も膨れたし体も温まった子供たちは、今は煤けた身を寄せ合って寝息をたてていました。観測所のソファはとても大きく柔らかいので、子供たち全員が横になっても、充分ひろびろとしているのです。

 おじいさんは音をたてないように慎重に、子供たちに薄い毛布をかけて回りました。実浦くんも、少し手伝いました。

 火灯し妖精たちは、観測所の中を見て回るため、連れ立って二階へ上がっていきました。火灯し妖精が「二階には何があるの」「中庭はどうなっているの」「お部屋は全部でいくつあるの」などと立て続けに質問をしたため、答えるのを億劫がったおじいさんが「好きに見てまわるといい」と許可を出したのです。


 おじいさんは、ひどく疲れてしまったようでした。それは、おじいさんの持っていたいわゆる生命力とかいうものを、すべてホットチョコレートに注ぎ込んで、子供たちに飲ませたからであるように思えました。

「ああ、やれやれ」

 カンラン石の輝く暖炉の前に、くたびれた木製の椅子を持ってきて、おじいさんはこれまたくたびれたように座りました。実浦くんは、怒られやしないかとびくびくしながらも、おじいさんの隣に椅子を置き座ります。おじいさんは実浦くんをひと睨みしましたが、あっちへ行けとは言いませんでした。



「ぼくたちがどこから来たのか、訊かないんですね」

 実浦くんが言いますと、おじいさんは実浦くんを馬鹿にするように、フンと鼻を鳴らします。

「どこから来たって、この夜の国ではどこもたかが知れている。せいぜい少し明るい場所と、全く暗闇ばかりの場所があるくらいだ。それにいちいち訊かなくとも、わしには大概分かるんだ」

 おじいさんは少し得意げに、まるで楽団の指揮をするような調子で、人差し指を左右に振りました。

「あの礼儀のなっていない小さな娘は、恐らくもともと人間だったものだ。せわしなく飛び回るヒトリガは、どこまでも可変で自由なものだ。荷物の多すぎる娘は、夜の国の外側から来た旅人だ。違うかね?」

 実浦くんは驚きました。実浦くんが知っている限り、おじいさんの言ったことは、全て正しかったのです。そう言いますと、おじいさんは更に得意になって、とうとう仏頂面の上に笑顔らしきものを浮かべました。

「そうだろう、そうだろう。わしは、観測することは得意なんだ」


 おじいさんがそう言ったので、実浦くんは思い出しました。実浦くんたちはここに、望遠鏡を求めてやってきたのです。実浦くんは、改めて頼んでみます。どうか、望遠鏡を使わせてもらえないだろうか。子供たちの最後のきょうだいを、見つけてあげられないだろうか。

「お願いします。もし何か対価が必要なら、ぼくなんとか工面しますから」

 おじいさんはしかめっ面で、黙ってうつむきました。その表情は、実浦くんのお願いをいやがっているというよりも、体のどこかがとても痛くて、それを我慢しているといったふうでした。

 やがて、おじいさんはうめき声にも似た声で呟きます。

「あるんだ、あるんだよ。望遠鏡はいいやつがあるんだ。でも使えない。燃えてしまったのだよ。もうまともに使えないのだ」

 おじいさんは、水分の少ないしわしわの頬を、指でごしごし擦りました。


 実浦くんは、おじいさんにつらい告白をさせてしまったことを、申し訳なく思いました。「ごめんなさい」と絞り出すように言うと、おじいさんは明るいカンラン石を見つめながら、ゆっくりとまばたきをしました。

「いや、良いんだ。この国のものたちは、誰でもそう変わらない身の上だ。それに、わしはここが気に入っている」

「この国が好きなのですか。こんなに暗いのに」

「光を観測するには、暗くないといかん。煤けた瞳で見ようとするならなおさらだ」

 そう言っておじいさんは、大きなレンズのような目をぎょろっと動かして、すやすや眠っている子供たちを見ました。ふっくらとした唇は少しだけ開かれて、口の端からよだれが垂れています。寝息と同時に、毛布の下の柔らかなお腹が上下します。何か夢を見ているのか、ときどきまぶたや指の先が、電流の走ったようにびくっと動きます。


「あの子らは本当に、愛されるべきものたちだ」

 それは、祈りの言葉のようでした。

「自ら光り輝くべきものたちなのだ。本当はね。あの小さな娘のように」

 おじいさんは、二階へ通じる階段を横目に見ます。観測所の探検はよほど面白いらしく、誰もまだ戻ってくる気配はありません。実浦くんは、初めはあんなにおじいさんが怖かったのに、今はおじいさんと二人だけで話せることを、嬉しく思い始めていました。

「この国では、自ら輝くものと、そうでないものがあるようです。ぼくは火灯し妖精に光を分けてもらうまで、全く闇とおんなじでした。一体、何が違うのでしょう」

 実浦くんが尋ねると、おじいさんはちょっと気の毒そうに、実浦くんを見ました。そして、指の先で真っ白な髭をねじって遊びながら、「それはだね」と言います。

「光は、夜の国の外からもたらされるのだ。誰かが、放棄されたもののことを思い出し、愛おしく思うたびに、その存在は光り輝くのだよ」


 それを聞いて、実浦くんは足元の床板が突然消えてしまったような錯覚に陥りました。ここまで登ってきたぶんの高さから、突き落とされるような落下感です。それをもたらした感情は、悲しみよりももっと手に負えない、寂しさというものでした。

「では」と、実浦くんは平気そうなふりをして、なるべくいつも通りの声を出します。

 そして「では、ぼくを思い出すものは誰もいないのですね」と続きそうになった言葉を、ぐっと飲み込みました。そのあまりに寂しすぎる言葉の代わりに「では、火灯し妖精は、いつも誰かに思い出してもらってるんですね」と言いました。おじいさんは、実浦くんの寂しさに気が付かないふりをしてくれました。

「そうだ。放棄されてなお、惜しまれ、慈しまれ、忘れ去られずにいる」

「前に一度、あの子の光が消えてしまったことがありました」

「生きているものは忙しいのだ。放棄されたものを、いつ何時でも思い出しているわけにはいかない。失われたもののことばかり考えていては、やがて生きていけなくなってしまう」

「ああそうです、ぼくは」

 実浦くんは何か言おうとして、何を言おうとしたのか分からなくなって、じっと黙ってしまいました。

 すぐ喉元で失われた言葉を、実浦くんは何とかして取り戻そうとしたのですが、もはや実浦くんの心のどこにも、口にすべき言葉はなかったのです。

「まあ、わしに言わせてみりゃあね」

 と、おじいさんが少し大きめの声を張り上げました。

「光らないからといって、それがどうということもない。現に、わしは元気にやっている」

 実浦くんは、それが失礼にならないか少し考えてから、「そうですね」とうなずきました。



 やがて実浦くんもおじいさんも、しっかり口を閉じて、無言のまま暖炉を眺めるだけになりました。

 カンラン石は、ぱちぱち音を立てながら光っています。その音は、石の表面に細かなひびの入る音です。

 子供たちの寝息も聞こえます。二階から、何かを見て感嘆しているらしい火灯し妖精の声も、わずかに聞こえます。

 それら全てが混ざり合い、干渉することなく見事に調和して、時間というものの呼吸音をかたち作っているようでした。

「そうだ」

 時間が何度か深呼吸をしたあと、おじいさんが突然、思い出したように言いました。

「電波通信をやってみよう。きょうだいたちがここにいると分かれば、向こうからこちらへ来てくれるかも知れない」

 おじいさんはやにわに立ち上がり、さっさと階段を登っていってしまいます。その動きがあんまり俊敏でしたので、実浦くんは慌てて小走りになって、息を切らして追いかけなければなりませんでした。

「通信機器は屋上にある。やってみよう、それが良い」

「電波通信が、あの子らのきょうだいに届くでしょうか。届いたとして、それが理解できるでしょうか」

 実浦くんが心配そうに言いますと、おじいさんは振り向いて、自信たっぷりににやっと笑いました。



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