第261話 夜明け 1

 それから正月が過ぎ、葵の上が目覚めた翌年の春、ついに新しい内裏が完成していた。


 東西約220m、南北約303m、真新しい紫宸殿ししんでんが、外郭の建礼門けんれいもんから遠くのぞき見える。


 前にある南庭に植えられた満開の桜の花と、まだ時期には早いはずなのに、新しい帝を祝うように、早くに咲いた橘の花が、夢のような光景を作り出していた。


 後宮の七殿五舎しちでんごしゃは、桐壺(淑景舎しげいしゃ)が消えて、七殿四舎しちでんよんしゃになった以外は、ほぼそのまま再現されていて、後宮には帝より先に、皇后宮職こうごうぐうしき別当べっとうを始めとした後宮の官吏や、皇太后こうたいごうが入り、新しい帝のために、皆は心をひとつにして、抜かりなく準備をしていた。


 蔵人所など内裏内の他の殿舎でんしゃにも、次々と官吏たちが出仕して、宝物や武具などを、あるべき位置に戻してゆく。


 紫苑たちが隠れていた『妖怪がいる荒れた海の描かれた豪華な屏風びょうぶ』も、無事に元の位置に設置されていた。


「まだ終わらんのか? 明日には帝がこちらに戻られるのだ!!」

「早く終わらせたきゃ、黙っててくだせえ!! 相手をしてると、手が止まるんでさぁ!!」


 しかしながら、その一角で、もう夜も明けようかという頃、昨日の夕方に急遽呼び出された二人の大工が、引きつった表情の官吏に急かされていた。


 官吏は、『賢聖障子けんじょうのしょうじ』と呼ばれる紫宸殿ししんでんにある三十二名の賢者が描かれた障子を囲む建具を、うっかり傷つけてしまい、呼び出された大工たちは大慌てで、建具の入れ替えに徹夜で取り組んでいた。すっかり夜が明ける頃に、なんとか元に戻った美しい建具の姿に官吏は安堵し、大工は追われるように、せわしなく次の現場に急ぐ。


 全焼した内裏の再建は、内裏の造営や修理を担当している修理職すりしきだけでは、とても手が足らず、常日頃は寺社仏閣や大貴族を、もっぱら相手にしている大工たちも、ここ数年は動員されていた。


「次の現場に行くぞ!!」

「……京見物したかった」

「そんな時間かあるかバカ野郎!!」

「ちょっと、誰か俺の大工道具知らねえか?!」


 そんな小さな騒ぎはあったが、梅宮祭うめみやのまつり賀茂祭かものまつりの間をぬって、帝は無事に新しい内裏に無事に移られる。


 真新しい檜が薫り、大内裏から内裏への路には、早くに咲いていた桜と橘の花弁が、柔らかな日差しの中で、そよ風にゆらゆらと舞う。


 十二歳で帝となった朱雀帝は、もう十七歳、国の統治者としてふさわしい立派な青年となり、そのりりしくも、お美しいお姿は、欠けたるところのない、みなが待ち望んだ帝のお姿であった。公卿をはじめ、殿上人たちは尊敬の念しか浮かばぬ。


 彼は、帝だけに許される黄櫨染こうろぜんの色に染められた束帯を身にまとい、堂々とした所作で、屋根に金の鳳凰の飾りがついた輦輿れんよと呼ばれる巨大で豪華な輿こしに乗り込み、大勢の駕輿丁かよちょうと呼ばれる近衛府このえふの武官は、輦輿れんよを担いで里内裏を出発した。


 ご承知の通り、関白のやかたと内裏は目と鼻の先、やはり今回も葵の上の初出仕同様に、大回りをして、羅城門から出発することとなったが、今回は更に豪華絢爛な行列となる。


 輦輿れんよのうしろには、関白や葵の上たちが乗った唐車からぐるま、右大臣ら朝廷の高官が乗った牛車、女官などを乗せた副車が何十台も続く。


 先導には複数の騎馬の随人(警備)の隊列に、さむらい小舎人童こどねりわらわ、供人に牛飼い童。鳥を模した極彩色の羽をつけた豪華に着飾ったわらしたちの行列が、金色の盆に載せた桜の花や餅をまきながら、誇らしげな顔でねり歩いていた。


 輦輿れんよは桜と橘を目印に、左右の近衛府このえふの武官たちが、ずらりと二列に居並ぶ列の間を通り、桜と橘の花びらが舞う中、出迎えのために先に内裏で待っていた公卿や殿上人たちが待つ紫宸殿ししんでんに到着すると、御階みはし(階段)に寄せられる。


 輦輿れんよから降りた帝は、真新しい紫宸殿ししんでんを、ぐるりと見てから、黒の漆塗りに、金の装飾が施された二十三尺(約7メートル)もの高さにしつらえられた新しく取り入れた高御座たかみざに向かう。


 八角形の高御座たかみざ、それぞれの柱には、外は紫色、内は朱色のとばりである垂れ衣があり、いまは柱に結ばれていた。


 中央にある玉座に腰をかけて、居並ぶ黒の束帯姿の公卿たちを見下ろすと、関白と尚侍ないしのかみが着座するのが見える。


 御年十八歳を迎えた尚侍ないしのかみも、帝が新しい内裏に移るのに時を合わせ、ようやく復帰を果たしていた。


 *


『小話/杓』


紫苑「落ちましたよ――」


某貴族「あ、これはこれは、失礼を!」杓は、使わない時は背中のベルト部分に挟んでいる。


紫苑「結構、落ちてたり、落としたりしてますよね」


葵「なくしたら大変よね」


紫苑「本当ですよねー」実は紫苑と知り合うきっかけに、みんな、落としてるけど、気づいてないのでした。


六「鈍感力……」


紫苑「はい?」吞札をもらいにきてる。


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