第260話 入れ替わる光と影 15

〈 左府さふのやかた 〉


 そんな光源氏の事件とは別に、別の大騒動が持ち上がる。


 なんと日頃から闊達な朧月夜おぼろづきよの君が、元気を取り戻した葵の上が、密かに左府さふと剣術の稽古をしているのを見つけ、あまりに凛々しくも美しいお姿に、心を撃ち抜かれて、自分も習いたいと言い出したのである。


 しかしながら、さすがに女御にょうごになる姫君が、怪我でもしては大変と、葵の上や左府さふだけでなく、関白や三条の大宮、いまは皇太后となった弘徽殿女御こきでんのにょうごまでが総出で止める。


「じゃあ、女御にょうごになるのをやめる!」

「えっ?!」


 朧月夜おぼろづきよの君は、そんな風にゴネにゴネて、こうなれば最終手段とばかりに、関白のやかたに遊びに行った時、帝のところまでコッソリ行くと、嘘泣きをしながら、直談判をしていた。


「姉君はよいのに、わたしは駄目って言われるんです……」

「…………」


 姫君に泣きつかれた帝は、葵の上が密かに武術を嗜んでいることに、大層驚いていらっしゃったが、右大臣のやかたや、光源氏の事件があっては、左府さふも心配になったのであろうと、勘違いしたまま、なんとか納得していた。


尚侍ないしのかみに武道を教えるなど、仕方のない左府さふですね。先に側づかえの女官を、教育するべきでしょうに。しかし、それならば、姫君だけ我慢をするのは、お可哀想だ」

「そうでしょう? そうでしょう?」


 帝は、嬉しそうな姫君を抱き上げ、苦笑しながら、慌てて追いかけてきた関白たちに、条件つきで許可をするようにと口添えをする。彼は母君と瓜二つの朧月夜おぼろづきよの君を見るたびに、自分の父である先帝の後宮に入ってからの、母君のご苦労を思い出し、この姫君の健やかな笑顔を守ってあげたいと思うのであった。


「姫君にも、尚侍ないしのかみと同じ武道のご教育を、許すようにして差し上げなさい。しかし、姫君のお相手は、尚侍ないしのかみだけになさるように」


 何事かと、コッソリ関白たちについてきていた秋好姫宮あきこのむひめみやは、そんな帝の御言葉に、目を見開いて絶句していたが、後日、左府さふのやかたで尚侍ないしのかみの回復を祝ううたげが盛大に開かれ、そのまま泊った翌日の早朝、朧月夜おぼろづきよの君に誘われ、葵の上と左府さふの稽古を、コッソリとのぞく。


 するとまったく想像とは違い、まるで舞のように美しい、葵の上の体捌きを見て、自分には無理だとは思いながら、朧月夜おぼろづきよの君が憧れるのも無理はないと、感嘆のため息をついていた。


 なにせ、実践の目的しかない検非違使の別当たちとは違い、葵の上の技は根本的に『演武えんぶ/学んだ技を披露すること』の下地の延長線上にあり、それがゆえに葵の上の動作は、戦うための技でありながら、手の指の先から足のつま先まで、流れるように美しかったのである。


 なお、帝の言葉のあおりを受けて、“側づかえの女官”の紫苑は、その日から朧月夜おぼろづきよの君と一緒に、まずは、受け身の練習をさせられていた。


「いたいっ! いたたたっ……!」

「大丈夫?」

「大丈夫じゃない!」

「わたし、女房でよかった――!」


 菖蒲あやめ撫子なでしこは、筋肉痛に苦しむ紫苑の不幸を、気の毒に思いながら、胸を撫で下ろしていた。


 正式に女子大学寮で、武芸を修めた女武官たちが、後宮に配置されるまで、紫苑のように年若い内侍司ないしし以外の女官たちは、臨時ではあるが、どうせ尚侍ないしのかみが姫君に教えているのだからと、稽古に強制参加をさせられて、筋肉痛に悩まされる日々を送る羽目になっていた。


 とんだ、とばっちりである。


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