第259話 入れ替わる光と影 14
元のお話とは解離した物語の中で、揺れ動きながらも、お互いにはじめて出会った夢の中のように、再び相まみえた瞬間であったが、やはり理解し合うことはなかった。
「そのような危ないものを、女君が触れ……」
葵の上は、彼がそう言い終わらない間に、「えいっ!」と言う掛け声と共に、刀でもって音もなく真横に一閃の光を走らせ、彼の頭上を
先が切り払われた
葵の上は『あ、
「ああ! なにをする!」
彼が慌てて声を上げると、上から冷ややかな声が降る。
「第二皇子、いや光源氏、
「なにをと言われても……あんなところに通って、なにをどうしろと? わたくしには既に身につけた教えばかりなのに!」
葵の上は、半分呆れ、半分は、変わらぬ光源氏に、そっと笑って、勝利を確信した。
いくら葵の上が、幼い頃からの努力や、
美貌だけでなく、すべての才能に恵まれた光源氏は、もし、既に武芸の講義を受けることが、必須になっている大学寮にさえ通っていれば、同じくらいの、あるいは葵の上をしのぐ、武芸を身につけていただろう。しかし言うまでもなく、彼はその貴重な最後のチャンスを、ふいにしていた。
「そう、身につけている教えばかりと言うのなら、次は、遠慮はしませんよ? その
そう言った葵の上は、あえて威圧するように刀を上段に構え、じりじりと光源氏に迫る。当然のことながら不登校で、時代に完全に乗り遅れていた光源氏は、震える以外なす術はなかった。
彼は
光源氏が、痛さの余り転げ回っていると、騒ぎに駆けつけた紫苑に見つかり、当然のことながら大騒ぎがはじまり、「ちょっとは反省したらどう?」そんなことを、光源氏は見えない
その頃には、もう外はすっかり明けていて、案の定、
それでもなんとか乳母の古びた家に逃げ帰った彼は、その一室で小さな鏡をのぞきこみ、一生治らなかったらどうしようと、誰にも会わずに、鼻の頭を真っ赤にしたまま、何日も熱を出して寝込んでいた。
「あ! アイツを逆さ吊りにするの、忘れてた!」
小さな
「ま、これで大人しくして、反省してくれたら、一番なんだけどね……」
葵の上は、追い返した直後は、大宰府に行け、大宰府! と、腹を立てていたが、しばらくすると、とんでもない目にあったとはいえ、自分に運命を変えられてしまった光源氏に、ほんの少しだけ同情して、今回だけは見逃すことにすると、少しでも寝ようと布団に潜り込む。
「まあ、肘の関節は、この時代だから、完全には治らないだろうし、光源氏は恥をかかせた方が、ダメージが強そうだから、
そんな独り言を、布団の中で言っていると、話を聞いて、
「ご無事か!?」
「追い返したから大丈夫です。あんな軽率な弱虫、相手にする必要もないですわ」
葵の上は心配そうな顔から一転して、笑いをこらえた顔になった
そんなことを思い、
なぜならば、葵の上の部屋に再び戻っていた式神の小鳥が、光源氏にとって、なにを意味するのか、感づいていたから。
案の定、光源氏が乳母の家に帰り、痛む肘を撫ぜていると、枕元に現れて、呪いをかけた者がひとり。
「化物! 誰か! 誰か随人を!」
枕刀を手に光源氏は叫ぶが、誰も来ない。静まり返る空間に浮かぶのは、物の怪よりも醜い『真白の陰陽師』の“六”と呼ばれる男だった。
あまりの異様さに硬直していると、彼はすっと手を上げる。ドロンとした目になった光源氏は、彼の色素の薄い瞳に魅入られたように固まっていたが、トンと額を指で突かれると、あっという間に眠りにつく。
目覚めた時には誰もおらず、いつもの自分の部屋に、ひとりきりであったので、酷い夢を見たと思い、これもあの男女の機微を理解せぬ、浅はかな葵の上のせいだと思いながら、布団に横になり念仏を唱えていた。
式神を通じて騒ぎを知った“六”は、光源氏を空に浮かべて、くびり殺してやろうと思い、彼のあとをつけて、密やかに部屋に入り込んでいたが、葵の上が事件に巻き込まれるのを恐れ、彼に少しばかり
「
彼は帰り道、そう独り言を呟いて陰陽寮に出仕し、無表情で自分の仕事を片づけて家に帰り、不気味な笑みを浮かべる。
「どうかしたの?」
そんな“六”の家に、呑札を取りにきたついでに、昨日の騒ぎを面白おかしく話していた紫苑は、不気味そうな顔で彼を見ていたが、珍しく同情した表情を浮かべた。
「大火からずっと大変だったから、きっと疲れているのね……わたしも昨日の騒動で、すっかり疲れちゃって……無理にでも笑顔を作ると体にいいって聞いたけど、不気味だから貴方はやめた方がいいわよ?」
紫苑はそう言うと、「一個しかないから半分こよ? 本当は夕顔の分だったけど、なんだか今日は食べられないっていうから」そう言って、プリンの入った包みを出す。
普通、自分は我慢して置いて帰らないか?
“六”はそう思ったが、「甘いものを食べると、ちょっと元気になるわよね」そんなことを言いながら、勝手に食器を探してくると、なんだかんだと言いながら、世話を焼きだした、結局は面倒見のよい紫苑に、今度は面白そうに少し笑っていた。
「うしろに幽霊がいるぞ」
その言葉に慌てて振り返った紫苑は、「なにもいないじゃない! 」そう言って唇を尖らせていたが、普通の人間なら見えるくらいに、くっきりとした幽霊がいるのだがと、“六”は、紫苑の鈍感力を、久しぶりに思い出していた。
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