第253話 入れ替わる光と影 幕間2

 さて、話は再びそれるが、秋好姫宮あきこのむひめみやが、積極的に勉学にはげむ原因になった「わたくしは姫君だからとて、その賢さをとがめる風潮は感心しない。詩歌音曲と同じように、それも努力して身につけた素晴らしさのひとつであろうに」この帝の一言は、「姫君が学問を修めるなど、とんでもない」そんないままでの旧式な世間一般の風潮を一掃し、なんと女子大学寮まで設立され、内侍司ないししにおける女官吏の採用は、女子大学寮を卒業した者のみとされるまでの大事件となっていた。


 なぜならば、尚侍ないしのかみか抜けると、内侍司ないしし蔵人所くろうどどころ皇后宮職こうごうぐうしきの助けがなければ、女房に紛れて、ただ内裏をフワフワとただようお荷物以外のなにものでもない。


 そんな現状を憂いていた帝や左府さふが、大火で以前の女官たちが自宅待機になっているこの機会にと、内侍司ないしし大鉈おおなたを振るうための、計画的な帝の発言だったからである。


 はなからそのつもりであった帝の一声により、あっという間に内侍司ないししは、一度完全に解体されると、数々の審議を通過して、さまざまな取り決めと共に、新しく設立されることとなった。


 新しい内侍司ないししで勤める、勤めたということは、いままでのごく小数の名誉職以外は、女房と変わらぬ扱いを受けていたのとは違い、姫君たちが自分自身の実力で手にできる社会的地位の高い職業と位置づけられる。


 勅命ちょくめいとして、国の隅々にまで大きく喧伝されたので、女子大学寮には、結婚をして家政を取り仕切る北の方になる以外に、社会的地位を掴む手段がなかった、ありとあらゆる階級の、決められた枠からはみ出してはならぬと、じっと我慢していた姫君や、元内侍司ないししの女官が受験に殺到していた。


 それに合わせて、右大臣の北の方のように、夫のために非常に家政を上手く取り仕切っている方も、それまではできることが当然とされていたが、同じように、それも優れた能力として、情緒のない存在ではなく、賢夫人としてたたえられ、大火の事件に影で尽力をしていた『白月の会』に所属していた北の方たちは、女叙位にょじょいの行事にて、それぞれ帝よりなんらかの褒章を受けた。


 その後、右大臣の北の方は、大切な家政の教育を、各家庭に任せている現状を憂い、他の『白月の会』の北の方たちと話し合い、通信制の『家政通信教育学校』を始めるために尽力をする。


 まだまだ女子大学寮に通う意思の強い姫君よりも、時代的には右大臣の北の方のように、家政をとりしきることを第一とし、外に出る必要もないと考える家庭や姫君も多かったことから、ある程度の教育はきちんと収めるが、あとは木版印刷で大量に発行された『家政百か条』を手に入れ、家政にまつわる教育を、ご自宅で学ぶことも大流行となる。


 現代の視線から見れば、彼女たちの行動は、ごく小さな一歩であったが、時代的には天地がひっくり返るほどに、大きな一歩であった。


 そして、女子大学寮が設立されたがゆえに、少し先の未来で人生が覆った姫君が二人いた。


 ひとりは、故常陸宮ひたちのみやの姫君、あの『末摘花すえつむはな』と呼ばれるはずだった、貧しい先行きの見えぬ身であった女王にょおうである。


 彼女は出家していた兄宮が、さすがに少し心配になったのか、親戚筋に諭されたのか、ひょいと顔を出したかと思えば、青天の霹靂……そんな、とんでもないことを勧められていた。兄宮は彼女に『女子大学寮』に通えと言う。


「お前は、ある程度の教養はあるのだから、試験を受けて女子大学寮に通えばよかろう。そうすれば生活に困ることもなくなるであろうし、卒業をして内侍司ないししで、人前に出ぬ部署にでも勤めればよい。新しい内侍司ないししは、なにやら帝のお声がかりで、特別な名誉が与えられるらしいから、勤めても女王にょおうとしての品格も疑われぬだろう」


 そんな「らしい」だの、「だろう」だの、どこで聞きつけたのか分からない話を、兄宮にいきなり持ち出され、急かされるようにして、常陸宮女王ひたちのみやのにょおうこと、『末摘花すえつむはな』は、無理やり受験させられていた。


「文官と武官の選択がございますが、いかがなさいますか?」


 女子大学寮から合格を告げにきた使者に、当然のようにそう問われ、彼女は慌てて、「文官にします!」生まれて初めて出した大きな声で答えていた。女官吏はまだしも、女武官は彼女の想像外だった。


 女王にょおうはそんな訳で、無事に合格したのはよかったが、なにもかもが、さっぱり分からない状態だった。


「とにかく生活に困ることがなくなって、ようございました! いってらっしゃいませ! お帰りまでに、おいしい物を、なにかご用意いたしますね!」

「…………」


 もう最後のひとりしかいなかった女房が、支給された大量の米俵やら布地やらの山の横で、満面の笑顔を浮かべて、そう言いながら見送っている。


 そんな風に、彼女は支給された米を売って購入した真新しい牛車で女子大学寮に通うようになっていた。主席で入学をしていたので、他の姫君よりも破格の待遇であったから、なんとか最低限の体裁をつくろうこともできた。


 女王にょおうを見送ったあと、女房は新しく雇い入れた数人の奉公人に指示を出してから、やかたの手入れをと思い、あちらこちらの知り合いに、どこに頼めばいいのかと、たずねてみたが、最近は景気がよく、あちらこちらの大貴族が、やかたの改修をしていて、そこそこ以下の貴族は、どこも大工の手配ができず、自分たちで応急処置をしている状態だった。


「しかたないわね、雨漏りがする訳でなし、きれいに掃除をして、庭の草だけでもむしっておきましょう」


 そう言って女房は、主人も大学に通って留守がちなので、奉公人と一緒に、せっせとやかたの掃除をしていた。下働きのようなことを自分がするのは、大いに不本意であったが、もうやかたを売って夜逃げを勧めた方が……。そこまで追い詰められた生活をしていたので、苦にはならなかった。


 一方、牛車に揺られていた女王にょおうといえば、はじめは通うだけでも、恥ずかしくあったが、女王にょおうという高い身分である彼女が、高飛車に振舞うでもなく、着飾る訳でもなく、黙々と学んでいらっしゃる姿を見て、地方の受領の姫君、いわゆる中流、下流の身分の大多数の姫君たちは、しきりにその姿に感心していた。


「とにかく華やかな京に出たい!」「内侍司ないししの女官吏として、認められた存在になりたい!!」「なんだか十二単が、とってもお洒落なんてすって!!」「なんでもいいや、わたし、勉強が好きだから!! 大っぴらに勉強できるなんで最高!!」「武官の家系で男兄弟に紛れて育ち、わたしのほうが、絶対に才能があるのに、お前が女武官など無理だと散々言われて、絶対に見返してやろうと、親戚を頼って家出して受験を……」


 彼女たちは色々なことをさまざまに思い、いぶかしがる父君たちを、説き伏せたり、説き伏せていなかったりしながら、なんとかかんとか京に出てきていた。


 なにせ、一口に地方といっても、京を遠く離れた地域になると、自分たちの住むやかたと役所以外は、いわゆる竪穴式住居に毛が生えた……そんな、想像もつかぬ程の田舎であった。


 姫君たちは、ある者は船を乗りつぎ、ある者は延々と牛車に乗り、海を越え野を超え山を越え、ようやく羅城門をくぐり、目にしたあまりにも美しい京の景色に、ポカンと口を開けているばかりであった。


 なれぬ京の都で右往左往していた姫君たちは、いつも朝一番からうつむいて、文机に向かっておられるし、席を立つ時もつつましく檜扇ひおうぎをかざしていらっしゃるので、顔をはっきりと見たこともないが、とにかく女王にょおうという高い身分の方が、自分たちよりも貧しいなど、想像もできずに、『内侍司ないししの女官吏』を目指すということは、あのように高い身分の方でさえ、あえて簡素な装いで一心不乱に取り組まれるべき、重い責任を負うものなのだろうと、真剣に話し合い、浅い考えを持っていた者は大いに反省し、彼女を手本にした。


 女王にょおうは周囲が自分を、そんな風に評価してくれていると知って、しだいに周囲と打ち解けて、内気が過ぎる性格は、少しずつ社交性を持つようになる。


 のちに光源氏には、憐れまれて援助はされるが、顔の造作に始まり趣味や性格など、すべてを生涯に渡って、ことごとく笑いものにされ、馬鹿にされ続ける人生のはずだった彼女は、この世界では、彼と出会うこともなく、数年後、無事に内裏に正式な女官吏として出仕していた。


 女子大学寮でできた、仲の良い姫君たちとの会話や、やがて出仕した内侍司ないししでの経験から、振舞いや趣味が、世間と大きくかけ離れることもなかった。


 内裏務めで帰ることもないと、早々にやかたも人に貸し出したので、より収入も安定し、「少し古風でいらっしゃるけれど、女王にょおうという高い御身分、伝統を重んじていらっしゃるのでしょう」と、好意的にうわさされる程度に、服装の趣味も落ち着いていた。


 また内侍司ないししの女官は、最新の化粧品一式が、装いも仕事の内と、公務で着用するそろいの十二単の布地と共に支給され、化粧方法の授業も大学寮で受けていたし、そもそもあの赤い鼻も、姫君らしからぬ体つきも、まともな食事すらとれぬ貧しさからくるものであったので、その原因が取り除かれた『末摘花すえつむはな』ならぬ『常陸宮女王ひたちのみやのにょおう』は、美女とまではゆかなくても、「優しい気質で、女王にょおうという身分にふさわしい、至極上品な方でいらっしゃる」そんな好意的な評価を受けていた。


 内裏での仕事は多忙ながらも、彼女は平穏で穏やかな人生を手に入れ、尚侍ないしのかみにも実力が評価されて、典侍ないしのすけという尚侍ないしのかみにつぐ従四位じゅしいの地位まで登りつめる。


 その物静かで生真面目な仕事ぶりは、内裏内でも評価され、帝は彼女が引退する時に、ひとり暮らしにやかたは、かえって管理も大変であろうと、京の中にこぢんまりとした、趣味のよい邸宅を特別に彼女に下賜された。


 そんな風に女王にょおうは、末摘花すえつむはなと、光源氏に嘲笑あざわられることもなく、引退後も女子大学寮でできた、親しい友人たちと行き来しながら、和気あいあいとした楽しい生涯を、前出の最後のひとりであった女房と、少ない奉公人に囲まれて過ごす。


 彼女が亡くなったあとには、下賜された邸宅は、ご自分のように身寄りなく、引退を迎える女官たちが、気兼ねなく老後を送るための場所にして欲しい。


 そう女王にょおうは正式な遺言状を作成されていた。彼女を知る周囲の人々は、「ああ、あの方は、俗世を捨てた兄に代わり、生涯を帝への忠義に捧げた、本当に身分にふさわしい、高貴で尊い信念をお持ちの素晴らしい方だった」と、尊い女官吏の鏡として、理想像として、後々まで語り継ぐ。


 女子大学寮で学ぶ姫君たちが、卒業までの間は、空に飛び立つ前の蝶のサナギとでもいうように、極端に華美を排するのが常識になったのは、実は彼女の貧しさゆえの装いからの、誤解が原因だったが、あまり裕福でない家の姫君たちは、大いに助かっていた。


「結局、お顔を、まともに見ることはなかったよね」

「常識的に考えて、のぞきこむなんて女王にょおうに失礼だし」

「一回でいいから見たかったよね」


 殿上人たちは、決して顔をまともに見せない彼女を、『檜扇ひおうぎ典侍ないしのすけ』とあだ名していた。



 人生が覆ったもうひとりは、近江おうみきみと呼ばれた、飛んでもない振舞いで、ただただ笑い者であり、困り者として登場する、頭中将とうのちゅうじょうの姫君として、この世界に生まれるはずだった姫君である。


 彼女は、受領の娘として生を受け、女王にょおうがすでに内裏に出仕し、ご自分の立ち位置を確保している頃に、なんとか女子大学寮に潜り込んでいた。


 やはり、はじめは周囲に呆れられ、驚かれてばかりであったが、女子大学寮は大学寮とは違い、女官吏としての振舞いや礼儀作法も、女房とは一線を引きたいという帝のご意向で、なにもかも初めから学べたため、さすがに人より卒業までの時間はかかったが、内侍司ないししに出仕するころには、彼女の所作は、どうにかこうにか、モノになっていた。


「ねえ聞いた? 今年は優秀な卒業生だけに特別なご講義を、常陸宮女王ひたちのみやのにょおうが開いて下さるそうよ」

「えっ、ほんまに?! マジでございますの?!」

近江おうみきみ、礼儀作法の講義を、落第して、留年なさいますよ……」

「!!!!」


 彼女は寮長の言葉に、思わず両手で口元を押さえていた。女子大学寮が大学寮と違うのは、この朝廷による寄宿舎制度であった。大学寮にも大学別曹だいがくべっそうという、それぞれの門閥の地方出身者の住居の世話を引き受けるために、各家門が建てた寄宿舎はあった。


 が、女子大学寮は、基本的に内侍司ないししの女官養成機関と位置づけられていたので、朝廷が、後宮を模した巨大なやかたを一棟用意して、地方から京にきた姫君たちは、そこで、それぞれのつぼねを賜り、出仕後の予行練習のような生活をしていたし、京に住んでいる姫君も、年に半年はそこで暮らし、いまで言うところの研修を積んでいた。



 閑話休題。


 *


※寄宿舎は『曹司』と呼ばれていたそうなのですが、曹司(部屋)と被るので、寄宿舎と書いています。


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