第254話 入れ替わる光と影 9
〈 再び時系列は、葵の上が目覚めた翌日/
やかたの人間たちは、紫苑同様に桜姫の異様な髪の色に驚いたが、「どうせまた、陰陽師たちの嫌がらせ」そんな風に話は収まっていた。
葵の上と
「またリハビリか……一歩進んで、二歩下がる……やれやれ……」
「とりあえずストレッチから……あ!」
「どうかした?」
葵の上は、背中を押していた
「あのさ……葵ちゃんは検非違使の別当に完敗したって聞いたけど、わたしは勝ったよ」
「えっ?! あの別当に?! ど、どうやって?!」
「実力の差かなぁ……? ほら、わたしって超強いから……」
「そ、そりゃ、えっと、確かにわたしは世界大会なんて縁がなかったけど……」
実は別当は素手で、
案の定、負けず嫌いに火がついた葵の上は、秘めた闘志を燃やしながら、その日から先、とんでもない勢いで回復してゆく。
とにかくその日は念入りにストレッチを済ませると、用意されていたお茶を飲みながら、
「これから一緒に、ソイツを池の橋の欄干に逆さ吊りにする?」
彼女は、ざっくりと粗筋を聞いたあと、光源氏に対して柳眉を逆立てながら、そんな風に、かなり物騒なことを言い出したが、さすがにまだそんなことをする理由は、残念ながらないと言ってから、相変わらずだと思い、葵は同意しつつ、そのアイデアを保留した。
それから思い切って、思い出した昔の記憶のことを、聞いてみることにする。
「あのさ、ここにくる前の
「ああ、光源氏だっけ? ヤバい! ヤバいよ! 絶対にそのものだよ! 奧さんが沢山は、まあ時代的にセーフとしても、自分の母親に似た義理の母親を! しかもマザコンを拗らせたロリコン! アレよりもっとヤバい! 一夫多妻とロリコンは、なんとか時代を言い訳しても、どう転んでも完全に性犯罪者! いや、それはなくなったのか、よかった。葵ちゃんよくやった!」
「……ありがとう」
「それに、ソイツ、なんだっけ……む、謀反人じゃなかとね?!」
「そうなんだよねー、やっぱりそう思うよね。反省して悩んだからって、犯罪は犯罪だよね」
葵の上はそう言いながらため息をつく。
「イケメンで主人公なら、なにしても無罪って、それはないないない!」
『源氏物語』も『平家物語』も名前しか知らなかった
「わたしは一生結婚しない! 絶対しない! 男なんて信じない!」
「あ、うん。それはまあいいけど、ちょっとそれでね……前の世界の夢を、ううん、前の世界のことを、夢の中で少しずつ思い出して……」
「ああ、呪いで思い出せなかったってアレね。わたしも結構忘れてた。うん、それで?」
「わたしさ、光源氏のこと、とやかく言えないよね。朱雀部長、あんないい人のことを、すっかり忘れて、自分は調子よく、一目惚れの人と結婚までしてさ……」
「ちょっ! それはそれ、しかたなかとよ?! あの看護師のせいで、覚えてなかったし! それに葵ちゃん、どっちかと言えば、完全に部長に流されてたし!」
涙目の葵の上は、御神刀に目をやると、そのまま手を伸ばした。
ほっそりと大人びた白い指が、
「これ見て……」
「あ! あの時の指輪!」
「プロポーズなのに、気負わないように、体験入部って言ってくれて、それなのに、なんにも言わずに消えたわたしのために、なんとかしてこんな物まで、用意してくれて……それなのにわたしは、なにもかも忘れて、ほけほけ……わたし、頑張ってたつもりだったけど、光源氏のこと馬鹿にしてたけど、わたしもどうしようもないよね。人として失格やん……人間失格!」
「え、でも、わざとじゃないし!!」
それっきり、泣きじゃくり出した葵の上に、
「た、体験入部なんだから別によか……」
『何か、何か、どうにかできることはないのか?! うん?』
彼女の耳に、また“やかん”の音が聞こえる。
『“やかん”じゃない! これはあの怪しい笛の音!』
音の出所を探して周りを見回すと、そこには、うっすらと輝く上半身が映るくらいの鏡。
『せめて朱雀部長が、今頃どうしてるか分かんないかな?! そこに映らないかな、わたしの魔法の力で!』
必死で鏡に手をかざした
「あ――、映った! 葵ちゃん、ほら、部長が歩いてるよ! 葵ちゃんと!」
「え?! わたしと?!」
鏡に映っているのは朱雀部長と、なぜか違うデザインの指輪をつけている自分。ふたりはとても幸せそうだ。そして鏡に映った自分は、あの時すれ違った、本物の葵の君だと、自分にはなぜか分かった。
「わたしになった葵の君と、幸せになっていたんだ……」
「よ、よかったね! 心配なかった! 杞憂、これが杞憂! 似合ってるよ、本物の葵ちゃんより、かなり上品そうだし!」
かなり失礼なことを言われながら、そんな風になぐさめられていると、急に御神刀が光を放ち、ふわりとなぜか料紙が舞い上がる。手に取ると、それは
そこには、葵の君から葵あてに、自分が摂関家のひとり娘、葵の君であったこと。いまは入れ替わった世界で、幸せに生きていること、さまざまな思いが書いてあった。
「…………」
あの時に入れ替わった姫君は、鏡に映った通り、本当に朱雀部長と幸せに暮らしているらしい。
「よかった……本当によかった」
「うん、うん!」
そして、またチャージしていた力を使い切った
「どうしたのかしら? 大丈夫かしら?!」
「ただ寝ているだけですね」
「本当に?」
「大丈夫です。預かって帰りますね。ちゃんと元気にしておきますから」
早馬が大内裏の陰陽寮にやってきて、何事かと駆けつけた“六”は、心配そうな顔でたずねる葵の上の手のひらから、ぐったりしている小さな龍を、指でひょいとつまむと、手のひらに乗せて引き取り、軽くそう請合う。
「それよりも北の方の方が心配ですので、無理はしないで下さいね」
彼はそう言って、新しい守りの宝珠ときれいなロウソクを、お見舞いにと渡し、雑に
「……まあ、“六”が大丈夫と言うなら大丈夫かな、丈夫だし。骨密度100%を軽く超えてるし。わたしも、まだまだ頑張らなきゃ!!」
葵の上は、ひと安心して“六”を見送ったあと、またこの世界にきたときと同じように、今度は別当に負けた悔しさを胸に秘めたまま、地味な筋トレやリハビリにはげみ、小豆ご飯や蜂蜜プリンを食べていた。
そんな風に、
「そういや、光源氏はどうしているんだろう? 臣下には、なってるみたいだけど……」
年末も近づいてきた頃、ようやく思い出したくもない、あの『光源氏』のことを、誰に聞いたものかと、葵の上が思案していると、丁度、
それによると、光源氏が相続したはずの『
「手入れをして売り出したら、すぐに買い手が何人も名乗りを上げましてね、そりゃもう大儲けでしたよ! 国全体がそうですが、最近の京は特に景気がよくて! もちろん御主人様の名前は出ないようにしています!」
なんて、
あとで紫苑に聞くと、その想像は大当たりであり、
甘やかされた元皇子様と、まだまだ子供の
葵の上はそう思った。
だって
ちなみに光源氏が彼に、あと一歩で、身ぐるみ剥がされそうになっているのは、臣下に降りてからの己の行動から起きた自業自得であったが、
ふたりは帝とは違い、葵の上が目覚めても、目覚めなくても、どちらにせよ、光源氏を身動きできぬほどに、『生かさず殺さず』そんな状態に初めから追い込むつもりだった。
「光源氏の財産、二年持つと思う?」
「せいぜい一年じゃないか?
「あの男はきっと地獄に渡る船賃も、船頭から巻き上げるんじゃないか? じゃあ一年以内!」
「そうだろうな、自分の御主人様以外は、アイツなんとも思ってないからな……わたしは半年以内に賭けるよ」
葵の上が眠っている間、非番の“参”と“四”は、やかたで碁盤を囲みながら、光源氏をダシに、大きくて甘い新品種『陰陽
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