第254話 入れ替わる光と影 9

〈 再び時系列は、葵の上が目覚めた翌日/左府さふとなった中務卿なかつかさきょうのやかた 〉


 やかたの人間たちは、紫苑同様に桜姫の異様な髪の色に驚いたが、「どうせまた、陰陽師たちの嫌がらせ」そんな風に話は収まっていた。


 葵の上と花音かのんちゃんの二人は、人払いをして綿密なリハビリ計画を立てる。


「またリハビリか……一歩進んで、二歩下がる……やれやれ……」

「とりあえずストレッチから……あ!」

「どうかした?」


 葵の上は、背中を押していた花音かのんちゃんを振り返る。なんだかとても得意げである。


「あのさ……葵ちゃんは検非違使の別当に完敗したって聞いたけど、わたしは勝ったよ」

「えっ?! あの別当に?! ど、どうやって?!」

「実力の差かなぁ……? ほら、わたしって超強いから……」

「そ、そりゃ、えっと、確かにわたしは世界大会なんて縁がなかったけど……」


 実は別当は素手で、花音かのんちゃんは、隠れた特技の薙刀なぎなた(※彼女が中学生の時に学校で習った武道は、柔道ではなく薙刀なぎなただった。)を持ち、その上、龍の姫君としての力技ありの、極めてズルすぎる勝負であったが、あえてそれは言わなかった。


 案の定、負けず嫌いに火がついた葵の上は、秘めた闘志を燃やしながら、その日から先、とんでもない勢いで回復してゆく。


 とにかくその日は念入りにストレッチを済ませると、用意されていたお茶を飲みながら、花音かのんちゃんに、簡単にこの時代の北の方と呼ばれる正妻を中心とした一夫多妻制や、母系社会のことなんかを、一応は説明したあと、うろ覚えの『源氏物語』を、かいつまんで説明していた。


「これから一緒に、ソイツを池の橋の欄干に逆さ吊りにする?」


 彼女は、ざっくりと粗筋を聞いたあと、光源氏に対して柳眉を逆立てながら、そんな風に、かなり物騒なことを言い出したが、さすがにまだそんなことをする理由は、残念ながらないと言ってから、相変わらずだと思い、葵は同意しつつ、そのアイデアを保留した。


 それから思い切って、思い出した昔の記憶のことを、聞いてみることにする。


「あのさ、ここにくる前の花音かのんちゃんの“元彼”ってさ、いま話していた“光る君”に……に、似てないかな?」

「ああ、光源氏だっけ? ヤバい! ヤバいよ! 絶対にそのものだよ! 奧さんが沢山は、まあ時代的にセーフとしても、自分の母親に似た義理の母親を! しかもマザコンを拗らせたロリコン! アレよりもっとヤバい! 一夫多妻とロリコンは、なんとか時代を言い訳しても、どう転んでも完全に性犯罪者! いや、それはなくなったのか、よかった。葵ちゃんよくやった!」

「……ありがとう」

「それに、ソイツ、なんだっけ……む、謀反人じゃなかとね?!」

「そうなんだよねー、やっぱりそう思うよね。反省して悩んだからって、犯罪は犯罪だよね」


 葵の上はそう言いながらため息をつく。


「イケメンで主人公なら、なにしても無罪って、それはないないない!」


『源氏物語』も『平家物語』も名前しか知らなかった花音かのんちゃんは、『光源氏』のヤバさに、当たり前ながらドン引いていた。そして、自分の見る目のなさを、再び思い出して頭を抱える。


「わたしは一生結婚しない! 絶対しない! 男なんて信じない!」

「あ、うん。それはまあいいけど、ちょっとそれでね……前の世界の夢を、ううん、前の世界のことを、夢の中で少しずつ思い出して……」

「ああ、呪いで思い出せなかったってアレね。わたしも結構忘れてた。うん、それで?」

「わたしさ、光源氏のこと、とやかく言えないよね。朱雀部長、あんないい人のことを、すっかり忘れて、自分は調子よく、一目惚れの人と結婚までしてさ……」

「ちょっ! それはそれ、しかたなかとよ?! あの看護師のせいで、覚えてなかったし! それに葵ちゃん、どっちかと言えば、完全に部長に流されてたし!」


 涙目の葵の上は、御神刀に目をやると、そのまま手を伸ばした。


 ほっそりと大人びた白い指が、つかの飾りを撫ぜてゆき、ピタリと止まる。そこにはあの日、京都から帰る途中に、「返事は急がなくていいから」そうはにかんだ顔でプレゼントしてくれた、キラキラ光るティアラみたいな形の華やかな指輪の飾りが、綺麗にはめ込まれている。


「これ見て……」

「あ! あの時の指輪!」

「プロポーズなのに、気負わないように、体験入部って言ってくれて、それなのに、なんにも言わずに消えたわたしのために、なんとかしてこんな物まで、用意してくれて……それなのにわたしは、なにもかも忘れて、ほけほけ……わたし、頑張ってたつもりだったけど、光源氏のこと馬鹿にしてたけど、わたしもどうしようもないよね。人として失格やん……人間失格!」

「え、でも、わざとじゃないし!!」


 それっきり、泣きじゃくり出した葵の上に、花音かのんちゃんは、どうしようと焦る。せっかく幸せを掴もうとしているのに、根が超真面目な葵ちゃんは、「この世の終わり」そんな様子で、刀を抱きしめて泣いていた。


「た、体験入部なんだから別によか……」


『何か、何か、どうにかできることはないのか?! うん?』


 彼女の耳に、また“やかん”の音が聞こえる。


『“やかん”じゃない! これはあの怪しい笛の音!』


 音の出所を探して周りを見回すと、そこには、うっすらと輝く上半身が映るくらいの鏡。


『せめて朱雀部長が、今頃どうしてるか分かんないかな?! そこに映らないかな、わたしの魔法の力で!』


 必死で鏡に手をかざした花音かのんちゃんは、もちろんまったく知らなかったが、鏡は古来より別世界と、こちらの世界をつなぐ道具とされていた。ゆえに、彼女の願いは叶う。


「あ――、映った! 葵ちゃん、ほら、部長が歩いてるよ! 葵ちゃんと!」

「え?! わたしと?!」


 鏡に映っているのは朱雀部長と、なぜか違うデザインの指輪をつけている自分。ふたりはとても幸せそうだ。そして鏡に映った自分は、あの時すれ違った、本物の葵の君だと、自分にはなぜか分かった。


「わたしになった葵の君と、幸せになっていたんだ……」

「よ、よかったね! 心配なかった! 杞憂、これが杞憂! 似合ってるよ、本物の葵ちゃんより、かなり上品そうだし!」


 かなり失礼なことを言われながら、そんな風になぐさめられていると、急に御神刀が光を放ち、ふわりとなぜか料紙が舞い上がる。手に取ると、それは中務卿なかつかさきょうに御神刀を手渡す役割を果たした『元の葵の君』が、『東山葵』あてに書いた手紙だった。


 そこには、葵の君から葵あてに、自分が摂関家のひとり娘、葵の君であったこと。いまは入れ替わった世界で、幸せに生きていること、さまざまな思いが書いてあった。


「…………」


 あの時に入れ替わった姫君は、鏡に映った通り、本当に朱雀部長と幸せに暮らしているらしい。


「よかった……本当によかった」

「うん、うん!」


 そして、またチャージしていた力を使い切った花音かのんちゃんは、小さな龍になって、気絶していた。踏みつぶしては大変と、その日は朧月夜おぼろづきよの君が遊ばなくなって、しまいこまれていたひいな御殿ごてんを、蔵から出してもらい、そこに彼女は泊まっていたが、次の日も、その次の日も目覚めなかった。


「どうしたのかしら? 大丈夫かしら?!」

「ただ寝ているだけですね」

「本当に?」

「大丈夫です。預かって帰りますね。ちゃんと元気にしておきますから」


 早馬が大内裏の陰陽寮にやってきて、何事かと駆けつけた“六”は、心配そうな顔でたずねる葵の上の手のひらから、ぐったりしている小さな龍を、指でひょいとつまむと、手のひらに乗せて引き取り、軽くそう請合う。


「それよりも北の方の方が心配ですので、無理はしないで下さいね」


 彼はそう言って、新しい守りの宝珠ときれいなロウソクを、お見舞いにと渡し、雑に花音かのんちゃん(小さな龍)を、ふところに入れると、例の藤色の小鳥『ふーちゃん』も再び作って手渡してから、また帰って行った。


「……まあ、“六”が大丈夫と言うなら大丈夫かな、丈夫だし。骨密度100%を軽く超えてるし。わたしも、まだまだ頑張らなきゃ!!」


 葵の上は、ひと安心して“六”を見送ったあと、またこの世界にきたときと同じように、今度は別当に負けた悔しさを胸に秘めたまま、地味な筋トレやリハビリにはげみ、小豆ご飯や蜂蜜プリンを食べていた。


 そんな風に、あおいは、葵の君から葵の上になってもブレずにあおいのままであったが、やはり光源氏もブレずに光源氏だった。


「そういや、光源氏はどうしているんだろう? 臣下には、なってるみたいだけど……」


 年末も近づいてきた頃、ようやく思い出したくもない、あの『光源氏』のことを、誰に聞いたものかと、葵の上が思案していると、丁度、猩緋しょうひが、家政のことで相談にきたので、世間話のついでに聞くと、なんだか怪しい笑みを浮かべたので、少し後悔したが、あきらめて聞いてみる。


 それによると、光源氏が相続したはずの『六条院ろくじょういん』を、とっくの昔に手放していた。どんな手を使ったのか、猩緋しょうひが買い叩いて手に入れたらしい。


「手入れをして売り出したら、すぐに買い手が何人も名乗りを上げましてね、そりゃもう大儲けでしたよ! 国全体がそうですが、最近の京は特に景気がよくて! もちろん御主人様の名前は出ないようにしています!」


 なんて、算盤そろばんと帳面を手に、嬉しそうに話をしているので、多分、なんにも考えずに遊び歩いて、借金で首が回らなくなったなと想像した。


 あとで紫苑に聞くと、その想像は大当たりであり、六条院ろくじょういんは、女子大学寮の寮として、国が高値で買い取り、その日から数日、猩緋しょうひの部屋からは、不気味な笑い声が聞こえていたらしい。


 甘やかされた元皇子様と、まだまだ子供の惟光バカみつが、この金の亡者のような猩緋しょうひに、太刀打ちできる訳がないもんね。そのうち身ぐるみ剥がされる気がする。まあ別にいいケド。止めたって聞きはしないだろうケド。


 葵の上はそう思った。


 だって猩緋しょうひは貝桶の中に、五年前の“家賃”が入っていると教えた時、わたしの目が覚めた時よりも、嬉しそうな顔をしていた。


 ちなみに光源氏が彼に、あと一歩で、身ぐるみ剥がされそうになっているのは、臣下に降りてからの己の行動から起きた自業自得であったが、白蓮びゃくれんから猩緋しょうひに伝えられた「生かさず殺さず、容赦なくやれ」「ただし、出家させぬ程度にな」との、まだ葵の上が眠っている間に、関白と中務卿なかつかさきょうが、帝には秘密裡に放った言葉のせいでもあった。


 白蓮びゃくれんは、自分でやってもよかったが、ただでさえ多忙な上、この手の話は猩緋しょうひの方が適任だと彼を推薦し、二人も大いに納得していた。


 ふたりは帝とは違い、葵の上が目覚めても、目覚めなくても、どちらにせよ、光源氏を身動きできぬほどに、『生かさず殺さず』そんな状態に初めから追い込むつもりだった。


「光源氏の財産、二年持つと思う?」

「せいぜい一年じゃないか? 猩緋しょうひが裏で糸を引いているんだぞ」

「あの男はきっと地獄に渡る船賃も、船頭から巻き上げるんじゃないか? じゃあ一年以内!」

「そうだろうな、自分の御主人様以外は、アイツなんとも思ってないからな……わたしは半年以内に賭けるよ」


 葵の上が眠っている間、非番の“参”と“四”は、やかたで碁盤を囲みながら、光源氏をダシに、大きくて甘い新品種『陰陽蜜柑みかん』を頬張りながら、そんな賭けをしていたものである。


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