第248話 入れ替わる光と影 5
次の日の朝、目が覚めてから、
少しして、目を開けた彼女に、心の底から安堵した。すぐにも側にやってこようとする女房たちに、目配せをして下がらせると、外を見てみたいと言う彼女を、分厚い綿の入った
ふたりの姿を遠くに見た女房は、素早く
「寒くはありませんか?」
そうたずねる
「
「腕の中の
「…………」
葵の上は、真っ赤になった顔で、しばらく遠くに見える築山に積もる雪や、薄く氷の張る遣水を、ながめていたが、彼の首筋と右の腕に見える火傷の
明るい場所で、これほどはっきりと傷痕を見たのは、はじめてだった。
「怖い思いをさせますね……すぐに着替えましょう」
彼女の視線に気づいた彼にそう言われ、葵の上は、また首を振る。
「わたくしの足の怪我を、“六”が治してくれたことを、覚えていますか?」
「それがなにか?」
「昔はともかく、もし、もしも、いまの
「葵の上……」
「だから怖くなんてありません」
そう言われた
「
少し頬を赤らめた彼はそう言うと、また葵の上を元の部屋に連れて帰り、無理をなさらぬようにと言い、手早く身支度を整え、里内裏に出仕するため姿を消した。
***
〈 関白のやかた/里内裏 〉
朝の支度を終えて、帝がふと庭に目をやると、赤い椿の花に雪が積もっていた。南天の実も赤く色づいている。
「美しい……」
しばらくながめていると、遠くからなにやら、女房たちの騒ぐ声が聞こえた。
なんの騒ぎかと、帝が
「こちらを帝にと……」
そう言いながら、しずしずとこちらにやってきた女房が、官吏に差し出した漆塗りの盆の上には、姫君たちが作ったらしき、椿の葉を耳に、南天の実を目にした、雪でできた愛らしいウサギが乗っている。
「可愛らしいね」
帝は姫君たちに、礼の菓子を届けるように言ってから、
帝は、「この寒さでわたくしの寿命もこれまで」などと言う彼に、誰かもっと火鉢を関白の側へと言いながら、「みなは貴方のせいで、年中そのような寒気に襲われているのに、少しは我慢なさらねば」と、周囲が言いたくても、絶対に言えないことを口にして、からかっていると、ちょうど
「…………」
「どうかなさいましたか?」
「いや、別に……ウサギが溶ける。高欄の端近に……」
パサリと大きな音がして、屋根に積もっていた雪が庭先に落ちた。
〈~再び
葵の上が朝の身支度を終え、やってきた母君に挨拶をする。
母君がご自分の部屋に戻り、葵の上が届いた
彼女の情報によると、
「それ本当!? 聞いてない!!」
「葵ちゃんが、目覚めた方が大ニュースだから、言い忘れてるんじゃない? あと、もう少しすれば温泉が届くよ!! “弐”が言ってた!」
「はい?」
「帝が、葵ちゃんが目を覚ましたと聞いて、お見舞いにって、
「え……?」
「地元と運送業? の人も、帝の御用達だって、鼻高々だってさ! わたしも入っていい?」
「わたしより、帝や御祖父君の方が、入った方がいいんじゃ……」
「それは一緒に運ばせてるんじゃない? ついでに? 関白、毎日々々、寒すぎて寿命が縮むとか、死んでしまうとか、うるさいらしいよ」
「……お元気そうでなにより」
色々な情報に、葵の上が目を丸くして驚いたり、悩んだりしていると、誰かが几帳の向こうから、様子をうかがっているのに気づき、首を傾げる。
「あ、わたしのこと、わたしが見せようと思わないと、基本、人には見えないし、いるのは分かんないから。陰陽師とか、帝の関係者には、見えるみたいだけど」
「それじゃ、わたし、めっちゃあやしいやん! なんとかして!」
「しょうがないなぁ、でも、あとの説明は、自分でなんとかしてね」
「う、うん」
そんな小声でのやりとりのあと、ふわりと光が部屋に満ちて、
「よ、よ、よよよ―よ――妖怪!!」
コッソリのぞいていた紫苑は、几帳を倒して、腰を抜かさんばかりに驚いている。昨日は姿を見なかった夕顔は、その横で慌てて、首に下げていた笛を吹こうとする。
「だ、大丈夫! この人は……えっと、その……」
どう説明したものかと、葵の上が悩んでいると、ため息をついた
「
「…………」
「…………」
それを聞いたふたりは、しばらく不審気な表情で、お互いに顔を見合わせていたが、どう考えても尋常でない姫君であるし、葵の上が、にこやかに接しておられるので、そう言うのならそうなのだろうと、無理やり納得することにした。
「わたし、今日から日記つけようかな? 人に言わなくても、日記なら構わないわよね?」
「命婦様、日記を書いても三日以上、続いたことがないって、おっしゃっていましたよね?」
「じゃあさ、交代で書こう!! 交換日記!! それなら頑張れると思う!!」
「ええぇ?!」
この時代の教養ある人間の心得のひとつとして、毎日きちんと日記をつけている夕顔は、正直迷惑だと思ったが、命婦である紫苑の言うことには逆らえなかった。押しは強いが、なにかと自分を守ってくれる紫苑には、反対できないのである。
「
「なにか言った?」
「へ? な、なんにもありません!!」
夕顔は自分の恩人であり、妹を失った者同士という、つらさを分かり合える間柄の別当と、事件のあと、割と頻繁に
***
『本編と多分関係のない小話/温泉は踊る』
・二条院
伍「温泉がくるらしいです」陰陽寮でうわさを聞いてきた。
弐「温泉がくる……なんだそれ? “温泉に行く”だろ?」
四「大きな桶に入れて、こう、神輿のように担いで運ばせているらしいぞ」同じく大内裏で聞いてきた。
参「もう今日、明日にも、京に到着するらしい」
弐「……なんでまたそんな大変な騒動になってるんだ?」非番で、やかたの中を除霊して回っていた。
伍「関白が寒すぎるし、年寄りには温泉は遠すぎるから、お湯の方を京まで運べと、ワガママを言ったらしいですよ? 帝とか葵の上の体調が心配とか理由をつけて、無理やり」
弐「関白は絶対に地獄の閻魔が嫌がって引取らないんだよ……」
六「葵の上はともかく、関白があれ以上、健康になって、どうするんだろう?」
関白「はっくしょん!! ほら、もう、老い先短いから、寒さがこたえて……」
帝「…………」誰かが悪いうわさでもしているだけじゃないかなと思ったけど、ついでなので、関白のやかたの風呂殿のお湯も温泉にして、沸かしなおさせているのでした。
「お肌がツルツルに!!」「体の疲れがなくなったわ!」「まるで若返ったみたい!!」温泉効果で、ご機嫌の弘徽殿女御と、六条御息所と大宮でした。
弐「芋、美味しいよね」温泉を温め直すバイトに行ったついでに、芋(里芋)を焼いて持って帰っている。
壱「…………」もう弐に説教をする気力がなくなって、小さな桜姫と一緒に、焼き芋を食べているのでした。
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