第249話 入れ替わる光と影 幕間1

 夕顔は、正式に自分の北の方になって欲しいと、別当に何度も申し込まれていた。しかし、元はれっきとした貴族の娘とはいえ、いまはただの女房。


 彼の将来の妨げになってはいけない。そう思う夕顔は、嬉しいとは思いながら、返事をせずに、幸せながらも密かに苦悩していた。


 そんな彼女を妬む数人の新しく雇った女房が、主人が大変な時期にと、葵の上を盾に嫌味を言うのを一喝し、出産後も女房に復帰できるように、左府さふにかけあい、やかたに歩いて通える、小奇麗で小さな家を借り受け、乳母を探して、そこで赤子を養育できるようにと、手配してくれたのも紫苑だった。


 彼女に意見など、できようはずもない。休みの日、自分が小さな家に帰っている時は、忠景ただかげ様も時間をぬって、顔を出してくれるので、それだけで十分幸せだと、夕顔は自分に言い聞かせていた。


 彼の情報によると、内裏もようやく完成に近づいたので、来年の春からじょじょに里内裏の関白のやかたから、内裏の荷物が引っ越しをするにともない、検非違使所に、なんだかんだと預かっていた、蔵人所くろうどどころの荷物がなくなって、すっきりすると嬉しそうで、夕顔も嬉しかった。


「誰の子……?!」


 後日、葵の上は夕顔が抱いて、連れてきた赤子に、しばらく呆然としていたが、相手が検非違使の別当だと聞いて、大いに胸を撫で下ろし、安堵の余り気絶して、周囲を慌てさせていた。


「ご自分の妹君を、大宮がお生みになったと、勘違いなさったそうにございます」

「あらまあ……」


 葵の上が倒れたと、御園命婦に報告を受けて、心配をして駆けつけようとした大宮は、命婦にそう言われ、檜扇で真っ赤になったお顔を隠していらした。


 それもそのはず、左大臣が出家をしたと、公表がされて以来、大宮の元には毎日のように、うず高く大量のふみが届いていたので、葵の上がそれを知って誤解されたと、てっきり周囲は思っていた。


「そう、夕顔のお相手は、検非違使の別当……」

「姫君は、三条の大宮のお子だと、思われたんですね。それはそうですよね、ほら今日なんて、姫君が目を覚ましたと聞いて、もう大宮の悩みもないはずと、いつもより大量の恋文が!!」


 遠くの渡殿に、大宮の女房が連なって、ふみの束を運ぶ姿が見えた。


「あれが全部恋文……さすがは母君……。ああ、それより夕顔を呼んでちょうだい。子までいるのに、まだ迷っているなんて!」


『まあ夕顔らしいと言えば、夕顔らしいけどね!! 兄君が相手でなくてよかった!!』


 誤解と曲解の上で、つかの間の幸せは、瞬く間に広がり、夕顔は慌ただしくはあったが、無事その年のうちに、次の除目では、兵部卿ひょうぶのきょうは確実な、検非違使の別当の北の方となっていた。


 別当は、左府さふと葵の上に、改めて挨拶をすると、用意していたやかたに、夕顔と一緒に、二人の間にできた姫君を連れてゆく。


 自分の父君と顔を会わせたくなかった彼は、猩緋しょうひから、元は真白の陰陽師たちが暮らしていたやかたを、既に手に入れていた。


 そんな夕顔は、はじめは摂関家の側づかえとはいえ、女房上がりの女が公卿の北の方になどと、公卿の北の方の間で、陰口を言われていたが、尚侍ないしのかみが、「元はといえば、れっきとした亡き三位中将さんみのちゅうじょうの姫君。先の女童めわら事件で、巻き添えになられた妹君のことがあり、あえて女房として、自分の側で身分を隠してお暮しだった」そう、おおやけにおっしゃり、実際に仕えることになった女房たちも、夕顔のたよりないほどに、おっとりとした、いかにも深窓の姫君らしい温和な気質に、事実に間違いないとうわさしていた。


 そして時がたつにつれ、彼女が女房であったことは、一時の身の安全のためだったと周知され、やがて夕顔が、二人目の姫君を産む頃には、そんな話すらも忘れられていった。


「なんという名に?」

「わたしの……亡き妹の名をつけても構わないだろうか?」

「もちろんでございますとも!」

「二人には今度こそ、幸せになってもらいたいね」

「はい……」


 兵部卿ひょうぶのきょうとなった、検非違使の別当に抱かれている幼い一の姫、『玉鬘たまかずら』は、嬉しそうな顔で、生まれたばかりの妹君を見ていた。


 空の上にいたつるばみの君は、約束を守り、彼女を見守っていたが、ある日の夜、ふっとどこから現れたのか、夕顔の側に謎めいた怨霊が、ゆっくりと近づくのを見つける。しかし見守ることしかできぬ上、夕顔は酷く怖がりな性質、彼女に告げたところで、どうしようもない。


 つるばみの君は、しばらくうろたえていたが、はっと気がつくと、大内裏でまだ仕事をしていた兵部卿ひょうぶのきょうのところに行き、彼の耳元で北の方が危ないとささやく。


 兵部卿ひょうぶのきょうは、どこからともなく聞こえた、女の声を不審に思ったが、とにかく夕顔と姫君たちが心配になり、一旦、自分のやかたに帰ると、言葉の通り、なぜか灯りが消えたやかたの中で、幼い姫君たちを、必至で抱き寄せたまま、夕顔が小刻みに、ぶるぶる震えているのが見えた。周囲には気を失った女房や奉公人たち。


 彼は一瞬ぞっとしたが、すぐに自分の腰に下げている刀を、すらりと引き抜く。すると刀は、まるで鍛えられているような、赤く燃え上がるような光を放ち、彼は一閃のもとに、謎めいた怨霊を断ち切っていた。


「ご無事か?!」

「は、はい!!」


 元の光源氏との間で起きた話と、酷くよく似たこの事件は、本来は、この怨霊により、命を落とした夕顔であったが、今世の彼女の夫は、あの愛宕郡おたぎごうりの葬場にて、鬼の腕を切り落とし、その技でもって、怨霊の命すら断ち切る妖刀を持つ男で、彼女は無事であった。


 やがて起き出した女房たちに、兵部卿ひょうぶのきょうは、屋内で用いる松明たいまつ紙燭しそくを持ってこさせると、やかたの灯りを再び点けて回るように言いつける。


「まだあやかしたぐいが居残っていたとは……」

「ちちぎみ!」

「まあ、この子は気も失わずに、気丈なこと……」


 その日、玉鬘たまかずらは、周りの騒ぎも知らず、帰ってきた父君に、嬉しげに抱きついていた。


 再びこの世に生まれた玉鬘たまかずらと、兵部卿ひょうぶのきょうの妹君の魂は、今度こそ幸せな人生を歩む。


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