第246話 入れ替わる光と影 3

 あれから五年の間に、少し事情の分かった花音かのんちゃんは、地獄太夫じごくたゆうが第二皇子の亡くなった母親で、桐壺更衣きりつぼのこういという名前であることは理解していた。


 彼女には、なぜわたしが襲われたのかは、全然分かっていなかったけれど。


 あの日、煤竹法師すすたけほうしがかけた呪いを、“六”をはじめとした真白の陰陽師たちは、葵の上の『しんの名前/本名』が分かれば、すぐにでも自分たちならば呪いは解けると、最初は楽観視していたそうだ。


 女童めわら誘拐殺人事件も、さまざまな偶然と情報が重なって、犯人である刈安守かりやすのかみ(それはさすがにビックリした!! もう死んじゃったらしいけど!)のやかたで、母君が発見され、朔の日を待たずに救出に成功していたので『しんの名前』さえ分かれば、その名前でもって、ありとあらゆる人や人外の存在を、己の手足のように使役することを得意分野とする彼らは、わたしを助ける自信があったらしい。


 無事に助け出された母君は、もちろん大慌てで、わたしを救うために、“六”に愛娘の『しんの名前』を紙に書いて手渡した。


 が、当然ながら中味が『東山葵ひがしやまあおい』と入れ替わり、『しんの名前/本名』まで入れ替わってしまっていたので、真白の陰陽師たちですら、目覚めさせることはできず、ただただ命を長らえるためのまじないをかけ続けるくらいしか、できることがなかったのである。


 それからの五年、大元おおもとの原因が、ほぼ左大臣にあると知った母君は、「葵の上が心配で、出家を決意した左大臣が、貴女だけは側にいてやってくれと懇願していた」そんなもっともらしい話を作り、朧月夜おぼろづきよの君のご養育をしつつ、中務卿なかつかさきょうのやかたで、ずっとわたしにつき添っていた。父君は、御祖父君に出家させられて、相変わらず宇治の別邸で、療養中という名の謹慎中らしい。(枕元には、父君がわたしに詫びるふみが山積みになっていた。)


 結果はどうあれ、元内親王である母君を、命の危険にさらしたのだ。出家と、ごく内密な謹慎で済んでいるのは、十分な配慮らしかった。ただ妻を愛し、子を愛した優しい人だったのに、父君はその優しさと心の弱さにつけ込まれ、当主としての道を踏み外し、門閥を率いる資格はないと、御祖父君に引導を渡されていたのである。


 平凡な家庭であれば、ただの子煩悩な愛妻家だったのに……そんな風に父君のことを、ぼんやりと考えていると、清々しいほど、空気を読まない花音かのんちゃんは口を開く。


「いやー、気がついたわたしを、みんなでもっと褒めたたえて欲しいね!! この時代、女子に苗字ないから、誰も気づかなかったの! 盲点!! 超盲点!! 『あ』から順番に名前をずらっと並べてみたりもしてたんだよ!」

「ありがとう……大変だったんだ」


 そして昨日の夜、わたしの命を考えればもはやこれまでと、最終決断をした中務卿なかつかさきょうが、ボンヤリと月を見上げている時に、珍しくお家賃を払う当番だった“六”に、これまた珍しくついてきていた花音かのんちゃんは、酷い目に合わされるので、見つからないようにしていた(しているつもり)けれど、あれから五年のたつのに、イケメンがお姫様のことを、ずっと大切にしている姿に同情して、なんとなく気の毒になって、ちょっと慰めようかと、近づいたらしい。


 ここにタイムスリップする前の『元カレ』だった『馬鹿ヤロー』とは大違いだと、少なからず感動していたから。


***


〈 昨日の夜の出来事 〉


「あの――こんばんは……」

「ああ、桜姫か。お腹空いたのか?」


 寂し気な顔のイケメンがそう言いながら、わたしに横にあった干し柿をくれる。まあ、あるならあるで、嬉しいけど。


「いや、そうじゃなくて、お姫様どう?」

「心配してくれるのか……しんの名前が分かれば、すぐにでも助けられるのだが、なぜか反応しなくてな、それすらも呪いで書き換えられてしまったらしい。もう、わたしにはなにもできぬ。葵の上は第二皇子、いや、光源氏と関われば、ご自分の命にかかわるとおっしゃっていたが、このままでは、いますぐにでも葵の上のお命がなくなりかねん。それだけは避けたい。なんとか葵の上を、ゆくゆくは、ご自由になるように、努力はするつもりだ」

しんの、本当の……名前?」


 この世の者ならぬ存在に気を許したのか、彼は花音かのんちゃんを手のひらに乗せて、自分の力が及ばず姫君を助けられない辛さや、お姫様と出会ったころの話を、色々と口にしていたが、花音かのんちゃんは、花音かのんちゃんで、話を聞きながら色々と考えていた。


『じゃあ、いまいる世界で耳にする名前って、本名じゃなくて、アカウントネームかなにかなの!? じゃあ本名がパスワードか! それでわたしに名前も聞かずに、とりあえずな名前がつけられたのか!』なんて驚いていたのである。


 そして知った。お姫様が九つの時に命を落とすところを、薬師如来に救われたこと。その日以来、何者かに命を狙われながらも、御仏の具現と言われるほどに、まるで『』になったことを。


「九つ……って、う――ん、確かわたしが槍になったころか……ひょっとして、あのお姫様もどこからかタイムスリップ……あれ? どっかで見た顔? いや、あんな美少女の知り合い、わたしにはいない……」


 目を細めて、葵の上の顔を、じっくり思い出してみる。


『ちょっとまって! あの美少女、十倍くらい水で薄めて、イケメンよりに、ぐっと持って行けば……あれ!?』 


「あ――――!!」


 手のひらから飛び降りた。


「桜姫!? どこへゆく!?」

「お姫様のところ! たぶんわたしが助けられるから、早く“六”を連れてきて!」


 干し柿を放り出した小さなお姫様は、葵の上の寝所に走ってゆき、半信半疑な顔の中務卿なかつかさきょうは、“六”を呼んでくると、墨まみれになって、小さく折りたたんだ呑札を用意した桜姫を、うさんくさそうな顔で見ていた。


「なに? 呑札くらい、わたしにだって作れるし! “弐”が内職してるのも、手伝ってたんだから!」

「あれだけ叱責したのに、アイツは、まだそんなことをしているのか……」


“弐”は副業を禁止されているにも関わらず、桜姫のせいで食べる物が、なにもないなどと言って、叱責を受けたにも関わらず、りずに呑札を作っては、売り歩く内職をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る