第245話 入れ替わる光と影 2

朧月夜おぼろづきよの君、大きくなられましたね……」

「姉君、やっとお目覚めになったのですね!」


 九歳になった朧月夜おぼろづきよの君は、わたしのまた伸びた髪を、ひとふさ握って、悔しそうな顔で、眼に涙を浮かべると、やっぱり女御にょうごの妹君らしいことを口にする。


「あの日、母君が攫われた時、わたくしが強くあれば、このようなことには、ならなかったのに。ごめんなさい」

貴女あなたのせいではないのですよ」

「姉君……」

貴女あなたがご無事でよかった」


 泣きじゃくる朧月夜おぼろづきよの君と、気を失った母君は、一旦、女房たちに連れられて、ご自分の部屋に戻られた。

 よく見れば、以前、左大臣家に勤めていた御園命婦を始め、母君の側仕えの女房たちが大勢いるようだ。


 将仁まさひと様が、簡単に教えてくれた話によると、わたしは、右大臣のやかたで気を失ってから、知らない間に母君が助けられたあとも、あの僧侶の呪い『目覚めるには、あの女のすべてを第二皇子に捧げること』という言葉通り、“六”だけでなく、ありとあらゆる名をはせる陰陽師や僧侶の祈祷やまじないをもってしても目覚めなかったらしい。


 そうして彼らの延命の努力も虚しく、日を追うごとに体は衰弱し、命の危険が目の前に迫り、この呪いを解くためには、いたしかたなしと、帝や御祖父君、そして将仁まさひと様の三人が何度も秘密裏に開いた話し合いと、苦渋の判断により、呪いを解くためには、将仁まさひと様と離縁して、元第二皇子、つまり『光源氏』との再婚の裁可の申し出を、今日、本日をもって、正式におおやけに帝に出す予定だったらしい。


『なにそれ?! 話が元に戻るところだった! あっぶな――!』


「わたしのおかげ、深く感謝するように!」

「……え?」


 将仁まさひと様に抱き上げられたまま、枕元を振り返ると、そこには偉そうで小さなピンク(の髪の姫君)がいた。手にはケーキ用のフォークサイズの槍を持っている。


 不思議そうに眺めていると、慌てて御簾の向こうに駆けつけてきた家人に、指示を出していた将仁まさひと様が、またわたしを布団に寝かせて、なるべく早く戻りますと優しく言い、ピンクには、「葵の上に頼んで、好きなだけ好きな物を頼んで食べていいぞ」そう言ってから姿を消した。


 ピンクはわたしの耳元で、「お好み焼きとプリンを沢山食べたい!」なんて、親し気に小声で話しかけてくる。


『なんなんだろう、この小さなピンクは? いつの間にというか、ほんと誰? 将仁まさひと様の知り合いの、神様かなにかなんだろうか? なぜ、お好み焼きを知っているの?  それに、夕顔がいない。どうしたんだろう?』


「あの、一体どちら様でしょうか?」

「なんでわからんと? ほら、わたし! 神道花音しんどうかのん!」

「……え?」


 葵の上は首を傾げる。どうして? というか、なんで髪がピンク色なんだろう? いくら原作から離脱したとはいえ、花音かのんちゃんイレギュラー過ぎない? この世界にきて以来、黒髪とか白髪の人しか見たことないよ? でも、小さな顔をしっかり見てみれば、鮮やかで華やかな顔立ちは、彼女そのものだった。


「知らないだろうけどさ、この世界では、本名は言っちゃいけないの。色々と、とんでもないことになるの。でも今回は、その本名をわたしが知ってたから、葵ちゃんを陰陽師は、無理やりな力技で助けられたって訳!」

「本名って……どういうこと? え? 本名を知られるだけで、あやつられる?! 好きに扱うことができる? なにそれ超怖い!」


 それから葵の上は、口元を両手で押さえながら、元の世界で意識を失ったあとのことを聞いて、ようやく転生前の最後の時に見た看護師の顔と、桐壺更衣きりつぼのこういの顔とがリンクする。


「ああ! あの時の看護師!」

「そうそう! あれが桐壺更衣きりつぼのこういだった訳! そんでもって、なんか、わかんないけど、あの女のせいで、わたしたちは、ここにきてた訳!」

「……なんか時間軸がめちゃめちゃだけど、あれか、それはわたしが物語の中身を、かき回したからかな? 話が“メビウスの輪”になってなきゃいいけど……」

「物語ってなに? とりあえずわたしプリン食べたい! 昨日の夜からずっと葵ちゃんを、横で見張ってたんだから! いま、しっぽ退治したし!」


 源氏物語の中身を知らない花音かのんちゃんは、不思議そうな顔でそう言った。


「しっぽ?」

「葵ちゃん、昨日の晩、口から黒いトカゲが出てきたよ? その残りのしっぽ、さっき出てきて、わたしが槍で退治したけど」

「おえっ…………」

「大丈夫?」


 口からトカゲが出て大丈夫な訳ないやん!! なんとか気を失わなかった葵の上は、口を抑えながらそう思った。


「なんだっけ? ノドにモノが詰まって、仮死状態……あ、白雪姫みたい!」

「それ、リンゴやん! トカゲとぜんぜん違うやん!」


 厚手の単衣の上に、帝から見舞いにと、早速送られた鳳凰ほうおうの地文が浮かぶ、綿の入った淡い藤色の小袿こうちぎを一枚、軽く肩に羽織って、布団の上に起き上がっていた葵の上は、周囲が慌てているのにも気がづかず、再び布団に倒れ込んでいた。


「姫君!」「北の方!」「葵ちゃん!」


 フォローは間に合わなかったのである。

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