第237話 修羅場 10

〈 葵の上が助け出される少し前の右大臣のやかたの庭 〉


 実のところ、葵の上が消える寸前、中務卿なかつかさきょうの活躍があっても、朝廷側は劣勢であった。


 それというのも公卿たちの警護に当たる武官やさむらいは、急な招集に最低限の人数であったし、頭中将とうのちゅうじょうのように、高位の武官たちは本来の飾り太刀……つまるところ装飾は華やかではあるが、“竹光”を下げている者が、大半を占めていたからである。


 にもかかわらず、中務卿なかつかさきょうが、岩の中の葵の上を助け出せたのは、なんと兄君の活躍だった。


 はじめ頭中将とうのちゅうじょうは、眼前に広がる光景に硬直していたが、いきなり妹君が庭に走り出したかと思えば、桐壺更衣きりつぼのこういの怨霊に包まれて、大きな岩の中に吸い込まれるように消えたのを見て正気に戻り、こうしてはおられぬと、周囲の武官たちに、すぐに庭の戦いに参戦するように、指示を出そうとするも、自分も含めた“竹光問題”に頭を抱えた。


「こんなことなら、初めから飾り太刀を、本物の太刀にしておけばよかった! あっ!」

「どうかなさいましたか?」

「こちらへついてまいれ!」


 頭中将とうのちゅうじょうは、常日頃から物があふれる原因のひとつである、このやかたのあるじ、右大臣の収集癖のひとつ『ご自慢の刀剣部屋』を思い出したのである。


 彼はその部屋のひとつに配下の武官を連れて走り込むと、収集する度に長々と自慢話を聞かされてうんざりしていた、美々しく飾られている、数多い一級品の太刀たちかたなの中から一振り選び、部下の左少将と右少将には、「ほかは、すべて持ち出して全武官に配り、すぐに庭のいくさに加わるように!」そう指示して庭に走ってゆく。


 左少将と右少将は、大慌てで武官たちに、次々と一級品の太刀たちかたなを配って回らせた。


「こんな凄い一品を、わたしが使ってもいいんですかね?」

「この家の婿(頭中将とうのちゅうじょう)が言ってたっていうし、大丈夫だろう。まあ、駄目だったら全部鬼と悪霊のせいにしようぜ」

「この太刀たち凄くいいなぁ! 右大臣が持っているなんて、持ち腐れてたな!」

「いまから役に立つ! いいから急げ!」


 例の“女童めわら誘拐殺人事件”にも参加できなかった蔵人頭くろうどとうと違い、こちらは仕事として参加していた左衛門権佐さえもんふさは、そんなことを言い合いながら、受け取った太刀たちを慣れた物腰で抜刀する。


 そうして、「これはかの有名な、ナニガシの名刀を特別に、伊勢神宮で祈祷してもらい……」そんなウンチクを右大臣が頭中将とうのちゅうじょうに長々と語っていた御自慢の一品たちは、他の武官たちと一緒に、本来の役割を果たすために、次々と参戦してゆき、煤竹法師すすたけほうしが呼び出した百鬼夜行と呼ばれるほどに、数多い鬼や妖怪の類は、彼らの活躍の前には、法師にとって、なんの助けにもならず、“六”の方陣に阻まれて、岩の中にいる葵の上を襲うこともできずに、方陣の中でバサバサと切り払われていた。


 すべてが終わってから目を覚ました右大臣は、残念な事態になっているご自慢の刀剣コレクション、荒れ放題の自慢の庭、壊れた池の上にかかる朱塗りの橋、遠方から運ばせた京で一番と言われた、粉々に砕けた岩に、大粒の涙をこぼしながら袖で顔を覆っていた。


 それでも事が事だけに、文句は言えず黙っていたが、のちに開かれた朝議で、「いつ何時なにが起こるか分からぬ。高位といえど、すべての武官は各々おのおの真剣を持つように」そう話を持ち出したのは、言うまでもなかった。


 閑話休題。


 方陣から鬼共を出さぬようにしつつ、煤竹法師すすたけほうしと対峙していた“六”は、その力を持ってしても、苦戦していたが、現れた“壱”の構えた弓から放たれた光の矢がはるか上空から、地面に叩きつける篠突しのつあめの如く降り注ぎ出し、他の陰陽師たちが、方陣の結界を確保したのを見て、ニヤリとわらうと、“呪”を唱える。


“六”の周囲には光の柱が、天高くまで伸びたかと思うと、己だけが使役できる“十二神将”が次々に現れた。


「これで終わりだ。無礼を通り越したお前は二度と、どの世界にも戻れぬようにしてやろう」

「もはや……わたしの力もこれまでか……」


 そう吐き捨てた“六”を、なんとか相手にしていた煤竹法師すすたけほうしは、桐壺更衣きりつぼのこういが自分の中に送ってきた、にわかには信じられぬ最後の思念か消えて、完全に消滅したことを感じていた。


 彼は、尚侍ないしのかみをどうすることもできぬと悟り、自分が呼び寄せた鬼や妖怪を制御することに力を使うことを止め、わざと“六”の使役する式神、十二神将からの攻撃を避けずに、その身か飛び散るほどの攻撃を受け、自分の意思なのか、桐壺更衣きりつぼのこういの意思なのか、分からぬほどの怨念を持って、『甦りの呪法』と正反対の呪い『魂を破滅させる呪法』を、己の命と引き換えに、視界の隅にちらりと見えた、助け出された尚侍ないしのかみに送った。それだけが、自分に残された最後の意趣返しだった。


「あの女を目覚めさせたければ、あの女のすべてを第二皇子に捧げることだ……」


 ごぼりと言う血の泡と一緒に、黒い血だまりができた地面に横たわっている煤竹法師すすたけほうしは、“六”に最後にそう呟き、ニヤリと笑って息絶えた。


 桐壺更衣きりつぼのこういの怨霊(看護師)に腹を立て過ぎていた花音かのんちゃんは、槍の中で相変わらず、脳みそが! 脳震盪が! などと叫んでいたが、中務卿なかつかさきょうが、あの岩の中からお姫様を助け出そうとしているのが分かると、少林寺拳法を学んでいる黒帯ならば、誰もが覚えている“道訓どうくん”と呼ばれる、葵の上が『お経?』なんて言っていた、違うけれど、自分が覚えている、一番ありがたいであろう教えを叫びながら、「あの看護師はわたしが成敗してくれる!」などと、いま、手元に残っていたすべての力を解き放っていた。


 ちなみに“道訓どうくん”の教えには、『不殺活人』という、人を殺さず、傷つけず、短所を攻めずに、長所に光を当て……といったような、とても深くて尊い教えも入っているのだけれど、頭に血が上り過ぎて、遠い彼方に消えていた。


 受けた攻撃には倍以上返す。彼女はそんな女であった。


 そんな訳で、小さな葵の上は、とんでもない力を出した『深緋こきひ/花音かのん』を、まさか大岩のすぐ下に、葵の上がいるとは知らずに、振り下ろした中務卿なかつかさきょうに、紙一重の危うさの中、どうにか助け出されていたのである。

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