第218話 ここだけの話 2

 十兵衛と目をあわせてそう言う猿丸を、佐吉が再びどやしつけようとした時、彼はふたりにささやいた。


「どうでしょう? 明日からもわたしがおふたりに、今日のような、ちょっとした差し入れをする代わりに、もし、もしですよ? なにかの拍子にその秘仏の部屋とやらが、チラリと見える機会があったら、ついでに教えてもらえませんか? もちろんここだけの話で。こうして知り合ったのも、なにかのご縁ですし、もうこんなに打ち解けた仲ではありませんか?」


 そんなことを言いながら、十兵衛はこの田舎暮らしは、暇で々々、仕方がない。退屈と豆腐を作るばかりだ。そんな面白い話が聞けるなら、毎日、これくらいの差し入れの礼はできるのに、ああ残念だとぼやき出す。


 と、その話に意外にも兄貴分の佐吉が食いついた。彼は毎日々々、腹が減って仕方がないので、今日も棟梁とうりょうの目を盗んで、猿丸と朝も明けぬうちから釣りにきていたくらいなのだ。


「その話乗った! なあ絶対に教えてやるからさ、明日からは色々と持ってきてくれねぇかな? 多めで?! 猿丸、お前、今日は屋根の上を調べろ? な? 万が一でも秘仏様に雨漏りでもしたら、てーへんだ!」

あにぃ……屋根の上はまだ先……ああ、確かに雨漏りしちゃ大変!!」


 大変大変と、嬉しそうに言いながら姿を消したふたりを、豆腐屋は薄く笑って見送ると、また竿を操って川を下って行った。


 もちろん彼は、関白の指示で白蓮びゃくれんが放っている草の者、忍びであった。なんにも知らない大工のふたりは悪気なく、いや、悪気があっても、面倒で横柄な坊主たちには、内心で腹を立てていたので、いずれペラペラ話したであろうが、今日の上手い話は、ふたりにがぜんやる気を出させた。


 翌朝、再び昨日の川のほとりで、釣れるわけもない魚よりも、当てになる豆腐屋の十兵衛! そんな様子でふたりは昨日あれから見た『秘仏様の部屋』の仰天の事実を「うちの棟梁とうりょうも驚き過ぎて、ここだけの話にしろって、言ってたんだけどな」と言いながら、十兵衛に特別だよと耳打ちをした。


 その『ここだけの話』を聞いて、驚いた顔をしていた十兵衛は、ふたりに色々な食料を手渡すと、また昨日と同じように川を下り、今日は店じまいをして奥に引っ込むと、なにやら料紙に書きつけをする。


「ちょっと遠い村へ、母親の見舞いにしばらく出かけます。どうも調子がよくないそうで」


 そう隣のおばあさんに声をかけて、風呂敷を背負って小さな村を出て行った。


 数里ばかり歩いた山中にある山小屋の前で立ち止まり、中に声をかけると、やはり漁師の風体をした白蓮びゃくれんの部下。彼は小屋で簡素な狩衣姿かりぎぬすがたに着替え、用意された馬にまたがる。十兵衛と名乗っていた男は一路、京へと走っていた。



〈 大火のあと、右大臣が去ったあとの関白のやかた 〉



『お白洲しらすかな?』


 案の定、唐車に酔って顔色の悪い、口元を袖で押さえている葵の上は、牛車じゃなくて、唐車の乗り心地の問題だったのかと思いながら、心配そうな中務卿なかつかさきょうに支えられて、関白のやかたに再び戻っていた。


 外御簾の内側を、袴を捌きながら、やかたの中を進んでいると、やかたの禅寺のような庭先に、普段は寺に引きこもるように念仏三昧だと聞く、官僧にしては珍しく至極人のよい、(それゆえに周囲の官僧たちがやりたい放題になっている)見知った僧官そうかんと呼ばれる官僧たちの頂点を含む、恐らく京中の官僧たちが、まるでお白洲しらす(江戸時代の取り調べの場所)に引き出された罪人のように、全員が敷き詰められた玉砂利の上で、平伏しているのを見て思わずそう思う。


 葵の上は、彼らがなぜここにと不思議に思い、御簾の中で足を止めて、庭をながめていると、関白が寝殿の奥から自分の隣までやってきて、山奥での『ここだけの話』を彼女に耳打ちをし、葵の上は目を見開き驚いた。


 ここだけの話と言ってたくみたちが話したのは、彼らが見たのは「大量の武器の山と、その中で、京に攻め込んだあとの算段を、楽しそうに話している僧兵たち」と言うとんでもない大事であったのである。


 それを手掛かりに、あちらこちらの寺に入り込んでいる宮大工の棟梁とうりょうたちに白蓮は話をつけて、彼らが「なにかのきっかけがあれば、京に攻め込もう」そんな朝廷に歯向かうことすら考えていることを、関白に確たる証拠を添えて伝えていた。


 貴族の中にもどうしようのない連中はいて、いずれはそちらにも、なんらかの大なたを振るうつもりではあるが、それでも朝廷に歯向かおうとまでの意思を持ったものはいない。


「葵の上、この度のすべては御仏の使いであるそなたのおかげ」

「はい?」


 関白のセリフに葵の上は耳を疑ったが、それにはちゃんとした訳があった。


 なぜ、宮大工の棟梁とうりょうたちが、そこまで白蓮に協力的であったかと言えば、前出のたくみたちの棟梁とうりょうの伊蔵が、すべての宮大工たちから尊敬を集める名人であり、常日頃から人情に厚い人柄で、なにかと他の棟梁とうりょうたちの相談に乗っては、自分が損をしても力になるような、人望を集める人物であったからである。


 そしてその伊蔵は『風呂殿』を頼まれた時の『摂関家の姫君』への恩を、決っして忘れていなかった。


 あのとんでもない飢餓と飢饉が広がっていた最後の年の暮れ、彼のような名工ですら、自分が雇うたくみたちに回す仕事や支払いどころか、飛騨に残した家族への仕送りすらままならず、どうにもならぬ状況であり、周囲には言わぬものの、“一歩先は奈落の底”そんな言葉が伊蔵の頭をよぎっていた。


 そこに降って沸いたのが、『風呂殿』の仕事であったのである。


『薬師如来の具現』


 そう呼ばれていらっしゃる、いまは尚侍ないしのかみとなられた尊き摂関家の姫君が、如来様の御告げを受けられたということで、あの時いきなり左大臣から依頼を受け、大変な仕事ではあったが、ありえぬほどの報酬を得ることができて、自分も、自分の家族や他の困り切った仲間も無事に年を越せた。


 その時の報酬で、あれから数年の間、彼と彼の仲間たちは、なんとか誰ひとり欠けることなく、持ちこたえることができたのである。


 そのような訳で、京を中心に世間には観音信仰が大いに人気を博していたが、彼は尚侍ないしのかみの奇跡に触れた人々と同様、その時以来、薬師如来を一番の信仰の対象として、日々、『薬師如来』の小さな像を持ち歩き、朝に夜に祈りを捧げていた。


 いまここに自分や妻や子が生きているのも、元はと言えば『薬師如来の具現』尚侍ないしのかみのお陰、引いては左大臣、摂関家のお陰である。ここでお役に立たねば自分がいつ御恩を返せると言うのか? なにができるというのか? 


 そう思った彼は、わざわざ『ここだけの話』を聞きつけて、自分を訪ねて摂関家の使者としてやってきた白蓮に話を聞くと、前出の二人のたくみを叱らずに、自分から他の棟梁とうりょうに宛てて書いた協力を要請する手紙まで託した。


 合縁奇縁、人の縁とはどう転ぶか分からぬ奇なもので、葵が転生した時に起こしていた『風呂殿』の騒動のお陰で、瓢箪から出た駒を手にした白蓮は、自分自身の想像よりも驚くほど速く、関白にさまざまな証拠や証言を、届けることができていたのでございました。


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