第217話 ここだけの話 1

※時代的に、『たくみ(大工)』たちを取りまとめているのが『大工(棟梁とうりょう)』なのですが、ややこしいので、棟梁とうりょうたくみ(大工)を取りまとめているような表記にしております。


 *



〈 時代は平安時代に戻る/大火の数ヶ月前の早朝の山中さんちゅう 〉


 青々と茂る草木の間に綺麗な清流が流れている。そこに釣り竿を持った男がふたり。

 普段この辺りで見かけないそろいの少しくたびれた水干すいかん姿は、いつぞやの『風呂殿』を完成させた国一番と称される飛騨の名匠、伊蔵が棟梁とうりょうとしてひきいるたくみ(大工)であった。


「腹減ったなあにぃ――」

「まったく、いくら寺の修繕とはいえ、なんで俺らまで野菜だけなんだよ! 魚は釣れねえし! ったくよぉ!!」

「勘弁してほしいよな! あいつらケチだから豆腐はダメだって、分けてくれねーし!」


 たくみたちは、とある山奥にある大層立派な寺の修繕工事にきていた。


 来年からは寺社仏閣のありとあらゆる取引にも『貧民救済税』なるものがかけられることになったので、去年からこちら、伊蔵のような名匠が率いるいわゆる宮大工の集団は、どこも大忙しであった。この二人も元はといえば、武蔵国むさしのくに(江戸)の出身であったが、この忙しさに困った伊蔵が、知り合いから紹介を受けて雇い入れていたのである。


「もう少しこう散らばって注文がくればいいのにな」

「そ――だよ『風呂殿』を頼まれた何年か前なんて、ここの棟梁とうりょうもとんでもねえ年だったって言ってたぜ! 俺らも仕事道具まで質に入れて、流しちまうところだった! きっといままでケチケチ貯め込んでやがったんだ! 来年から税がかかるってなった途端これだ!」

「貧民って、貧しい人に使うんだろ? 寺がそれをケチるって変な……あっ、釣れた!」


 先ほど隣の『あにぃ』と呼びかけていた、背が低くいかにも身軽そうな年若い方の男は、嬉しそうに、大きくしなった隣の釣り竿を見たが、かかっていた魚は“ぴょん”と空にはねて、また川の中に逃げて行った。


「あ――……だめだなこりゃ。もう帰らね―と、棟梁とうりょうにどやされる。帰るぞ猿丸」

「腹減ったなぁ……」


 諦め顔のふたりが、またきた元の山道に帰ろうと、土手を登ろうとしていると、川の方から声をかけられる。振り向くと一艘いっそうの小舟が、寺のある上流から下ってきて、目の前に留るのが見えた。


 乗っているのはひとりの男。船に残っている箱やザルを見るに、豆腐やらなにやらの食べ物を、商人が自分で船を操って運んでいるらしい。


「もし、あまり見かけぬ方々ですが……ひょっとして、お寺様の改修工事にいらしている方々で?」

「ああそうだよ。なんだ、このあたりに店もねぇのに、坊主がどうやって、あんなうまそうなメシを食ってんのかと思ったら、あんたが運んでいるのか!」

「ははは、仏門に勤しまれる方々は、なにかとお勤めにお忙しいとのことで、わたくしがこうやって、ほとんど毎日運んでおります」


 そう答えた男は、年の頃なら大工たちと同じ二十歳そこそこで、十兵衛と名乗る。聞けば少し下った村で小さな豆腐屋をしていて、豆腐と一緒についでにさまざまな野菜などを、まとめて寺に届けていると言う。


「そりゃいいやなぁ、俺らなんて、こうやって魚でも釣る以外は、毎日々々、棟梁とうりょうがくれる乾飯ほしいいに、塩を舐めるくらいしか手がねぇからな!」

「そうだそうだ! しかもこの寺、やたらと変な寺だしな!」

「変な寺……? なにが変で? いや、こんな田舎暮らし、よその方にお話を聞けるのも久しぶり。詳しく聞かせてもらえませんか? これはそのささやかなお礼ということで……」


 十兵衛はそう言うと、他に売りに行く物だったと見える、豆腐や味噌漬けの魚を、船に乗っている箱の中から取り出した。


 それを見た途端、身も軽いが口も軽い猿丸は、嬉しそうな顔をして、素早くそれを受け取ると、しかたねぇなあと言う顔で、しかし一応は兄貴分の佐吉の顔色をうかがってから、ペラペラとその“変な寺”の話しをはじめた。


 それによると、この寺にきてから柱や床を修繕していたある日、どう見ても床に塗られたうるしげている渡殿があって、報告を聞いた棟梁とうりょうが確認するために近づこうとした途端、いかにも屈強な僧兵といったていの坊主が大声で呼び止めると、「その奥には大切な秘仏がある。お前たちのような者が近づいてよい場所ではない!」


 そう言って追い払われて、以後、その『秘仏の部屋』に通じる渡殿には、常に坊主がいて見張っているし、そのうるしげた渡殿もそのままだと言うのだ。


「まあ、素人のあんたには、分かんねーだろうけどよ、うるしってーのは、普通、丁寧に扱えば百年以上持つんだよ? しかも大切な『秘仏の部屋』の前なのに、そんな汚ねぇままなのは、おかしいだろう?」

「そんなことが……わたしはいつも裏門から品を降ろすだけなので、初耳ですが不思議な話でございますねぇ。うちの貧相な仏壇でも、綺麗にまわりは毎日掃除しておりますのに……」

「だろう? それにさ……あれ、変なんだよ……」

「変とは?」


 猿丸は少し恐ろしそうな顔をして、あたりを見回してからこっそりと口にした。


「あそこ、秘仏の部屋じゃなくて、本当は悪霊かなんかを、閉じ込めてあるんじゃねーかって思うんだよ。だってさ、俺、見ちゃったんだよ。渡殿のうるしにさ、なんかこう引っかいたような、引きずったような跡があるのをさ。……これ内緒だよ? 誰にも言っちゃいけないって、坊主が言ってたからさ。メシ分けてもらったから特別……痛って!」

「そこまでしゃべるな! 手前てめえは口が軽い! 軽すぎる!」


 佐吉に頭を殴られた猿丸に、十兵衛は同情したような顔をしてから「これでも商売柄、人様の秘密を胸に収めることは慣れておりますから、面白いお話をありがとうございました」温和な顔でそう言ってから感心した様子で彼に言う。


「それにそんなことを言われたら、わたしなら中を見れないものかと、絶対に見に行ってしまいますよ。やはり御商売柄きちんとなさっている。さすがですねえ」

「いやあ、そりゃ、絶対に見ちゃいけねえって言われて、気にはなってんだよ? まあ、俺の身軽さを使えば、見れねぇわけでもないんだけどよお! でもさ、忙しいし、坊主おっかねえし……気になるけどな!」

「……気になりますねぇ、ここだけの話、わたしはそう言った秘密の話を聞くのが大好きなんですよ……」

「あのさ……俺もここだけの話とか……実は大好きなんだよ……」


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