第206話 現代奇譚/クロスオーバーする青春/3

〈 和歌サークルの部室前 〉


 行列を引き連れてやってきた部長さんは、入口をノックしてから対応に出てきた一回生に、丁寧にあいさつをすると、例の京男きょうおとこを呼び出してもらう。眇めた目つきてこちらを見ている彼を残し、他のサークル仲間はスーツ集団の無言の圧力を受けて、廊下にそそくさと消えてゆき、すぐにドアが閉まった。数秒後、もの凄い音がして、室内はまたすぐに静かになる。


 部長さんは、倒れた屏風の上に座り込んで、お腹のあたりを抑えてうずくまっている京男の顔を、髪を掴んで自分の方に向けさせてから、彼の耳元でこうささやいていた。


「無事に五体満足で卒業したかったら、二度と神道花音しんどうかのんに関わらず、頭を低くして残りの学生生活を送りなさい。ただでさえ君は、の父親の顔で、なんとかこの大学に潜り込んだのだから……」


 そしてそんな恐ろしいことを、実に温和な笑顔でささやいていた部長さんは、副部長に合図すると、なにも知らずに廊下で怯えていた和歌サークルの部長さんだけを中に入れさせて、彼にニッコリと笑顔で告げた。


「お判りでしょうけれど、もしこのことを少しでももらしたら、このサークルの未来も君たちの単位も就職先もなくなりますからね? あ、そうそう、古くなっていた屏風が壊れてのは、すぐになんとかするように言っておきますのでご心配なく」

「は、はいっ! いえほんと、ここのところ、ず――っと、なんの変哲もない平和な学生生活を送ってます! 今日も、明日も、な――んにもないです! 屏風、大掃除の時に倒してしまって、壊れたままだったんです! お気づかいありがとうございます!」


 さっき壊れた屏風の上に、まだへたり込んでいた京男きょうおとこは、いきなり現れた腹違いの兄と、その兄のヒザ蹴りと台詞せりふに、ぼう然となっていて、廊下にずらりと並んでいるスーツ姿のいかつい面々をしたがえて、彼の姿が消えてからしばらくしても固まっていた。


 彼らの父親は世間に名の知れた文化人であったが、兄の母親は父の先妻であり、彼は後妻の息子だった。兄の母親は実家から受け継いたものの、傾きかけていた事業を、大胆な戦略と絶え間ない努力で大成功させて、その中でも大赤字だった大学の経営を、未来の若者を育てる大切な事業だと、切り捨てようと言う周囲の反対を押し切り、なんとか赤字が出ない程度まで回復させた人物で、そんな先妻の大胆で一本気な性格に、「あんな情緒も優しさもない女はこりごりや」そう言って再婚した後妻がもうひとりの息子が、腹違いの弟である京男であった。


 半分血のつながったふたりの兄弟の歳は、半年も離れていなかったので、発覚した当時は大騒ぎになったが、泣いて謝る当時まだ生きていた京男の母親と、「それもこれもお前が至らない女やからや。この子はお前と違って繊細で優しい子で、いつもお前に悪いと気を使って日陰の暮らして十分やと言っていた健気な子なんや。だからわたしもこの子も悪くなくて……」なんて、まだ自分は悪くないと言い張る夫に先妻は、「こんな男でよかったら喜んで差し上げるわ」爽やかにそう言って、夫が家宝だと自慢していた床の間の花瓶を庭に叩きつけて粉々にし、元のついた夫の絶叫する声と泣き顔をあとに、スッキリした気分で息子を連れて京都を出て、自分名義の東京のマンションに引っ越して行った。


 しかし親子には違いがないのだからと、彼女の息子である兄の方は、たまに父親と顔を会せに京都を訪れた時は、弘子ひろこさんのお店で会っていたので、年の近い部長さんと弘子ひろこさんは、ふたりは自然と仲良くなって、いつしか仲の良い幼馴染になっていたのである。


「うちの部長は優しい人じゃけえ、今回はこれで済んだんじゃやけぇのう! よ――覚えとけ!」


 部長以下、すべてのスーツ姿の部員が消えたあと、最後にそう凄んでから姿を消したのは、広島出身で、「一体、いつの時代の反社の人だろう? 」それくらい目つきも顔立ちも怖すぎて、その上、なるべく大学校内では、皆ボロを出しつつも公用語? である標準語に基準を合わせようとしているにもかかわらず、我が道を歩き、方言を直す気がまったくないらしい、少林寺拳法部の副部長、千歳ちとせ宗一郎であった。


 そんなこんなもあって、京男きょうおとこは更に地味なキャンパスライフを送ってゆくが、その話を聞いた彼を溺愛する父親は、すぐに兄の朱雀に電話をしてくると、迷惑をかけた女の子たちのことには一切触れず、ただただ弟のことを心配して、彼に電話越しに散々怒鳴っていたが、朱雀はこの人の悪い血が、自分に出なくてよかったと思いながら、無言で通話を切って、表示された番号を無表情のまま着拒にしていた。


 もちろん弟の名は『ひかる


 彼を溺愛する父や、それにおもねる周囲の人間は、彼のことを『今光源氏』だと言い、彼のことを『光る君』と呼んでいた。


 朱雀はそんなちょっとした出来事のあと、気を取り直して道着に着替え、稽古にいそしんでいたが、やはり集中できず、その日は稽古のあとにいつもしている理事の仕事はやめにして、ザッとシャワーを浴びて汗を流し、職員専用の駐車場(彼は理事なので当然使用していた。)に留めてある車で帰るために、広い構内を歩いていると、今回のうわさの中心人物、『東山葵ひがしやまあおい』ちゃんが、大きなリュックを背負って、駅まで大学が出しているシャトルバスのバス停まで必死に走っているのが見えた。


 なんとなく眺めていると、間一髪、彼女はバスに乗り遅れて、膝から地面に崩れ落ちる。土地がただみたいに安いからと、うちの母が市の中心部にあったキャンパスを売って、郊外の、しかも駅すらも遠い。こんな住所だけは都会の僻地に、新しいキャンパスを建ててしまったせいで、ああいう学生の姿があとを絶たない。(専用のシャトルバスがあるが、なにせ本数が少ないのだ。)しかもあれは多分、最終便だろう。


 自分の預かり知らないことではあるけれど、今回の騒動では、うちの神道しんどうといい、弟のことといい、大変な迷惑をかけてしまった。それに……。


 彼は考えるのをやめて車に乗り込むと、彼女のいるバス停の前に静かに愛車を停める。ふと俯いていた彼女がこちらを見上げると、綺麗に切りそろえられた黒髪がさらりと顔の周りで揺れるのが見えた。彼女は少し小声で自分に声をかけてくる。


「あの、バス停に車を停めると怒られますよ? あれ? 貴方は確か花音かのんちゃんのところの部長さん? でも大学は車で通うのは禁止なはず……あれ?」

「まあまあ、東山ひがしやまさんには、色々とうちの部員がお世話になったみたいだから、よかったら駅まで送らせてもらうけど、どうかな?」

「…………」


 なにが「まあまあ」なのかは分からないけれど、なんでわたしの名前を知っているのかも、ぜんぜん分からないけれど、まあ、少林寺の部長さんは、とてもよい人だと評判だし、わたしの名前もきっと花音かのんちゃんに聞いたんだろう。それになによりここは、駅がめちゃめちゃ遠い……。ハードな稽古のあとで、重い荷物を背負って、坂道を何十分も歩きたくない!


 葵は、秒の間で色々と考えると、なんだか高そうな車の助手席に、背負っていたリュックを、今度は前に抱きかかえて、愛想笑いをしながら乗せてもらうことにした。


 車は静かに滑るように走る。これなら遠くまで乗っても絶対車酔いしない……。いいなあ普通の高級車って……。


 わりと車酔いするたちの葵は思った。前に見せてもらった花音ちゃんの車も絶対に高級車だけど、なんだかアレはテイストが違う。乗り心地よりもスピードが命! みたいな形をしていた。乗ったことないから知らんけど。


「学校は楽しい? 授業の方はどう?」

「……え? 普通に楽しい……ああ、でも、学食がもう少し安いメニューがあるといいなぁとか思います」


 なんだか学校のアンケートみたいだな。葵が会話をしながら、そんなことを思っていると、気がつけば駅はとっくに通り過ぎ、いつのまにか高級車は高速道路に乗っていた。


『げっ! ひょっとしてさらわれた?! スマホ、スマホで緊急連絡……ああ、電池が切れてる! この人、こんな優しそうだけど、実はめちゃめちゃ強いから勝てる気なんて、1ミクロンもしない! どうしよう! 助けて神様!!』


 変な汗を背中にだらだら流しながら、葵が内心で大いに焦っていると、部長さんは面白そうな顔で口を開いた。


「慌てなくても、ちゃんと家まで送るから大丈夫。それに君は知らないだろうけれど、僕は君に、本当に色々と感謝しているんだ」

「え……?」


 花音かのんちゃんのこと以外に、なにか感謝されるようなことしたっけ? 


 葵がそう思いながら、もうすっかり日が落ちた綺麗な夜景を窓越しにながめて考え込んでいると、すぐ手前に『関西国際空港/関空』が見えてきて、車はどこかのパーキングに止まり、自分の横にあったドアがパカっと開いた。


 エスコートでもするように、部長さんが丁寧に手を差し伸べてくれたので、どうせ逃げられないし、それなら負けが確定してても最後まで戦う!! 葵はそんな風に、なかばやけっぱちに根性と結論を出し、リュックサックを車内に置いて外に出る。


 夜間飛行をするジェット機が、真上を通って関空の滑走路に降りてゆくのが見えた。地元だけど、地元だからこそか、あまりまともに見たことのない光景に、今更ながら感動していると、となりで同じようにその様子をながめていた彼が口を開く。


「僕も忘れていたのだけれど、思い出したんだ。東山葵ひがしやまあおいさん、地元の人で、住所は〇〇〇〇……そうだよね?」

「……そうですけど?」

が趣味の東山葵ひがしやまあおいさん」


 彼は笑いながらそう言った。


「なぜそれを……?」

「僕の幼馴染が以前、交通事故にあった時、君が頑張って、献血をしていてくれたおかげで、命が助かったんだ。その時に君のことをね……」

「はあ……」


 実は、葵の血液型は、『まれな血液型/rare blood type』というタイプの一種で、本人はただの健康診断の代わりのつもりであっても、医学的には、医療的には、とても貴重な血液であった。


 なんで自分がその提供者だって分かったんだろう? セレブには庶民が知らない連絡網でもあるのかな? 個人情報ってやっぱり裏では洩れまくっているんだな、などと思いながら、葵は頻繁にジェット機が行き交う夜空を見上げて、全然関係ないことを考えた。


『さっきは感動したけど、飛行機の音って超うるさいな! それにあんな大きな鉄の塊が、空を飛べるなんてホント信じられないなぁ』


「…………」

「え?」


 葵は大学生にもなって、そんなアホなことを考えていたので、彼の話が耳に入っていなかった。ふと面白そうな表情の部長さんと目が合って、『恥』という漢字が脳内を走って消えた。


 どうかさっきの考えは、口に出ていませんように…。

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