第207話 現代奇譚/クロスオーバーする青春/4

「せっかくだから、なにか君にお礼ができないかなって言ったんだ。君は僕のたったひとりの大切な親友の命の恩人だから」

「いえ、大丈夫です! お気になさらず! 献血に協力するのは、市民の義務ですから!」


 それを言うならせめて、『警察に協力するのは市民の義務』だったのだけれど、突然降って沸いた幸運を怪しんだ超小市民の葵は、『ここは欲をかかずに、自販機でお茶でも買ってもらって、早いところ家に帰してもらおう』


『大きな葛籠つづらより小さな葛籠つづら……』そんなことを思い、そしてそんな思いが顔に思いっきり出ていたので、朱雀はいつもの作り笑いではなくて、本当に心からの笑顔をいつの間にか自然に浮かべて、久しぶりに声を出して笑っていた。


 この子のことはざっと調べてはいた。どう見ても裕福ではなく、色々と欲しいものがあるだろうに、なんていい子なんだろうと思い、気がつくと葵の頭を撫ぜていた。


 彼女の少し幼く見える可愛らしくも、裏表のない素直な、でも少し緊張した顔を見ていると、なぜか不思議と懐かしくて、胸の奥が暖かくなって、親友以外の誰かに、久しぶりに無条件で優しい気持ちが湧く。


「それじゃあ僕の気が済まないから、なにか……そうだ、大学から駅までの交通手段に、原付バイクとか要らないかな? うちの部が使っている原付を新しくするから、いまのは処分しようと思ってたんだけど? あと余っている僕の株主優待の大学の食券とか?」

「あ! それは欲しいです! それなら是非!」


 葵は思わず差し出されたエサに食いついていた。


 だって、駅から大学まで遠いし、わたしは自転車しか持ってないし、処分予定のお下がりなら、全然気を遣うこともないし……。それにそうかー、株主優待……そう言えばこの部長さんは、大学の偉い人だった。忘れてたよ! そりゃあ、色々と気を使ってくれるはずだ。大学の評判的に! 食券は、もしものためにいまは取っておこう。


 色々と心配して損したなー。


 葵はすっかりリラックスして、さっきまで「うるさいなあ」と思っていた飛行機の離発着を、手のひらを綺麗に返して、なんて綺麗で素敵な光景だと、しばらく眺めていたが、「そろそろ帰ろうか?」そう言われて、再びまた車の助手席にエスコートしてもらい、ニッコニコの笑顔で自宅まで送ってもらっていた。


「じゃあまた明日。原付と鍵なんかは、今度、神道しんどうさんに渡しておくから」

「ありがとうございます!!」


 葵は大声で礼を言い、送ってもらった小さくて古い自宅の前で、彼の高級車が見えなくなるまで、ぐっと小さく右手でガッツポーズをしつつ、直角にお辞儀をしたまま見送った。



〈 それから数日あと 〉


善因善果ぜんいんぜんか、情けは人のためならず……葵ちゃんの善行は、さち多かったね、わたしも今日から献血にい――こうっと!」

「そんなつもりじゃなかったから! 無欲の勝利だから!」


 葵と花音かのんは、どうみても新品の原付の前で、そんな会話をしていた。


「これ新品じゃないの?」

「部活用の原付が壊れかけてたから危ないって、部長の家に眠っていたのを、わたしがちゃんと乗れるように レストアして持ってきたんだから! 部長の家から何時間も下の道を走って! 超感謝して!」

「これって……郵便局のお下がり?」


 葵はバイクのあれにもこれにもうとかった。そして、目の前にある原付は、たしかに郵便屋さんっぽかった。


「失礼な! これ二年前に、60年記念で発売されたスーパーカブ50だから! 限定品だから! しかもコレクトされていたヤツだから! 駅前に適当に置いちゃダメなヤツだから!」


 そう返事をした、やたらとバイクには熱い思い入れのある花音かのんちゃんの鼻息は荒かったが、駅前に適当に置けないなら意味ないじゃんと、葵は内心大いにがっかりしたけれど「部長が駅前に駐車場を持ってるから、ひとつ使っていいってさ!」そう言われて、お金持ちってすごいなあと思い、花音かのんちゃんに、これまたお下がりで、原付にしては立派過ぎるヘルメットをもらい、その日はヘルメットを小脇に抱えて、ほくほくとした顔で一日を過ごしていた。


 そう言えば、花音かのんちゃんのところの部長さんの名前も、彼の親友の名前も知らないけれど、ありがたいありがたいと、空を飛んでいるジェット機に手を合わしてた。ちなみにあとで親切な部長さんの名前は『春宮朱雀はるのみやすざく』だと知った。


「めっちゃかっこいい名前!」


 それを知った時、転生前の葵は、そう思ったけれど、それ以上はなんにも思うところもなかったので、そんな感想を抱いたこともすぐに忘れ、それから先は、時々、お下がりのバイクで、プルプルと駅に大学を往復するようになっていた。


 なぜバイク一本にならなかったかといえば、50ccにしては荷物が多すぎる日が多かったのである。


「あれ? バイクがあるはずなのに、またバスに乗っている」

「50じゃ詰める荷物は知れてますから。あの子、原付一種の免許しか持ってないんです。せめて原付の二種を持っていたら、部長のお宅にあった110の方が乗れたので、もう少しなんとかなったんですけれど……」

「そうなんだ……」


 ある日の夜遅く両手に大きな紙袋、背中には大きなリュックサックを背負っている、遠くのバス停に並ぶ葵を見つけた、不思議そうな顔の部長に、花音かのんはそう答える。とにかく一回生はなにかと荷物が多い。徒歩圏内の自分だって、荷物の多い日はバイクである。


 先に免許の費用を出して上げた方がよかったかな? などと考えている彼の横を、「ほな、お先に失礼します!!」そう言って、くだんの広島出身の副部長が、花音かのんの大型バイク、ドゥカティのモンスター1100Sの倍以上の排気量、2500ccを誇るトライアンフのロケット3Rで颯爽と帰って行った。ちなみに花音がキャッシュでオプションを追加してもらったのとは違い6年ローンである。


「小さなバイクは、あまり荷物が積めないんだね。だから君たちは大型バイクに乗っているんだ」

「それもありますね――」


 花音かのんは部長のその台詞せりふに、「そんな訳ない! なぜバイクのロマンが解らない?! いやまあ、そういう便利さもあるっちゃーあるか? 学生は基本的に車で通学禁止だし……」などなど考えながら、きっと葵ちゃんがもらったアレは、部長のミニカーコレクションみたいな物で、だから誰も乗ってなかったんだなと思い、部長の浮世離れにヤレヤレと首を振って、それでもキチンと挨拶をしてからスマホで葵ちゃんに連絡を入れながらバス停まで走って行って、「もう今日も泊って行きなよ」と、声をかけて、紙袋をひとつ持ってあげてから驚いた。


「なにこれ?! 防具より重い!」

「ありがたいんだけど、凄く重くって……助かった!!」


 花音かのんちゃんが驚いた紙袋の中身は、葵が例の副部長さんにもらった虎屋の羊羹ようかんと最中の特注した大きな詰め合わせが3セット、もうひとつは袋いっぱいの食券の束。


 実はあの日から、葵が気になってしかたない朱雀だったが、あれからずっと授業やら部活やら、体育会のなにやら、どうしても外せない理事会の用事まで重なり忙し過ぎて、とりあえず先に食券は渡さないといけないと、「部活の前に部室に寄って、溜まっている食券を適当にデスクの中から出して、合氣道部の東山さんに渡しておいてくれ」そう言って、大いに大雑把な副部長に仕方なく頼んでいたのである。


「了解です!!」


 副部長はいつものように大きな声で返事をして、部長の姿が消えたあと、例の事件を思い出していた。


『あ、これはきっと、あの時のお詫び! イナゴ(花音)の友達じゃけー、きっと、よー食べるじゃろ!』


 引き受けた彼はそう思い、その結果、デスクの中に溜まりに溜まっていた大きな紙袋一杯の食券と、休講になった授業の間に、虎屋の羊羹ようかんの詰め合わせを、彼はバイクを飛ばして用意していた。親切心である。そんな訳で、葵は大きな紙袋をふたつ受け取って、両手いっぱいの荷物で歩いていたのであった。(この出来事がきっかけで、カフェと言い張る古い食堂には、ようやく電子クーポンが導入された。)


「食券は花音かのんちゃんのとこの部長さんからのお詫びの品で、この羊羹ようかんは自分からの気持だって副部長さんにもらったけど、なんの気持ちなんだろう? 羊羹ようかん、冷やして食べる? 小豆は体にいいよ?」

「早く冷やそう! 早く早く!」


『虎屋・羊羹ようかん・気持ち……っと……』


 葵がスマホで調べている間、冷凍庫に入れれば早く冷えるんじゃない? わたしって賢いな――。そんなことを思いながら花音かのんちゃんは、冷凍庫に羊羹ようかんを入れて、前で待機していたが、葵はがっかりした顔でスマホを見ていた。


 なんだか意味がわからないけれど、これは“お詫び”の品で間違いないらしい。


『あ――あ、なにか告白でもされたのかと思ったのに!』


 そんなことを思いながら、未練がましく紙袋や包み紙の中を漁ってみたが、やはり“お詫び”以外のなにものでもなかったようだ。


「きっと、わたしのことで、迷惑をかけたからじゃなかと?」


 虎屋の羊羹ようかんの意味を知っていた花音かのんちゃんは、あっと言う間に冷えた羊羹ようかんを持ってきて、ご機嫌で硝子のテーブルに乗せながらそう言う。


 花音かのんちゃんの手前、いまは言うことじゃないけどさ、一体、わたしはいつになったら彼氏ができるんだろう? と葵は思い、綺麗に切り分けられた羊羹ようかんにグサリと行儀悪くフォークを突き立てて、口に放り込んだ。


「めっちゃおいしいね」

「虎屋だからね」


 まさかその頃、少し照れた顔の朱雀部長が、弘子ひろこさん相手に自分宛のプレゼントを考えているなんて思いもよらなかった。


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