第205話 現代奇譚/クロスオーバーする青春/2

 もう、お好み焼きでお腹いっぱいだし、(結局、お好み焼き屋さんは帰り際に寄った。わたしは一枚、花音かのんちゃんはもちろん十枚食べた。)色々と疲れたし、今日は花音かのんちゃんのマンションに泊って帰ろう……。(わたしの家は通学に片道二時間はかかるのだ。)


 そう勝手に決めた葵が、自分の家より広い花音かのんちゃんの豪華なワンルームマンションにずらりと並ぶ筋トレマシーンで遊びながら聞いた話は、『一体、何時代なんだ?!』そう思った、どえらい衝撃の昔話だった。


 デザートにアイスでもたーべよ! そう言って冷凍庫から業務用のハーゲンダッツ(なんと2リットル!)を持ち出して、近くのソファに腰掛け、大きなカレースプーンでよそって食べながら、花音かのんちゃんが打ち明けた話によると、彼女は小さい時に、お母さんが入院した都合で、仕方なく二年ほどあそこに預けられていて、例の変わったおじいちゃんは、『日本一の大和撫子なお姫様』になれるようにと、お前はきっとあとで感謝すると言いながら、花音かのんちゃんの意思を一切無視して、お前のためだと蔵に閉じ込めて、花嫁修業なるものをさせていたらしい。


「絶対に頭おかしい! あ、ごめん、人の身内に!」

「いい、当たってるから……」


 小さかった花音かのんちゃんは、もちろん頭に来たので、隙をみてなんとか蔵をよじ登ると、窓をやぶって、小さなリュックサックひとつで、あの家から逃げ出して、博多に単身赴任していたお父さんのところに家出したらしい。


 結局、そのあと無事に退院して、自分には心を入れ替えたと、殊勝な態度を見せてた、相変わらずの父親に、あきれ果てた花音ちゃんのお母さんも、そのまま単身赴任先に引っ越したそうだ。


『この子は自力で逃げ出したラプンツェル!』


 葵はそんな感想を抱き、改めて花音かのんちゃんの身体能力の高さに感心しながら、ショルダープレスのバーを押し上げた。そして、よくあれだけお好み焼きを食べたあとで、二リットルもアイスが入るなあと思い、燃費が悪すぎるのかもしれないと思った。(カロリー的に。一日、十万カロリーくらい食べてないか? そんな訳ないか……)


「もう歳だと思って、つい心配して顔を出したのが失敗だった……」

「なんか強烈な人やね……」

「うん……」

「あれは、長生きするから、しばらくほっておいても大丈夫だよ……」

「うん。あ、アイス食べる?」

「今日の栄養バランスはもう完璧だから要らない……」

「そのストイックさは、いつも尊敬する!!」

「そーかい、ありがとーね……」


 そのあとお風呂に入って、ふたりで、きゃわきゃわと、なんでもないバカな話をして、わたしは、「本当に色々とよく頑張ったね……」そう言いながら、花音かのんちゃんの頭を撫ぜて、花音ちゃんは、「なんだそれ?」そう言って、へへへと笑ってた。


 貸してもらったパジャマは、フカフカで柔らかくて、夢見たいな肌触りで、幸せ々々と思っていたら、知らない間にふたりで、シングルベッドで、グーグー寝てて、朝起きたら床の上だった……。


 顔を洗おうと洗面所に行くと、花音かのんちゃんは横のバスルームで、相変わらず謎の海草で頭を洗っていた。


「わたしもそのストイックさは尊敬するよ……」


 葵は顔を洗ってからそう言うと、近くのコンビニに行って買ってきた、無塩のトマトジュースを飲み干していた。


 後日、京男きょうおとこは、闇討ちの犯人の正体が分かっていた様子だったが、プライドだけはチョモランマより高い男、余程あの出来事は恥ずかしかったようで、なにも言わなかった。


 しかし彼はそれからというもの、花音かのんの悪口や欠点を、隠れてあちらこちらで、あることないこと言いふらしていたので、ことの成りゆきとタチの悪さに怒ったくだんの美しい先輩で、『美膳料理研究会』(試食したさで無料体験コースに参加した葵ちゃん曰く、栄養バランスよりも食材へのこだわりが、遙かな高みにある超々セレブな料理研究会らしい。)を主催する弘子ひろこさんは内心では怒り心頭で、それでもしごく上品に、大学での広い交友関係と、自分に対する周囲の信頼性を利用すると、アノ男の黒い真実をそれとなく広げた。


 この弘子ひろこさんという人物は、自分の実家が由緒正しい彼の某実家に、代々贔屓されている京都でも老舗の人気高級料亭で、すでに亡くなった母親に代わって、大女将おおおかみの祖母の下、学生と若女将わかおかみの二足のわらじを履き、ありとあらゆる京都の裏事情にも通じていたので、伏せに伏せていたその話もとっくに知っていたのである。


 そんなある日、弘子ひろこさんが大学から家に帰ると、どこで聞きつけたのか、「なぜあのことをしゃべった?!」京男きょうおとこの不名誉な話を口止めしていた父親に、大声で叱られたが、彼女はまったく負けていなかった。


「うわさを広げたんは、わたしだけやないです。それにうちは、そないなことで潰れる店やあらしません。ちゃんとした家のお嬢さんに、見境なく手を出して、ろくな後始末もできんあのアホぼんを、まだこれ以上かばうようやったら、十代続いたあの家ももうお終い、ここに通い続けることなんでできません。それに本当の跡継ぎは……あの男やあらしません……余所よそからきたお人は、黙っていたらどうですか?」

「お前……父親に向かって、余所よそからきた人て……」


 若女将の弘子ひろこさんは、婿養子の父親に冷たい視線を向けて、大げさにため息をついてから、家の仕事がありますから、と言うと、父親をそのままに姿を消した。周りにいた開店前の店の従業員は、知らん顔で自分の仕事をしていた。


 若女将わかおかみは、まだ学生の身でありながら、店中の尊敬を集める大女将おおおかみが、「もういつわたしが引退しても大丈夫や……」そう言うほどの有能な跡取り娘であったし、いまは亡き女将おかみが惚れて、東京から連れてきてからというもの、彼女が亡くなるまで、店の金を持ち出しては祇園で遊び歩いて、泣きついて許してもらうしか能のなかった旦那さんは、余所よそから来た以外の何者でもなかった。


若女将わかおかみは、大女将おおおかみにソックリ、いや、それ以上や、“青は藍より出でて藍より青し”ほんま店の希望ですわ」

「言うことが難し過ぎて、なんや分からへん時もありますけど、経営の難しい資格も持ってはるし、もう三ケ国語はペラペラやて、大女将おおおかみに聞きました」

「お茶にお花に日本舞踊、どの習い事の先生も、なんでこの子がうちの跡取りやないんやと、おっしゃってくれてはるし、ほんま凄いお嬢さんですわ」

「どこから婿をもらうか、いまから大女将おおおかみは、贅沢な悩みを抱えてはりますなぁ……」


 彼らは口々に自慢のお嬢さんで、若女将わかおかみ弘子ひろこさんのことを、そううわさしていた。



〈 その翌日 〉


 一方、葵ちゃんが、もてあそばれて捨てられたと、とんでもない勘違いした合氣道部の部員たちは、「うわさを広げたんは、わたしだけやないです」そんな弘子ひろこさんの言葉通りの行動を、彼女が話を広げる前からとっていた。


 体育会に所属しているクラブを中心に、ありとあらゆる大学に、大々的に彼の正体を、尾ひれをつけて、彼の悪行をバラしにバラしたのである。


 行動範囲と活動範囲の広い彼らの間と、特に運動部でもないその知り合いや友達の間で、うわさはどんどん広がっていたが、あとでそのことを知った葵が、「それはと違います!」思わずそう口走り、それじゃあ本当の被害者は、一体誰なんだ? という話になって、それはそれで、おかしなことになってゆく。


 問い詰められた葵は、当然、黙っていようと思っていたのに、ついつい誘導尋問に引っかかり、最終的に口を滑らせて、「被害者は、隣の少林寺拳法部の神道しんどうさんです」なんて言ってしまったので、合氣道部と変わらず、もの凄い数のトロフィーや優勝旗に囲まれた、でも、比べ物にならないくらい豪華な部室で、SPのような副部長を横に立たせたまま、優雅なティータイムをしていた、大学の理事長の息子であり、理事であり、超イケメンの少林寺拳法部の第57代部長は、一回生から副部長までたどって上がって来た伝言ゲームでそれを聞き、端正な顔を少ししかめていた。


「困るなあ……あの子はうちの大学が、世界で活躍できる子だと期待して、何年も前から“三顧の礼”を持ってして、大変な争奪戦の末に、うちの大学に入学してもらった逸材なんだから……」


 彼はそう言ってから紅茶を飲み干すと、高級そうなティーカップをテーブルに置き、ふかふかのソファから優雅な所作で立ち上がる。


「あと誰だったかな? ああ、東山葵ひがしやまあおいさん、彼女には、お詫びをしなきゃいけないね」


 副部長がさっと耳に入れた葵の名前を口にして、少し首をかしげ、そんなことを言いながら。


「お詫びと言えば、虎屋の羊羹ようかんの詰め合わせですかいのう?」

「…………」


 確かに虎屋の羊羹は、謝罪の鉄板商品だが、女子大生にそれはないだろう……。


 そう思い、副部長の言葉を、綺麗に無視した上品な部長さんは、オーダーメイドのスーツの首元で、少し緩んでいたネクタイを、さりげなくきちんと直し、広い廊下に副部長以下、何十人もの部員が整列するのを待って、開けたドアを押さえていた一回生に、にっこりとほほえんでから、和歌サークルの部室に向かって、一同全員を引き連れ、廊下を堂々と歩き出す。


「やっぱりかっこいいよね――、超イケメン!」

「うちにも半分、いや、四分の一でもいいから、あんなイケメンいれば、もう少しやる気が出るんですけど――!」

「きゃ――!!」


 両隣の部室から顔を出している、胴着姿の別の部活の女子部員たちは、平たい目であきれた様子で自分たちを見ている、自分たちのところの男子たちを完全に無視して、時間が立つのも忘れて、少林寺の部長さんの行列を見送っていた。


 彼の名は、“春宮朱雀はるのみやすざく


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る