第197話 収まらぬ火の粉 4

〈 時系列は再び四の君のお引っ越し騒動の頃に戻る/右大臣家 〉


 右大臣家で頭中将とうのちゅうじょうの評価が急上昇する中、もうひとりの婿君である三の君の夫、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやのあとに新任として、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの地位に就いていた、蛍兵部卿宮ほたるひょうぶきょうのみやと呼ばれる親王の評価は、すさまじい勢いで下がっていた。


 一夫多妻制であり、正妻と側室である他の妻たちが手を携えて、夫を支えるのが美徳とされる時代ではあるが、夫を一番に支える正妻をないがしろにする行為は、決して褒められたものではない上に、四の君には、ここまで素晴らしい話が舞い込んでいる。当然といえば当然の話であった。弘徽殿女御こきでんのにょうごは何度か頷いてから、重々しく口を開く。


「このような時だからこそ、頭中将とうのちゅうじょうが四の君のことを、右大臣家を、いかに大切に思って下さっているかが分かりましたね」

「大火からこちら、なんの便りもなかったのは、きっと四の君のために、奔走なさって下さっていたのでしょう……」


 女御にょうごの言葉に、そんな風に細い声で答えたのは、蛍兵部卿宮ほたるひょうぶきょうのみやを婿に迎えている三の君であった。


 元々、少し体が弱い彼女は、この大騒ぎにすっかり参っていたが、彼女も夫から一通の便りもなく、ただただ四の君とふたり、心細く慰めあっていた。


 しかし、妹君である四の君の婿君、頭中将とうのちゅうじょうから連絡がなかったのは、ちゃんと然るべき理由があったのである。彼は大火の騒動に頭中将とうのちゅうじょうとしての公務に追われながらも、四の君のために奔走していらしたのだ。


 女御にょうごの言う通りだ。常日頃は四の君に対して、よそよそしいとも感じる方でいらっしゃったが、こうなると何事もおごらず控えめに振舞う、素晴らしい方だったのだと、三の君は妹君の幸運を羨んで、じっとうつむいた。


 自分の夫はとても教養深く雅やかで、美しく優しい方ではあるが、このようにという時、強引ともいえるほどに、動くことができるような気概のある方ではない。わたくしのことなど気にも留めず、この騒動の恐ろしさに、他の妻の家で寝込んででもいるのだろう……。


 そして元はと言えば、初めに頭中将とうのちゅうじょうとの婚儀の話があったのは、自分だったことを思い出す。

 生来のこの体の弱さが、跡取りも姫君もひとりしかいない摂関家との婚儀のさわりとなり、健康そのものである四の君と、頭中将とうのちゅうじょうの縁談話が、まとまってしまったのだ。

 幸せそうな妹君に知られぬように、密かに唇をきゅっと噛み締める。


頭中将とうのちゅうじょうからも、おふみが届きましたよ!!」


 そこに母君が紅潮した頬で、そう言いながらやってきた。


 皆でのぞき込んだ料紙には、美しい筆の跡で、この混乱の中での務めが重なり、四の君のことを、捨て置いたようになってしまったことを詫びると同時に、こちらのやかたには、元から女房や使用人も多いことから、身の回りの品だけで移ってもらえれば大丈夫などと、短いながらも細やかな気遣いが書き記してあった。


「さあさあ、なにをボンヤリしているのですか! 早く荷造りを進めなさい! このくらいの差配が素早くできぬようでは、ここの倍もあるやかたの家政を仕切ることなど、とてもできはしませんよ! いくら身の回りの品だけでよいと言われても、六条御息所ろくじょうのみやすどころや三条の大宮は、四の君が摂関家の北の方としてつとまるかどうか、大いに注視されることでしょう。それ相応には整えねば、貴女あなたと右大臣家の面目がたちませぬ!!」

「あ、ええ、ええ、そうですね、あまりにも驚いてしまい……」


 興奮気味の母君に急かされて、四の君は、はっとした顔で現実の世界に戻り、急遽、左大臣家に引っ越し先が変わったことで、今度はまったく違う嬉しい意味での忙しさに巻き込まれていた。


 幸いにも右大臣家には、過剰ともいえるほどの調度品がある。父君である右大臣も渡りに船とばかりに、すべて一番よい物を選んで持って行きなさいと、笑顔を見せていた。


 そんな妹君の幸せそうな様子に、ホッとした表情を浮かべていた女御にょうごは、今度はけんのある目つきで、遠く母屋の方角を眺めた。


 女房の萩がやってきて、蛍兵部卿宮ほたるひょうぶきょうのみやが帝の見舞いにやってきたと、報告したのである。


「はっ! よくぞ顔を出せたこと! 三の君を捨て置いて、一体なにをなさっていたのかしら? 頭中将とうのちゅうじょうとは違い、どうせ大した用事もなかったでしょうに!」

女御にょうご、尊き親王に少し言い過ぎ……」


 右大臣が眉をひそめて、小声で注意するが、彼女は視線をそのままに、言葉を無視して、蛍兵部卿宮ほたるひょうぶきょうのみやの文句を続けて、最後に妹君に声をかけた。


「三の君は安心なさい、わたくしがキッチリ説教をしておきましょう」

女御にょうご、この騒動の最中ですから、なにもそこまで……」

「色々と大変な時ですし……」

「右大臣である父君や貴女が、そのように甘やかすから、蛍兵部卿宮ほたるひょうぶきょうのみやが、つけ上がるのです! 話がこじれるようであれば、三の君にはわたくしが新しい婿君を探して上げます!」

女御にょうご……」

「そうね、蔵人所くろうどどころの別当なんてどうかしら? 少し身分の格は落ちますが、よほど気がつく方ですし、お顔を比べても格段に美しく、東宮とも仲の良い方ですよ?」

女御にょうご……」


 三の君は、姉君である弘徽殿女御こきでんのにょうごの勢いに飲まれて、二人の姿が消えたあとも、しばらく畳の上に座り込んでいたが、妹君である五の君に「思い切って乗り換えちゃえば?」そんな風に言われ、それを聞きとがめた母君に五の君が、『いくらなんでもはしたない』そんな風にお説教されているのを、聞くともなしにボンヤリと聞いていた。



 *



※前回のお話に出た『瘧/おこり』⇒(マラリア説)なんですが、当時の設定? どおりに、僧侶の祈祷の領分になっております。


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