第192話 大火のあとの変 4

〈 中務卿なかつかさきょうのやかた 〉


「“白月会しらつきのかい”ってなにかしら?」

「えっと……確か高位公卿の『北の方』で構成されている、婦人会ふじんかいだったと思います」

「そうなの?」


 葵の上は、兄君が姿を消したあと、本日の家政一覧表に目を通し、紫苑と「ああでもない、こうでもない」と言いあっていると、そんな不思議な項目を見つけたので、聞くでもなく聞いてみると、さすがに女童の頃から、女房となるべくして育っている紫苑は知っていた。


 助かるなー、でも、“白月会しらつきのかい”なんて、初めて知った! この時代に婦人会なんてあるんだ! 中務卿なかつかさきょうが、猩緋しょうひに任せておけばいいって言うのに、甘えていたのを少し反省!


 しばらくは、ここで暮らすから、少しはなにかしなきゃいけないのかな? 今日だけでいいなら、それはそれで助かるけど。後宮から下がってきた女房たちを、御祖父君のやかたからこちらに回してもらわなきゃ! あ、ついでに兄君に頼めばよかった!


 夕顔たちは、あれから数刻しても、戻ってこないところを見ると、案の定、東の対の片づけに追われているようである。


 それから昼も大幅に回って、ようやくこまごまとした差配を終え、休憩がてら、ふたりで、お茶を飲んでいると、庭先に見慣れた、どこか疲れた表情の真白の陰陽師の“伍”が、そっと姿を現した。


「あら、どうかしたの?」


 そう言いながら、紫苑が気軽に御簾の外に出て、高欄に近づく。


「今日は借りている寝殿の家賃を払いにきたんですけど、東の対でさっきまで、検非違使の別当に、訳の分からないことを言われて、捕まっていたんです」


“伍”が不服そうな顔をしているのに、“ピン”ときた葵の上は、他に誰もいないので、気軽に御簾の中から声をかける。


「まあ……とにかく、上がってお茶と菓子でもどうかしら? 久しぶりに会えたのだし、貴方も無事でよかったわ」

「あ、ありがとうございます! おかげさまで、僕たちはみな大丈夫です!」


 真白の陰陽師の“壱”から“伍”が、寝殿を誰かに借りて、『シェアハウス、シェア寝殿?』しているのは知っていたけれど、うちが貸していたのか!


 葵の上は、少しのやましさから、お茶と菓子を勧め、そんなことを思いながら、やはり家政一覧表を見ると、ちゃんと家賃を支払いにくることが書いてあった。


 でもこれは、わたしの仕事じゃないような? まあ、留守だから仕方ないのかな?


 紫色の袱紗ふくさに包まれた家賃を受け取った紫苑は、丁寧に盆に乗せて、葵の上のいる御簾内に持ってきた。


 袱紗ふくさを広げた葵の上は、どうしたらいいのかも分からないので、ひとまず中身を貝桶の中に隠して、袱紗を返してから、お嬉しそうに菓子を頬ばる“伍”の話を聞く。


 その説明によると、明け方の東の対の騒動を、“伍”のせいにされて、いままで検非違使の別当に、説教されていたらしい。


 なぜ、そんなことになったのかと言えば、「狐が尚侍ないしのかみに化けて出た!」そう主張して譲らない検非違使の別当に、面倒になった蔵人所の別当が、「あれだ、ここには、真白の陰陽師が、しょっちゅう出入りして、いたずらをしているらしいから、きっと犯人は陰陽師だ」そんな風にごまかしてしまおうとしていたところに、ちょうど『お家賃』を払いにきた“伍”が、ほけほけと渡殿を歩いていたのである。


「きっと、お疲れで夢でも見たのでしょう。とんだ災難でしたね」

「まあ、元はと言えば、“弐”と“六”の日ごろの行いが悪いんでしょうけれど、狐のことまで知りませんよまったく……」


“伍”はしばらく、菓子を食べながらブツブツ言っていたが、それでも仕事があるので、そろそろ帰りますと言い、葵の上は、心の中で大いに謝りながら、「災難でしたね、あとで御弁当と菓子を届けるわ。これから先しばらくの間も大変でしょうから届けさせるわね」そう言うと、嬉しそうな顔に変わって帰ってゆく“伍”を、紫苑に見送るように言った。


 紫苑が戻ってすぐ、寝殿の方から中務卿なかつかさきょうがやってくる。深刻な顔の彼は、なにか手紙のようなものを手にしていた。夕顔たちもやってきたところを見ると、二人の別当は帰ったようだ。


「母君のことで心配が尽きぬ中、誠に心苦しい話ですが、まつりごとに関わる大変なことが起きました。すぐに関白のやかたに向かうご用意をなさって下さい」

「はい?」

「葵の上、貴女の肩には、この国の未来がかかっています。母君のことは、関白もご了承下さったゆえ、ここはどうか曲げて、出立の用意をなさって下さい」

「…………」


 中務卿なかつかさきょうはそう言ってから、紫苑たちに特に念入りに、葵の上の身支度を命じたので、行事ごとのために用意していた特別な十二単を、紫苑たちが屏風の向こうで用意している間に、彼は今回のことを葵の上に、かいつまんで説明をはじめた。


 それは、まったく頭が痛い話で、心の底から関わりたくはなかったが、どうも回避する訳にはいかない事件のようであり、折角? 家出をしてきた葵の上は、『これはもう、かぐや姫だって、はだしで逃げ出すわね!!』紫苑たちが、そんな風に思うほど、美しい十二単の姿で、関白が差し回した唐車に乗って、再び元のやかたに、沈痛な面持ちで、戻ることにあいなったのでした。


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