第183話 脱出 3
「不審者を発見した部下から届きました。この大火の出来事の中、これほどの人員を投入しての人攫いの捜索、宛名はございましたが、重要なものであろうと、中身はわたくしも
「……当然のことですね」
差し入れられた包みを広げながら、そう葵の上は返事をする。
「今宵は内裏の門を警備する左右の
「しかしながら、混乱する京を巡回しておりました検非違使のひとりが、この油紙の包みを持つ浮浪者を発見し、内容が内容ゆえに、
ふたりの別当は、口々にそう言いながら、宛先と名指しされている、
大宮と
しばらく悩んだ末に、彼にそのことを打ち明けられた、こちらも仔細を知らぬままに、捜索に当たっていた、検非違使の別当は、そのように信じられぬ出来事に驚き、
油紙に包まれていたのは、美しい黒髪がひと房、なにか書かれた最高級の料紙が二枚。香の焚き染められた
文字の読み書きのできる者が少なく、料紙が貴重な品である時代、手段はともあれ、このように整った手紙や
葵の上は震える手で、香の焚きしめられた料紙を持ち、そっと自分を抱き寄せてくれる
―――――――――
『
さぞ驚かれたことと思いますが、わたくしは
その証拠に、
この世をあまねく慈悲の光で照らす、
もし、このことで、わたくしのことを信用にたる、ひとかどの者だと思し召しくださり、二人きりでお会いする
しかし、これをお読みになってから先は、
そうでなければ、
――貴女様の崇拝者より――
『 次の
―――――――――
いまの内容が示唆していた、もう一通の料紙に目を向ける。
「これは……」
鳳凰と龍の透かしの入った唐紙は、
内容は前出の通り、帝と左大臣の署名が入った正式な
「……この油紙の“中身”を確認いたしましたのは、我ら二人と
「…………」
摂関家の当主であり、左大臣の実の父である関白が、それほどに激怒した理由が『離縁状』にあると思い当たった上に、彼には関白や
この時代にはめずらしくも、ごくごく生真面目な性分の彼は、こんな筋の通らぬ話はあるものかと、
手元にある料紙を握り締めたまま、しばらく
やがて用意された火鉢の中にある赤々とした炭の上に『離縁状』をくべ、ほっと息をついた。
父君が摂関家の当主たる御祖父君に、謹慎を言い渡された以上、今後、自分の法的な後見ができるのは、御祖父君か
帝といえど、もう二度と正式な『離縁状』を、簡単には作ることはできぬと安堵する。
それから彼女は自分宛の料紙に、なにかしらの手掛かりはないかと、不気味な料紙を熱心に眺めたり、匂いを嗅いだりしていた。
しかし、なんら手掛かりはなく、深いため息をつきながら、“毒をもって毒を制す”そんな様相を呈するように、帝と得体の知れぬ人攫いが、互いに自分を手中にしようとする執念深さにぞっとした。
『まあ帝はどうせ“光源氏”絡みなんだろうけど、この不気味な人攫いは何者なんだろう? まだこの世界に、運命の女神のしっぽでも残っていたんだろうか……』
「葵の上、この先は……」
この先は、自分たちに任せるように、そう言おうとする
「誰がなんと言おうと、わたくしはこの手紙の通りにいたします。母君の命がかかっておりますもの。この世でただひとりの、わたくしの大切で尊い母君でございます」
「……なりませぬ」
彼は優雅な白い手に、自分の武骨な手を重ね、短く低い声でそう言葉を返す。
しかし葵の上は、彼の言葉は耳に入っていない……。そんな様子で
これまで幾度も葵の上の命が消えるような、自分自身に襲いかかるよりも恐ろしい体験をしてきた
御簾の向こうの不穏な空気を感じた二人の別当は、どうしたものかと沈黙したまま、じっとしていた。
「離してください」
「離せば、一体どこにゆくおつもりか?」
「今日は
葵の上は、「だから離してくれ」そう言おうと思った。この場で気を失うなり、泣き崩れるなりした方が、自然なのだろうとは思ったけれど、いますぐできることがないとはいえ、行き場のない怒りにじっとしていられなかったのだ。
「ひとりで動かぬと約束するまでは、お放しできません」
「……そんな約束はできません」
美しい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます