第179話 執着 3
光る君は、
よくよく考えてみるに、
母君や
つまるところ、あの方の一番の魅力は、やはり“摂関家の姫君”という、背景の部分であり、母君や
並ぶべく貴族も存在しない“摂関家の姫君”とあらば、しかたのないことだが、彼らが話していたような、もどかしいほどの恋心を、あの方に抱いたことは、正直に言って一度もなかったと思い、意外な自分の考えに瞬きを繰り返す。
あの美しいお顔を見ていると、すべてがどうでもよくなり、頭がどうにかなってしまうのかもしれない……。
畏れ多いことなれど、帝のご自分の妹への三条の大宮に対する未だ『過ぎた執着』としか思えぬお姿を思い出し、大宮に瓜ふたつの
身分が足らずとも、母君のような方こそ、
母君が生まれ育ったこの二条院にいると、なにか自分にかけられた、まがまがしい呪いとでもいう重い雲が晴れてゆく……そんな気持ちで一杯になった。
恋に恋をし、母への面影に永遠に執着する……。
『光り輝くマザコンの星!!』
葵の上にそう酷評された光る君の本性が、離脱したはずのこの世界にも表れ、彼の心に深く根を張ってゆく。
「二条院に呼ばれたのが、そなたたちも初めてとは、意外なことだね……」
「ええ、ここだけの話、
「一体、彼と妹君に、なにがあったの?」
光る君は、
兄に守られて、ひっそりと暮らしていた彼女と、一度だけでも二人きりで、しみじみと語り合えぬものかと思いながら、話を聞いていると、彼と妹君にまつわる悲劇と不幸は、まるで絵物語のようで、気がつけば、光る君も女房たちも、いつの間にか息を潜めて聞き入っていた。
彼は幼くしてすぐに、その非凡な才を認められながらも、不幸な出来事で、早くに両親を亡くし、なんと、父親の縁者たちに代々続く
そんな風にはじまった話に、みなは息をのむ。いまも母君を失ったつらさは消えてはいないが、幼き日に瀕死の母君と、いまとはまるで違う荒れ果てていた、このやかたで、胸が潰れるような経験をした光る君は、ことさらであった。
「なんと気の毒な……でも彼がいま、
「ええ、その数年後、そのままにしておくのも体裁が悪いと思ったのか、都合上、彼を成人させねば動かせぬ、利権でもあったのか、彼は七歳という若さで元服したのですが、ちょうどその頃、いまは亡き関白の北の方が、いまの左大臣の兄君であった長子を亡くされてから、長く気を病んでいらっしゃるのを、亡き父親の親しい知り合いから、偶然にも聞きつけた彼が、比類なきその才を持って、治したそうでございます。その功をもって、関白の北の方の強い威光で、
心配そうな顔で、話に聞き入っていた光る君や女房たちは、その言葉に、ほっと息をつく。女房の中には、あの親切な方が、幼い時分に体験したつらい境遇を思い、そっと袖で涙を抑える者もあった。
「そんなふたりを哀れに思し召した御仏の御加護か、ちょうど彼が元服をした頃、流行り病で縁者が相次いで亡くなったのが、彼には幸いいたしまして、近しい親戚筋が務めていた
「関白の北の方が、
もしそうであれば、
東宮になれぬと知った時は、何日も呆然としていたが、いまとなっては、それも彼女との出会いを予見した、御仏の御導きだったのかも知れない。もし東宮になり、将来の帝の地位が見えていれば、更衣としてですら、身分の足りぬ彼女を入内させるなど、いくらなんでも無理な話であった。
それほどまでに、あの方は母君を彷彿とさせる。遠いとはいえ、母君とのご縁があるからだろうか? 縁というものの不思議さに、光る君は胸を打たれた。
光る君は、似ていると言う言葉では、言いあらわせぬほどに、最愛の母君と重なる
もし反対されれば、臣下に降りても良いとすら考えた。そうなったとしても、地位は低いが、彼女の兄である
自分を溺愛する帝が、臣下に降りた自分を心配して、どこかしら高貴な姫君と、正式な縁談を強く勧めるのであれば、一応は北の方に見知らぬ姫君を迎え、
光る君は、あれほど葵の上に、こっぴどく振られたこともすっかり忘れ、
「いえ……それが、関白はいまの左大臣を溺愛する北の方と、たいそう仲が悪かったそうで……その昔、『
「ああ、わたくしも聞いたことがございます。平安貴族の鏡というべき、雅で趣味のよい温和な左大臣を北の方は溺愛し、なにごとにも完璧を求める関白は、愛想のない雅に重きをおかぬ長子を、常に重く扱われていたとか。いくら素晴らしい方でも、やはり年寄りという者は、時代に取り残されてゆくものですね……」
『そんな調子だから、国政が傾いたんや――!』
葵の上が聞けば、コンプライアンスの呪文も忘れて、往復ビンタをかまして回りそうなことを、まだまだ時代の空気の代わりを分かっていない、旧来通りのごく普通の平安貴族のふたりは、皇子に問われるままに、交互にしたり顔で話をしていた。
*
〈 後書き 〉
※
別当>
『鷹が逃げた日の小話』
別「鷹は見つかった?」
兄「見つかりませんね――、あっ、もうこんな時間! お先に失礼します!」
総出で探している中、超他人事で、定時定刻で帰っている。溜まっている文(ラブレター)の返事を書こうと思っている。
別「……」右大臣に会いに行って、今日は定時で帰ったと密告しているのでした。
右「これはこれは、よいところで会いましたな! ぜひご一緒に!」
兄「……」右大臣家に行っても、四の君のところへゆく訳でもなく、よっぱらった右大臣の愚痴を聞かされているのでした。
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