第178話 執着 2

刈安守かりやすのかみは、こんな風に、いつも楽しいうたげを開いているの?」

「いいえ、実を言いますと、このやかたに呼ばれたのは、はじめてでございます。彼は自分の身分にあった、控えめな人物でございますから」

「わたくしも姉がよく薬を頼んでいるので、懇意にはしておりますが、病弱な妹君には、静かな環境がなによりも大切と、いくら頼んでも、いままで一度も呼んでもらったことはございません」


 皇子の問いに、藤式部丞とうしきぶのじょうと、左馬頭さまのかみは口々にそう答える。


 式部丞しきぶのじょうという職は、上流とされる家柄出身の二番手、三番手の子弟が就く、大学寮を管轄する式部省しきぶしょうの役職のひとつ。彼は仕事のかたわら、大学寮に出入りする博士たちから、さまざまな面白い内裏の官職にまつわる因縁話を知っているので「話題豊富な貴方様なれば、皇子の無聊ぶりょうを、なぐさめるうってつけの人物だ」そんな風に呼び出されたと、少し照れくさそうに言う。


 いつもは、彼が知っているような話は、とうに知っている、年かさの官吏たちに囲まれ、内裏では小さくなっているので、そんな言葉に興味津々なご様子の皇子の反応に、彼は大いに気をよくして、せっかくの機会だからと、刈安守かりやすのかみの数奇な人生を、これから話そうと言い出した。


 そして横に座っている左馬頭さまのかみは、自分で自分のことを、面白き話題にことかかぬと、若い公達の間では評判の人物だと言い出して、是非そのあとのお楽しみにと、周囲の笑いを誘う。光る君は、そんな二人を呼んでくれた刈安守かりやすのかみの気づかいに感心していた。


 このふたりの様子から分かるように、大方は関白に対する恐怖からとはいえ、逼迫する財政に直面し、復活した彼の元、真剣に国政にかかわっている高位の公卿たちが、絞り出すだけの知恵を絞り、食封じきふに見合わぬほどの苦労を持って、国を回すことに奔走している反面、彼らのようになにも考えずに気楽に、恋と歌に酔いしれた暮らしをしている平安貴族も、まだまだ数多くいるのであった。


 左馬頭さまのかみは、ひそかに刈安守かりやすのかみが、国でも、一、二の豊かな穀倉地帯の遥授国司ようじゅこくし(赴任せずに京にいる国司)を兼任し、それによって手にしている財をうらやんでいたので、皇子に負けず劣らず興味深い様子で、式部丞しきぶのじょうの話に聞き入る。


 名門の子弟とはいえ、跡継ぎにもなれそうになく、これといった出世の見込みも少ない左馬頭さまのかみは、京に残ったものか、それとも思い切って、京と地位は捨てて、地方の受領になり、田舎で贅沢に暮らすか、実は、大いに悩んでいたのである。


 あるじが消えても、彼の話題で場は盛り上がっていた。



 さて、先ほどその場を下がったうわさの主、刈安守かりやすのかみといえば、そんなにぎやかな寝殿を離れ、官吏と門のあたりで密やかに話をしていた。


「助かったよ、あのような席は苦手でね……」

「いえ、ご迷惑かと存じましたが、お役に立てて幸いです」

「遅くまで引き留めて悪かったね、粗末なものだが、ここに御弁当があるから持って帰ってくれたまえ。今夜は宿直とのゐだろう?」

「これはこれは、ありがとうございます!!」


 刈安守かりやすのかみを呼びに行った官吏は、常から彼があのような席を嫌うことを知っていたので、帰る前に気を利かせて、わざと深刻な様子で、彼を呼びに行ったのである。運び込んだ怪我人たちは、薬の効果で容体は安定し、深い眠りについている。


 官吏は嬉しそうな顔で御弁当を受け取り、内裏に帰る道すがら、ちらりと見かけた刈安守かりやすのかみの儚げな妹君の美しいうしろ姿を思い浮かべ、ほんのりとした憧れを抱きつつ、再び典薬寮に帰って行った。


 やっとひとりになれた刈安守かりやすのかみは、催馬楽さいばら(※平安時代の歌謡)を小さな声で口ずさみながら、機嫌よく東の対の自分の曹司の横にある塗籠に足を運ぶと、ようやく自分の木花咲耶姫このはなさくやひめが入った葛籠つづらの蓋をそっと持ち上げる。


 上に乗っていた薬草を取り出し、眠ったままの大宮の顔に、曹司から持ち出したすり鉢から、なにかの透明な汁を注意深く目元に塗ってから、軽々と抱き上げて、再び曹司に戻った。


 彼は中にある隠し扉を潜ると、広々とした、しかし、とても寒々とした空間に、ポツンと置いてある大きな石の台に、大宮を優しく横たえる。


 ふと昔、幼い妹君にせがまれて、何度も読んでいた絵物語を思い出し、少し考えてから絵物語の真似をして、彼女を強く抱きしめてみた。抱きしめた途端、薬草とは違うなにか彼女から漂う薫りに、うっとりとして、大きく息を吸い込んでから目を閉じる。


『ああこれは菩提樹ぼだいじゅの薫り……』


 御仏の悟りを意味する言葉から紡がれた……そんなふうに言われる菩提樹ぼだいじゅという名の神聖な木に咲く花の甘い薫りは、とてもこの方に似つかわしく思う。


 彼はそれから大宮の髪をひと房持ち上げて、ほんの少し切り取り、大切そうに料紙に包んでから、持ち帰った“離縁状”と一緒に油紙に包むと、また懐にしまう。名残惜し気に大宮の頬を撫ぜてから、再び空間につながる扉を閉め、隠し扉と曹司に施錠をして、疲れた横顔が心配だった、妹君の様子を見に行くことにした。


 一方の光る君は、刈安守かりやすのかみと妹君の昔話に興味を持ちつつ、普通であれば、まだ元服前の皇子である自分が、耳にすることはなかったはずの、さきほどの二人の『恋愛談義』から、尚侍ないしのかみつるばみの君を想像し、誰よりも素晴らしい方であった母君を思い浮かべ、心の中で三人を比べていた。



 *


〈 後書き 〉


 ※式部丞しきぶのじょうの職の設定も、例によってフィクションです。


『小話/ふたりのデート/中務卿&葵の君11歳』


 葵の君が住み込み? なので、ごくたまに中務卿の館で、おうちデート? おうちdeプチ合宿? しているふたり。


葵「……もうそろそろ育ちざかりも終わったと思うのですけれど?」けっこう身長伸びた十一歳の終わりごろ。


中「……!」慌てて自分の側から離している。


 道場の隅っこで葵の君から、軽くキスしてみたら、また急に少しだけ大きくなったのでした。両想いなのに、平安時代的にはもう夫婦なのに、成長期が終わらないと進展しないふたりでした。笑。


弐「めっちゃ背は伸びたのにな!」式神を飛ばしている。


六「のぞき見するな!」

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