第175話 訪れた災厄 6

〈 登華殿とうかでん 〉


 火の手が上がり出した登華殿とうかでんには、まだ中務卿なかつかさきょうの一行は到着しておらず、気を失った葵の上の側に転がっていた“深緋こきひ”から、なにやら深緋こきひ色の煙がモクモクと立ち込めたかと思うと、やがて人の形を作り出す。


 煙の中から出てきたのは、なんと『時空を超えたナチュラリスト』こと、葵の上が、葵であった頃の親友『花音かのんちゃん』だった。


『なんでやねん!』


 関西出身ではない花音かのんは、ネイティブではない、少しおかしな関西弁で突っ込みを、自分に入れていた。葵と同様にあの日、献血センターにいた彼女も、この世界に転生を果たし、気がつくとなぜか、深緋こきひと呼ばれる大きな『槍』に生まれ変わっていたのだ。


 自分で身動きもできず暗い部屋で、悲しく立ちっぱなしで過ごしていたある日、訳の分からない男に、無理やり引っ張り出され、地面をズルズル引きずり回された挙句、やっと出会えたイケメンに助けてもらえると思ったら、いきなり思いっきり振り回されていた。


「脳震盪が起きる! 死んでしまう!」


 そう大声で叫んでみたが、自分の声は誰も聞いてはくれなかった。


 そして、今日は今日で、その時の騒動で自分にぶら下がっていた、あれから少し大きくなっている、お雛様みたいなお姫様に連れ出されたかと思えば、人助けとはいえ、デカい箪笥を持ち上げるのに利用され、腰が折れると絶叫していた。


 もちろん、そんな叫び声は、お姫様には聞こえない様子だ。そして、なぜかやっとのことで、人間の姿に戻り、その上、自分もお姫様の恰好をしている(しかも髪がスーパーロングな上に色はピンク!)と、喜んでいたのもつかの間、周りは煙と炎に包まれている。


『あんまりじゃなかと?!』


 花音かのんは思った。わたしはなんにも悪いことなんてしていないのに?! いや、そう言えば、献血の前に行ったスイーツバイキングで、店長から泣きを入れられるほど、食べはしていたけれど。新しい食べ放題の店がオープンするたびに、イナゴのように押しかけてはいたけれど……それ? それが原因でこんなことに?!


 子供の頃に読んでもらった絵本では、魔女に魔法をかけられた少女は、だいたい白鳥とか鶴とか、こう、なんか、綺麗な生き物に変身させられていたのに! なぜわたしは『槍』?!


 転生小説に暗い……というか、読書感想文などといった必要に迫られない限り、読書すらもほとんどしない彼女は、ご幼少の頃に読んでもらった絵本の内容を思い出して、最後のスイーツバイキングの店長は、実は意地の悪い魔法使いだったのか?! そんなことを思っていた。


『やっと人間になれたと思ったらひどい!』


 この状況にそうは思ったが、周りには火が迫っているし、お姫様が二人とも気絶しているし、籠に入った小鳥は焼鳥になりそうだしで、これは自分がなんとかしなきゃと、彼女はあせった。


『なんとか助けないと!』


 でも、もういまの自分は、バーベキューの炎の上に敷いてある、鉄板の上に乗ったお肉だった! しかも、鉄板はもうアツアツ!


「今更、お姫様になって、どうしろと?! こんなことなら人間より、龍とかの方がよかったのに! 雨よ降れ! とかできたのに!」


 花音かのんがそう叫んだ瞬間、彼女の身体は光に包まれると、天高く舞い上がり、気づけば龍になって、バーベキューになりそうだったお姫様たちがいた御殿に大雨を降らしていた。


『マジか?!』


 彼女は調子に乗って、意気揚々と、アリのように小さく見える人間たちが、右往左往している御所の上を飛び回りながら、大雨を降らせて消火活動をしていたが、ふとさっきのお姫様が心配になって、元の『バーベキュー御殿』に戻ると、お姫様はいつか見た、自分を脳震盪にしようとしたイケメンに抱き抱えられていた。


『ちょっ! お前! この間のこと、あやまれ!』


 花音かのんはイケメンにそう思ったが、電池が切れたように目の前が暗くなり、またあの『槍』の中に自分が引きずり込まれそうになっているのを感じる。


『このまま、このままで、せめて人間の姿で勘弁して!』


 そう心の中で叫んだが、そんな叫びもむなしく、気がつけば、また身動きもしゃべることもできない『大きな槍』に戻っていた。


「やはり葵の上は、薬師如来の具現……この大火が収まったのも葵の上のお陰……」


 お姫様を軽々と抱っこしていた失礼なイケメンは、自分をふたりの家来みたいな人物に運ばせながら、そう言ってバーベキュー御殿から、お姫様と自分(槍)を連れ出している。


『わたしのおかげですケド?! お前は先にこの間のことを、わたしにあやまれ!』


 そんなこんながあって、花音かのんちゃんと、葵の上になった『葵』と紫苑は、無事に救い出されたが、二人が互いの存在に気がついたのは、かなり経ってからで、力を使い果たした花音かのんちゃんは、そんなことをブツクサ思いながら、元の? 『槍』の姿に戻り、久しぶりに動き回ってすっかり疲れ深い眠りについた。


 炎に包まれた登華殿とうかでんから、いきなり龍が空高く浮かび上がり、内裏に雨を降らして炎を消したことを、目撃した多くの人々は、尚侍ないしのかみが祈りによって、龍を呼び出したと思い、気を失ったままの葵の上が乗っている唐車を、うやうやしく跪いて拝んでいた。


『あんまりじゃなかと?!』


 再びそう言ったのは、その時、腰痛になった自分と葵の境遇の差に、納得がいかなかった後日、ようやく目が覚めた花音かのんちゃん『槍』の本音であった。


 実のところ彼女は、本来は物語の中で、なんの出番もなかった帝の宝『龍の姫君を封印した大身槍/深緋こきひ』の中に、 葵の上もビックリの『龍の姫君』として転生していたのだが、転生にあたり『元の龍の姫君』の記憶はもとより、なんの『報連相』もなかったので、自分が龍の姫君になったなんて、これっぽっちも気づいてはいなかった。


 なお、彼女の『源氏物語』の知識は、タイトルと作者名くらいのものであったので、ここが絵物語の世界とも気づかず、これがタイムスリップか?! そう思っていた。


 そんな訳で、再び深い眠りについた『深緋こきひ花音かのんちゃん)』は、明け方近くなって、ようやく出発した唐車のうしろを、二人の侍によって運ばれて行った。


 龍の降らせた雨と、真白の陰陽師たちのお陰で、火事は内裏の門内で収束したが、後涼殿こうろうでんや清涼殿は言うに及ばず、後宮は北の端にある登華殿とうかでんまで全焼、最終的には、内裏の南側にある蔵人所くろうどどころまで焼け落ちている。


「気をつけて運んで下さい!」


 葵の上の一行が大内裏の門を出る頃、内裏の近くにあるえん松原まつばらと呼ばれる広場には、典薬寮てんやくりょうに入りきらなくなった、昨夜の多数の負傷者が運ばれ、典薬頭てんやくのかみである刈安守かりやすのかみは、痛ましそうな表情で典薬寮てんやくりょうの官吏たちに指示を出しながら、治療に勤しんでいた。


「昨夜は心配いたしました」


 そう言ったのは、後涼殿こうろうでんに同行していた典薬助てんやくすけ(典薬寮の次官)だった。


 彼は自分が内裏を出て、典薬寮てんやくりょうにたどり着こうか、そんな時に内裏から出火したという知らせを聞いて、あとに残った刈安守かりやすのかみを心配しながら、昨夜は次々と運ばれてくる負傷者の対応に追われていたのだ。


「ああ……すぐに逃げたはよいが、人の波にのまれて、東へ東へと流されてしまってね」

「そうでございましたか、昨夜は大混乱でございましたから、ご無事でなによりでございました」


 彼らの横には、手遅れになってしまった者たちを入れた棺が、何個も積み上げられ、それぞれに迎えにきた親族が引き取って帰ってゆく。


愛宕郡おたぎごうりの葬場も、しばらくは大変な騒ぎでしょうな……」

「痛ましい話だね……」


 長々と続く棺の行列は、それぞれに親族のやかたや、家々に運ばれてゆき、やがて夜を迎える頃、典薬寮てんやくりょうの官吏たちは、ようやくえん松原まつばらから、それぞれに帰路につき、刈安守かりやすのかみも牛車に乗って二条院に帰っていった。


 朱雀大路には、まだ焦げた匂いが漂い、検非違使たちを始めさまざまな部署の武官が入り混じって、厳重な警戒態勢を敷いていたので、夜を迎えても内裏から出てゆく棺の渋滞は、まだまだ続いていた。


「なんの騒ぎだ……」


 そのころ、二条院に帰った刈安守かりやすのかみは、やかたの中の常ならぬ騒がしさに、僅かに目を細めていた。


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