第174話 訪れた災厄 5

 葵の君と紫苑の上に、厨子棚が倒れてきた少し前、庭へ出た大宮や左大臣家の女房たちは「関白が朔平門さくへいもんに牛車をご用意されております!」どこからか現れた官吏にそう言われ、炎から流れてくる煙がかかって、もはやだれが誰だか、顔すらよく見えない不安な状況の中で、ようやく助けがきたと安堵していた。


 御園命婦みそのみょうぶは「わたくし共は荷物がありますので、あとから参ります。先に早くお逃げ下さい」そう大宮に言い、官吏も火が庭に迫っていると大宮を急かす。


 確かに火は勢いを増して近づいており、立ち込める焦げた匂いに、幼い日の大火の記憶がよみがえった大宮は、螺鈿の君を抱えたまま、とうとう気を失うと、官吏に抱きかかえられて、人気のない朔平門さくへいもんに向かう。朧月夜おぼろづきよの君を抱いた乳母だけが、彼と大宮のあとをついてゆく。


 玄輝門げんきもんを抜けて朔平門さくへいもんに向かって一行は足早に進む。ここまでくると、ようやく煙が少なくなり、官吏は抱き抱えていた大宮をまじまじと見てから、首を傾げて乳母に問う。


「この方は、尚侍ないしのかみでは、いらっしゃらないのでしょうか?」

「そちらは三条の大宮です! 尚侍ないしのかみは、あとからいらっしゃいます! それよりも牛車はどこですか?! 早く大宮を……!」


 乳母が、「大宮を牛車に……」そう言い終わらぬうちに、小さく舌打ちした官吏は、大宮を地面に置くと、乳母を刺し殺してから、再び抱き上げた大宮を馬の背中に上げて、そのまま自分も飛び乗り、朔平門さくへいもんを潜ると、素早くその場を去って行った。官吏はこの大騒動の犯人、苅安守かりやすのかみであった。


 彼が急いでその場を離れたのは、すぐそこまでやってきている、複数の馬のひづめの音が聞こえたからだった。


 彼は大宮と尚侍ないしのかみが、瓜ふたつであるのは知っていたが、大宮が葵の上の大切なこと、螺鈿の君を抱えていたため、視界がよくなかったことも相まって、母宮と尚侍ないしのかみを取り違えたのである。


 そして火災の煙の匂いで、腕の中の姫君から有名な“睡蓮の薫り”がしないことに気づいたのは、つい先ほどのやり取りの時であった。


 いつもいる玄輝門げんきもん朔平門さくへいもんの警備の者も、内裏からは、皆、東から避難したと思い込み、混乱する建春門けんしゅんもんのある東の方に応援に行って、ほとんど誰もいなかったので、彼はやすやすと忍び込んでいた。


 ひょっとしたらと、尚侍ないしのかみを探しにやってきた彼は、幸運に恵まれたと思い、後宮の庭に入り込んでいた。しかしそれは、つかの間の錯覚であったようだ。


「欲をかいたばかりに、面倒なことになった……」


 彼はそう言いながらも、せっかくだからと思い、尚侍ないしのかみに瓜ふたつの大宮を連れて帰ることにした。強風に吹かれ、烏帽子えぼしを吹き飛ばされたが、彼は気にせず、気絶した大宮を馬に乗せ、混乱に紛れて闇に消える。


 左大臣家の女房たちが、大荷物を抱えて玄輝門げんきもんまで、なんとかたどり着き、あとから追いついてきた随人や侍、大勢の供人を連れた頭中将とうのちゅうじょう中務卿なかつかさきょうが、苅安守かりやすのかみと入れ違いで駆けつけた時には、朔平門さくへいもんには、ひとりで立ち尽くして泣いている朧月夜おぼろづきよの君と、数人の警備の武官に乳母の死体が転がっていた。


「大宮と葵の上はどちらに?!」

「あ、葵の上は、あとからすぐにいらっしゃると……煙で見えませぬが、もう庭の近くを歩いているはず……」

「大宮は先に朧月夜おぼろづきよの君と、ここにいらっしゃるはず……先ほど迎えがきて……」


 中務卿なかつかさきょうは、大宮を探す手配をするように、頭中将とうのちゅうじょうに言い残し、煙に飲み込まれて視界がきかない庭を、大声で葵の上の名を呼びながら、もうすっかり見えなくなっている登華殿とうかでんに向かって走り出した。


「わたしが何人かを連れて、中務卿なかつかさきょうのあとを追います!」


 すぐにやってきた白蓮がそう言うので、頭中将とうのちゅうじょうは、不安げな御園命婦に、唐車や荷物の手配をできるほどの供人をつけてから、残りを連れて東へと取って返し、もう右大臣家に向かおうとしていた蔵人所くろうどどころの別当の目の前で、馬から飛び降りると、仔細を説明した。


 別当はすぐに平安京を取り巻く、すべての門を閉じるようにと、それぞれに馬を走らせてから、先に右大臣のやかたにやった蔵人頭くろうどとう(次官)に帝を任せ、早文を出して、頭中将とうのちゅうじょうと共に、怪しいと思われる場所はしらみつぶしに当たり、すべての門を封鎖のあと、厳しい捜索体制を敷いたが、三条の大宮の行方は、ようとして知れなかった。



 *



『多分、本編とは関係のない小話/百人一首、陰陽師編』


弐「百人一首? なんですかそれ?」


壱「いま、後宮で流行っているらしい」一セットもらってきた。


参「なんとなくやる気がしない……」囲碁でいいやとか思っている。


弐「やる気……!」


伍「掛け百人一首?! 僕、百人一首なんて全然、知らないんですけど!!」


弐「インチキ(呪)なしな、一週間後にやろう!」


六「で……?」


弐「……」一番負けて、勝ってサボろうと思ったシェアハウスの掃除係を一ヶ月することになったのでした。


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