第160話 幕の間 4
一方、こちらもすっかり大猿の事件を忘れた、第一皇子こと朱雀の君は、
夢の中で皇子は、突然、現れた大猿に囚われた
皇子は布団の中で、しばらくボンヤリと幸せな余韻に浸っていた。
「いかがなさいましたか?」
「……いや、なんでもない」
彼は不思議そうな顔の女房に、そう返事をしてから、母君の殿舎にうかがう予定だったのを思い出し、支度をすませて、昼過ぎに
「……わたしもそのような太刀が欲しい」
「は?」
「わたしも剣術を習いたい」
「え?」
右大臣と
「そのような危なきことを、次期東宮が覚えてなんとします?!」
もちろん
「これは飾り太刀、官位の象徴で、中身はただの木剣でございます。
右大臣もそう言い反対した。
「その身分の低い
朱雀の君はそう言って、なにを言っても取り合わなかった。
困り切ったふたりは、ひょっとして、皇子が心ここにあらず、
表向きは
その日、つき添っていた皇子を見ながら、
当然、驚いてお止めになってくれると思っていた
「木刀ですか?」
「ええ、
そう言ってから、
しかし母君である大宮は、われ関せずといったご様子で、
「実は夏に向けた新しい菓子を作らせておりますの」
「……美しゅうございますね」
透明な葛の中に、魚に見立てた餡と小豆の粒で川の景色を表現した、新しく左大臣家の台盤所で作られた水菓子という物に、最近の大宮は夢中で、
「素敵な菓子でございましょう?」
「はあ……」
「これは、わたしが夢に見た……」
「どうかなさいましたか?」
「いえ! なんでもありません!」
いくら才に溢れていらしても、そこは歴代の帝が誉めそやし、甘やかし、今現在の帝である桐壷帝ですら“わたくしの女三宮”そんな風に扱われる三条の大宮が育てた姫君の
大宮は幸いにも、ご自身を拝むように、一心に大切にされる左大臣に無事ご降嫁されて、いまのように幸せにお暮しだが、もしこれがごくごく普通の大貴族、自分の父君である右大臣のように、女遊びの酷い貴族に、ご降嫁していれば、どれほど苦労をしたことか……。
「きっと皇子は、
「そんな……」
「…………」
一方、三種の神器のひとつ、
そんな訳で、
その時、別当が驚き過ぎて、肩に乗っていた鷹狩り用の調教中の鷹が逃げるというドタバタ騒ぎがあり、飛んできた
葵の君は
第一皇子が剣術を学びたいって、いきなりどうしたんだろうね? まあ、皇子が武芸に励んでくれるのは大いに結構だから応援しておいたけど。
大猿事件でまったく役に立たなかった(葵の君の目線)
『えええぇ?! いや、ああ、でもそういえば、別になんの偏見も問題もない時代だけど、どっちでもいい人なのかな? 違うのかな?』
そう思いながら口を開く。
「
「結婚相手を探しているのは真実を知らない姉宮だそうです! 別当はいまでも
「そう……」
葵の君は、別当に紹介する姫君を探すという頼まれごとは、保留した方がいいのよね? そう思って、お相手探しを中止することにした。
そして例のウ●チ騒動は、意外な結末を迎えていた。
「猫……?」
実は、
叱られると思った内親王方は、女房に口止めをしていたが、最近の騒ぎを聞いて、しばらく猫の姿を見ないと思った
後日、
「きちんとお詫びしてからになさい!!」
「ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
「よいのですよ、猫は早く見つけて欲しくて、わざと粗相をしていたのかも知れませぬ。かわいそうですから、あまり叱らず、いままで通り可愛がってやって下さい」
「
「そう言えば、先程、
「理由は知りませぬが、
「まあ、摂関家の婿である
「えっと、こちらに寄る
「それは楽しみですわね……」
『藪を突っついてしまった……』
葵の君は母君を女房に呼んできてもらい、それとなくふたりの共通の趣味であるファッション(染色)の話を振ると、ふたりは周囲が見えぬほどに熱中しだし、葵の君は、ほっと胸を撫ぜおろした。
それ以降、猫は首輪と長い紐をつけられて、御簾の中から出ぬように工夫された。
やがて季節は春から夏になる。
御所や貴族のやかたは、夏の涼しさに全力をかけた建築構造とはいえ、そこは内陸性盆地気候、『京の油照り』とすら言わしめる夏の京、日中は葵の君の予想をはるかに超えた、とんでもない暑さであり、その上、回避されていたはずの苦い未来が、夏の暑さと共にこの世界に転がってきた。
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