幕間

第157話 幕の間 1

〈 貞観殿じょうがんでん 〉


尚侍ないしのかみのご出仕にございます!」


 藤壺での騒ぎの翌朝、真新しいしつらえの貞観殿じょうがんでんには、皇后宮職こうごうぐうしきの別当が、葵の君の出仕を告げる声が響き渡り、内侍司ないししに所属する大勢の女官たちが、うち揃って頭を下げる壮観な姿があった。


 平絹で仕立てられた壁代かべしろ(※壁の代わりにたらされている布)には、美しい花鳥が描かれ、高さが四尺(約1.2m)の四扇よんせん(四つつなぎ)の屏風びょうぶに季節に合わせて、初夏の野山が描かれている。


 つやつやした黒の縁取りに施された小さな金細工は、几帳の飾りとすべて統一された唐華文様で、華やかな中に上品な雰囲気が漂う。これは新しい尚侍ないしのかみのご出仕に合わせて、あつらえられたしつらえであった。


 皇后宮職こうごうぐうしきの別当は、中務卿なかつかさきょうに挨拶をするべく、前を通りながら自分に檜扇越しに会釈をされた尚侍ないしのかみにポカンと見とれていた。


 チラリと見える目元も美しく、昨日、見たはずの鮮やかな光を放つ黒髪は、なぜか昨夜よりも長い印象で、夜の滝のように十二単じゅうにひとえの上に流れていた。


 念入りに、しかし品よく化粧をほどこされた尚侍ないしのかみ十二単姿じゅうにひとえすがたは、圧巻というしかなかった。初参内の十二単じゅうにひとえは、関白に弘徽殿女御こきでんのにょうごから送られた衣装を着るようにとの強い意向があったために、本来の初参内に大宮がご用意されていた十二単じゅうにひとえは、今日の初出仕に回っていたのである。


 一番下にまとった単衣は白雪色。その上に初夏の緑を思わせる苗色、さらに上に薄藤うすふじ色を中心に、優しく華やかな藤の花弁はなびらかさなりあったようなうちぎや表地で構成されている。この衣装は裳着もぎの衣装と同じく大宮と葵の君が考えた、この時代にはなかった新しい様式であつらえられているが、色合いは、ほんの少し季節がすすんだ、やがて訪れる初夏を思わせる十二単じゅうにひとえであった。


 表地は竜胆唐草りんどうからくさ文様の両面刺繍(※表も裏も同じに見える刺繍)が施されている。これは臣下では摂関家だけに許された文様で、尚侍ないしのかみが周囲に対して軽んじることのできぬ立ち位置の姫君であることを無言のうちに誇示している。


 薄衣うすぎぬあわせに総刺繍、そしてぎょく(宝石)。尚侍ないしのかみは、『天から舞い降りた藤の花の幼い女神』のようで、貞観殿じょうがんでんに居合わせたすべての官吏や女官たちはその神々しさに、改めて『薬師如来の具現』そのうわさを思い出していた。


 ウェディングドレスの長いトレーンのように、後ろに長く広がる『』の腰板に当たる部分には、今回は金剛石ダイヤモンド紫水晶アメジスト蒼玉サファイアがあしらわれ、広がる白いには同じ白の糸の刺繍の縁取り。


 後ろ髪には青柘榴石ブルーカーバンクル金剛石ダイヤモンドであつらえられた真新しい髪飾りが飾られていた。これは今日の早朝、初出仕に間にあうようにと、開門と同時に左大臣みずからが届けた品であった。母君とそろいではあるが、葵の君の髪飾りには緩く連なった小さな金剛石ダイヤモンドでできた飾り紐が二重に垂れて、より愛らしさを強調してある。


 これはここのところ、大宮のご機嫌を損ねてばかりだったので、なんとか大宮のご機嫌うるわしい笑顔を見たい左大臣が、葵の君と大宮への贈り物にと密かに発注していた髪飾りで、昨日の深夜、ようやく左大臣家に届いていた。


 そんな訳で、例の大粒の“桃色金剛石ピンクダイヤモンドの髪飾り”が見つかったのは、早朝、新しい髪飾りを手に姫君の身支度を始め出した女房のひとりが、厨子棚から他の装身具を取り出そうとした時で、「ありました! 隙間に落ちてました!」そう喜んでいる女房たちと一緒に「よかったです――」などと、少し挙動不審な紫苑は、白々しく大いに喜んでいた。


「世界で一番のお姫様だわ」


 身支度が整った姫君を見て、大宮は満足げにそう呟かれ、父君である左大臣は横で壊れたからくり人形のように、何度も頷きながら姫君にみとれ、久しぶりに拝見した大宮のなによりも誰よりも尊くお美しい笑顔に、うっすらと涙を目に浮かべて見入っていた。


 閑話休題。



「本日ただいまより尚侍ないしのかみとして出仕する左大臣家の娘“葵”にございます」


 葵の君はそう言って、皇后宮職こうごうぐうしきのそのまた上、中務省なかつかさしょうの長官である中務卿なかつかさきょうに向かって、居住まいを正し丁寧な口上を述べて礼をする。


 いつもの黒い束帯を着て畳に座している中務卿なかつかさきょうは、尚侍ないしのかみとしてのおおやけの立場をわきまえて挨拶をなさる葵の君に、こちらも中務省なかつかさしょうを総括する公卿としての立場にふさわしい、重々しい態度で声をかけてから、最後につけ加える。


「慣れぬことばかりで、とまどうこともあろうかと存じますが、太政官や八省すべての公卿が期待しておりますことを、一同になりかわってお伝えします」


 彼はそう言ってから、皇后宮職こうごうぐうしきの別当に目配せをすると、平伏したままの葵の君を、その場に残して貞観殿じょうがんでんをあとに、先に朝議の場に移動する。


 こうして葵の君の怨霊騒動は、ひとまずの終焉を迎え、二人は夫婦でありながらおおやけの席では、中務省なかつかさしょうを収める中務卿なかつかさきょうと、そこに所属する尚侍ないしのかみとなり、葵の君はようやく無事になんとか初出仕の日を迎えたのでした。


 *


『多分本編と関係のない小話/いつもの平安シェアハウス編』


参「ないないないない!」早朝。


四「どうかした?」


 夜に弱く朝には強いので、もう起きて朝ごはん食べて、在宅で夜の分の仕事までしている。


参「木階(階段)の端に置いていた亀の甲羅、知らない?! 神祇官じんぎかんに持っていくヤツ!」


四「亀卜きぼく(亀の甲羅)占い用のやつ?」


参「ソレ! 持っていくの絶対に忘れないように、わざわざ置いていたのに!!」


四「それなら多分さっき宿直帰りの“伍”が、典薬寮で高価で買い取ってくれるって持って行っ……」“参”が目の前から消えた。



参「お前、今日から一か月、式神なしで寝殿の掃除当番な……」甲羅を取り返している。


伍「いった――」グーで思いっきり頭を殴られて、しゃがみこんでいる。

 

典薬寮の役人「それ売ってくれないんですか?」


参「売り物じゃないんです。お騒がせしました」ニッコリ。


 ヤバくない生薬の材料になる買い取り商品は、典薬寮の外壁の掲示板に「買い取りいたします」の木札がかかっているのでした。


六「“弐”の悪いところだけが移っている……」朝食中。(今日は食べにきた。)


壱「ソレ最悪だろうが」思わず箸を止めたのでした。


弐「ハックシュン!!」今日は左大臣家でバイト中でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る