第152話 追走曲 19

〈 葵の君が転生した絵物語の世界 〉


「姫君!!」


 中務卿なかつかさきょうがあせりながら、のぞき込んだ穴は、まばゆい光を放ちながら、少しずつ、こちらの世界と離れてゆく。

 なにかを背負った姫君が、必死で自分に手を伸ばしているが、その手は遠ざかるばかり。


 穴は急激に小さくなってゆき、まるで世界が自分たちを押し潰そうとするような、そんな重さが彼の上にものしかかり、藤を倒そうとしていた“六”が、慌てて“しゅ”を唱えて穴を広げようとするものの、彼の力をもってしても、それは容易なことではなく、穴はジワリジワリと小さくなってゆく。


「“深緋こきひ”をここに!!」

「はっ!!」


 庭で待機していた刈安守かりやすのかみは、庭にとんできた中務卿なかつかさきょうの声に返事をすると、薬箱を仕方なく手放して、なんとか大槍を飛香舎ひぎょうしゃに運び込み、その光景に息を飲んだ。


 第二皇子を避けるようにうごめいている奇妙な藤は、どんな効能をもたらすのだろう?


深緋こきひ”が手を離れたのにも気づかずに、この藤を一枝でも手に入れたいと切に願った。そんな彼を他所に、中務卿なかつかさきょうは天井の抜けた殿舎の中で、大槍を素早く逆さに立て、つかの部分を穴の中に降ろす。


 飛香舎ひぎょうしゃに生える怪しい藤の木は、奇妙な光を放っていたが、やがて上から一丈(約3m)を軽く超える白い大猿が姿を見せ、第一皇子を見つめた。


 別当は、中務卿なかつかさきょうと陰陽師に視線を向けたが、あいにくと手一杯の様子。


「一体どうしたら……うん?」


 彼は抱えていた『光る君/切り札』を思い出した。


「この無礼者!!」

「第一皇子を守るためです!」


 別当は大猿に向かって、第二皇子の脇を抱えて大きく押し出すと、白い大猿は尚侍ないしのかみが言われた通り『切り札』に、ひるんだ様子でジリジリと下がっていった。


「光る君に怪我をさせぬようにいたせ」

「なるべく努力いたします」

「これは摩訶不思議な……一体、どういうことでしょうなぁ?」


 心配そうにそう言う第一皇子と、光る君を盾にする別当の横にきた刈安守かりやすのかみは、あの大猿も手に入らないかと考えていた。


 そんな周囲の騒ぎは目に入っていない中務卿なかつかさきょうは、姫君がなんとか届いた“深緋こきひ”のつかに掴まったのを確認し、すぐさま力ずくで引き上げた。


 長さが足らず穂先(刃の部分)を握っていたために、両手には深い傷が入りボタボタと、穂先に彫られている龍の細工に血が滴るが、不思議と痛みは感じなかった。


「きゃっ!」


 姫君を引きあげると同時に穴が塞がる。中務卿なかつかさきょうは、一瞬、穴の向こうに、見知らぬ美しくも麗しい女君が見えた気がしたが、そんな出来事はすぐに忘れた。


 なぜなら、光る君に怯んでいた白い大猿が、葵の君の姿を見た途端、低いうなり声を上げて、ひょうと飛び上がり、彼女の前に立ちはだかったのだ。


“六”は穴を維持することで、膨大な力を既に使い切り、中務卿なかつかさきょうの両手は先程の姫君の救出でざっくりと大きな傷が入って、もはや槍を構える力もなかったが、ふたりはただ必死に姫君をかばおうと、大猿と姫君の間に割って入る。しかしふたりとも大猿の腕のひと振りで、部屋の壁に叩きつけられ、周囲に葵の君の悲鳴が響き渡った。


 そんな状況の中、大猿と葵の君の間に立ち塞がったのは、なんと第一皇子であった。皇子は葵の君をうしろ手に庇い、預かっていた御神刀ごしんとうつかに手を掛け、大猿を睨みつけていた。


尚侍ないしのかみには指一本、触れさせぬ!!」

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