第148話 追走曲 15
〈 その頃の葵の君 〉
「わっ!!」
葵の君は跳ね返った勢いで、盛大な音を立てて檜の板でできた渡殿に叩きつけられていたが、この程度の衝撃なら、コンクリートの上に叩きつけられても大丈夫! そんな受身上手の彼女には、怪我のひとつもなかった。
床から素早く起き上がると
「第二皇子は、いらっしゃいますか?!」
光る君は驚きに目を丸くしていた。なぜなら、誰かが自分を呼ぶ声に、ふと昼寝から目が覚めると、自分の周囲が絵のようになってしまっていたのだから。
恐れと驚きのあまり、意識が再び遠くなっていると、なぜか自分を徹底的に避けていたはずの
驚かない方が無理というものである。姫君は相変わらず美しいが、絵物語に現れる山賊のような姿をしていた。
『やっぱり“推し”は無事か!!』
葵の君は心の中でそう思うと、光源氏を
「一緒にきて下さい!!」
「えっ、や……いや、いやだ!!」
『このクソガキ!!』
藤壺での戦力になると踏んだ“光源氏”は、幼くも美しい悲し気な表情で、目に涙を浮かべている。
まだ六歳だと思えば、しかたのないことだし、少しは胸も痛むけれど、夢の中の『レイプ未遂事件』を思い出した彼女は、慰謝料の替わりだと割り切ることにした。
自分に対する『運命の女神』の怒りで、この大切な世界を、自分丸ごと地獄の
「この世界が消えてもよいのですか?!」
「………」
自分の言葉を聞いて、立ち上がった光源氏に、葵の君は彼を一瞬だけ見直したが、生憎と光源氏は、柱にひしと掴まりに行っただけだった。
「~~~~!!」
「わたしの関わることではない、探せばそのあたりに動ける武官もおろう?」
弱々しくそう言う光源氏を、葵の君は本気でぶっ飛ばしそうになったが、心の中で「コンプライアンス」と呪文を三回唱えて、なんとか我慢すると、ふと思いついたことを、優し気な口調で彼の耳元でささやいた。
「皇子を心から愛して下さる帝が、どうなってもよいのですか?」
「駄目だ!」
「では立ち上がって下さい! 大丈夫、貴方は神聖な力を持つ、帝の皇子様ですから!!」
「でも、こんな無粋で美しくないことに関わるのは嫌だ!」
「~~~~」
葵の君は再び「コンプライアンス」の呪文を唱えてから、『ムチが駄目なら飴を使うしかない』と思い、光源氏の手をしっかり握って、耳元で再びささやいた。
「一緒にきて下されば、
「母君を
『根性って、なんだろう???』
なにも知らない、でも、本来ならば物語の主人公で、運命の女神の“推し”である光る君は、根性がなにかも知らなかったが、それでも帝の地位すら意のままに扱える摂関家の姫君が、すぐにでも母君を“
柱を片手で掴み、もう片方の手を口元に当てて悩んでいると、足音が聞こえて、こちらに向かって近づいてくる。
「ご無事ですか?!」
聞き覚えのある声は、腹違いの兄君、第一皇子の声だった。なにがなんだか分からないけれど、とりあえず光る君は大きな安堵のため息をついた。
「(
光る君は、邪魔なだけの存在であった腹違いの兄の顔を見て、これほどまでに嬉しいと思ったことは、率直に言って生まれてはじめてであった。
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