第133話 東雲の前 2

 元々、鋭い中務卿なかつかさきょうの視線が、更にきつい光を放って別当をにらむ。ただの落とし物なら、すぐにつき添う女房が見つけるはず。この男が持っているということ自体、葵の君になにか異常事態が起きた証拠であった。


「安心してくれ、誰の目にも入っていない。わたしが夜御殿よるのおましで見つけて、人目につく前に、すぐにふところに隠したからね」

夜御殿よるのおましで……一体、なにがあった?」


 手渡された髪飾りを手のひらに乗せたまま、中務卿なかつかさきょうは大きく目を見開いた。なにがあったのか、容易に想像はできたが考えたくはなかった。つまるところ、葵の君は、帝に“夜の御召し(帝に夜の相手に選ばれること)”を指名されて、拒むことなど許されない姫君は、夜御殿よるのおましに行った訳で……姫君を一生、お守りすると言っていた自分は、なにもできなかったマヌケで……。


 中務卿なかつかさきょうは無言のまま、手のひらに載っている髪飾りを、じっと見つめていた。しかし、別当は髪飾りを手渡した後、曖昧な顔をしながら言葉を続ける。


「それが不可解なことがあってね、そこがわたしにも分からないのだよ」

「不可解?」

「昨夜、尚侍ないしのかみが、帝が特別に“官印”を授けると言う口実で、夜御殿よるのおましに呼ばれた。もちろん帝は“ソノツモリ”で呼び出したことは間違いないと思う」


 中務卿なかつかさきょうは髪飾りをぐっと握り締める。まさか実の妹宮と瓜ふたつの葵の君に、帝が“どうこう”という考えはなかった。自分の浅はかさが招いた結果に、沈痛な表情を浮かべる。


「葵の君……」


 そんな中務卿なかつかさきょうに別当は慌てた。


「いや、尚侍ないしのかみは何事もなく、一こく(30分)も立たぬうちに、“官印”を授かってすぐに、ご自分の殿舎(御殿)に戻られた。そこはわたしと、当直の蔵人所くろうどどころの武官たちが保障する」

「気が変わられたか……」

「どうだろうね? そこがおかしな話だが、帝は確かに眠っておられたが、まるで“気絶させられた”そんなご様子だった」


 まさか、姫君に武道の心得があるなんて、検非違使の別当と同様、月よりも遥か遠く、およびもつかない考えだったので、別当は安堵の息をつく中務卿なかつかさきょうにそう言いながら、尚侍ないしのかみは『薬師如来の具現』と言ううわさを思い出していた。


 薬師如来の眷属には十二神将がいる。姫君は、なにかを“使役”でもしているのであろうか? 女の身では、涅槃ねはんにたどりつくことはおろか、悟りを開くことすらできることではないと言われているが、まか不思議な姫君のようだ。


 まあ、目の前にいる男も大概、変わった存在で、数奇な運命の持ち主ではあるが。


 彼は幼い頃の出来事を記憶している。

後宮で起きた火事の日、自分も姉である女御のところに遊びに行っていて、あの時その場にいた。脳裏に焼きついているのは、迫りくる炎、舞い上がる煙、炎に包まれようとする、内親王であった三条の大宮の殿舎……。


 身動きができず、姉宮と一緒に武官たちに抱えられながら避難して、意識を失った翌朝、目が覚めた時には、それまで、いまの帝にあたる東宮よりも、素晴らしい方なのに……そう自分が思っていた、美貌と才に恵まれながらも、不遇な皇子であった中務卿なかつかさきょうは、内親王の御無事と引き換えに、大火傷を負って意識もない有様であった。


 そんな彼が「皇子と生まれながら、前世の行いが余程悪かったのであろう」そんな風に、世の中にうわさされるようになったのは、あの時、誰よりも先に逃げ出した、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやの仕業だと、自分はいまでも確信している。


 彼は常日頃から、自分よりも血筋が劣るにも関わらず、ひい出た美貌と才を持つ中務卿なかつかさきょうの世間の評価を、上げたくなかったのに違いない。


 そして、姉宮と一緒に避難していた、いまの帝の亡き中宮は、ご自分の娘である内親王(三条の大宮)の、命の恩人である中務卿なかつかさきょうが、瀕死の重傷との知らせを聞いた時、内親王を腕の中に抱きしめたまま、確かに薄く笑っていた。


 観音菩薩の化身とまで言われていた、表向きは誰よりも慈悲深く優しい女は、酷く醜い笑顔を浮かべていた。あの女は、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやと同じように自分の産んだ、いまの帝である東宮や、その弟宮であったいまは亡き元東宮よりも、ひい出たところのある中務卿なかつかさきょうを、裏ではひどく貶めていたので、これ幸いと思ったに違いない。そしてそれを薄々知っていながら、先帝も東宮や内親王のためにと目を瞑っていた。


 あの時、幼かった別当は思い切ってそんなうわさはおかしいと、姉宮である女御や周囲にも訴えたが、自分の声など取り上げてもらえる訳もなく、三条の大宮の懸命な嘆願の甲斐もなく、元皇子であった中務卿なかつかさきょうの評判は、みるみるうちに地に落ちて、元服すると共に、彼は厄介払いされるように臣下に降りた。


 なにが神聖で、なにが尊き血筋だと思う。あれ以来、自分は尊き血筋や、それにまつわる神話など信じてはいない。周囲は控えめで公正な青年だと評価してくれるが、ただ安穏とした生活のために、職務に就いているだけの情けない存在である。しかし、実のところ、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやよりも、自分自身の方が、余程、憎いくらいだ。鏡を見るたびに反吐へどが出る。


 そんなことがあっても不遇にくじけることなく、何事にも真摯に取り組んできた、中務卿なかつかさきょうが、いまこうして社会的な評判が復活しつつあるのを内心では大いに喜んではいたが、尚侍ないしのかみとの結婚は、御仏の御告げなどではなく、あくまでも中務卿なかつかさきょうの実力と、関白の政治的な思惑がもたらした差配の結果だと思っていた。


 しかし、いまの反応を見ると、彼は尚侍ないしのかみを、とても大切に思っているらしい。昨日、ちらりと見たお顔は、幼き日の三条の大宮に瓜ふたつで、御簾越しではあるが、うたげでの様子から拝察するに、闊達かったつで朗らかな姫君だと感じたが、一体どんな姫君なのだろう? 姫君は、中務卿なかつかさきょうをどう思っているのだろう? 興味がわいた。


「まあとにかく、昨夜なにもなかったのは確かだが、宮中の女房たち、特に兵部卿宮ひょうぶきょうのみやや世間が、なにを“面白おかしく”うわさ話をし出すか、分かったものじゃない。君は大層“うらやまれている”から、一応、先に伝えにきたという訳だ。わたしの立場的に内裏での面倒事も、やめて欲しいからね」


 様々な思いを胸に秘めている別当は、そんな風に冗談めかしながらも、真剣な眼差しで、彼に忠告をした。そして尚侍ないしのかみからの差し入れらしき、菓子が入った箱を物欲しげに見つめ、気がついた中務卿なかつかさきょうが、無造作に箱を前に出してやると、彼は嬉しそうに受け取る。(左大臣家の評判の高く、珍しい菓子は、貴族の間でも垂涎の的であった。)


「昔のように帝と兵部卿宮ひょうぶきょうのみやを、まとめて後宮の池に落としたい気分だな」


 中務卿なかつかさきょうわらしの頃、船の上で集まって童舞わらわまいを踊っている時に、偶然を装ってふたりを池に落としたことがあった。


「絶対にやめてくれ、あの時、わたしも落ちそうになったんだぞ? 忠告はしたし協力もするが、いまは、お互い立場がある」


 船上の舞は定員が四人だったので、別当も頭数に同乗していたのだ。しかし彼は顔をしかめて、そう言ってから、くっと色っぽい笑みを浮かべて、ひと言をつけ加える。


「“面倒事は裏でやってくれ”」


 彼はそう言うと、ひとつ取り出した“おからクッキーもどき”をポリポリ齧りながら、大事そうに箱を抱えて清涼殿に近い、自分の曹司に帰って行ゆく。


 そろそろ、帝が起き出す時間であった。別当は、あの日から止まっていた、自分の時間まで、動き出す気がしていた。


 *


『平安小話/お使いの途中で、陰陽寮の横を通った紫苑』


“弐”「大人っぽくなったね――」


紫「そうですか? えへへ」


“弐”「なにか、字名とかも考えないとね、紫の君とか!」


紫「///」


“六”「歯ぎしりの君……」


紫「ひどい!!」その辺にあった、碁石の入れ物を見つけて、碁石を投げてる。


“六”「ピッタリなのに……いててっ!」


“弐”「本当のことを言ってやるなよ!!」



“参”「わたしの碁石が!!」帰ってきたら、白黒、入り混じって、部屋中にブチまけられていたのでした。

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