第134話 追走曲 1

 朝になり、目が覚めた帝は、西廂にしびさしにある朝餉間あさがれいのまで朝餉を取りながら、尚侍ないしのかみのことを、側仕えの女房にたずねた。


尚侍ないしのかみは、帝がおっしゃった通り、官印を受け取られて、すぐに帰られました」


 女房は不思議そうな顔でそう答える。


「そうか……」


 帝はまさか『三角締め』で、尚侍ないしのかみに気絶させられたなんて、思いつきもしないので、酒を飲み過ぎたと思いながら、美味くもない白米の粥を口にする。


「いずれまた機会もございましょう」


 側に控えていた蔵人所くろうどどころの別当は、内心では軽蔑していたが、さも帝に気をつかった表情で声をかけた。


「なんの話だ? わたくしは尚侍ないしのかみを、自分の内親王と同様に、愛おしい存在だと思っているだけで、よこしまな気持ちは、まったく持っていない」

「……それは失礼をいたしました」


 そうは言ったが、もちろん帝の気持ちは複雑だった。元はと言えば昨夜の行動は、酔った勢いでの中務卿なかつかさきょうへの、ちょっとした嫌がらせで、手を出すつもりはなかった。


 だが、あの時の幼くも美しい尚侍ないしのかみの、あの、眼差しにとらわれたとたん、我慢することなどできなかった。


『これはどうしたことだろうか……』


 同腹の妹宮である「わたくしの女三宮」と“瓜ふたつ”の姫君に、懸想けそうしたという、そんなうわさが立つだけでも聞こえが悪い。


 桐壷更衣きりつぼのこういへの愛は確かに本物なのに。そう思いながら、帝は別当の視線にも気がつかず、恋わずらいのようなため息をついていた。(葵の君がそのことを知れば、「ため息をつきたいのはこっちや!」と、大いに主張したに違いなかった。)


尚侍ないしのかみさわりがあるといけない。この話を広げぬように手配りせよ」

「できる限り……それで、本日のご予定は、いかがなさいますか?」

「気分がすぐれぬゆえ今日は休養していることとする。典薬頭てんやくのかみ刈安守かりやすのかみ)と桐壷更衣きりつぼのこういを呼んでくれ」


 なぜか節々も痛む。帝は心配する周囲の女房をよそに、夜御殿よるのおましに再び戻り、単衣姿ひとえすがたでくつろいで、やってきた桐壷更衣きりつぼのこういの膝に頭を乗せたまま、「うたげでの疲労でございましょう」そんな典薬頭てんやくのかみの簡単な診断を受け、二日酔いに効く薬を処方されると恒例のことではあるが、夜御殿よるのおましに一日中、閉じこもって、彼女への自分の愛を再確認するように、ひんやりした柔らかな体とたわむれながら、愛をささやいていた。

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