第112話 執着
紫苑と出会った翌日の夜、早くも左大臣家の姫君の騒動を耳にした
「可愛らしい女房殿のあの慌てよう、本当は怪我のひとつもなかったのだろうね」
けれど左大臣家の姫君は、女房殿と関白が見た御仏の御告げによって、当然と思われていた后妃の
「おもしろい……」
「人格はともかく、破戒僧の腕前だけは確かだな」
自分のことを棚に上げた彼は、
彼によって命を奪われた幼い
大切に取り置いている一冊の本を手に取る。
それは未だ存在すら伝わらぬ、ヨーロッパでも極少数の者だけが知る『ラテン語』で書かれた、イスラム圏から伝わった“外科手術”の元ともいえる、医学を書き示した『元祖解体新書』で、なんの因果か星の導きか、彼が遣唐使から偶然手に入れた、この時代における『奇書』であった。
もちろんイスラムもヨーロッパも存在すら知らぬ、極東の国で暮らす彼に、内容はまったく分からぬ本であったが、描かれている挿絵は、彼が見た“実物の人体”と変わらぬものであり、そこから想像するに、これは医学の神がもたらした“宝の山”だとアタリはつけていたが、残念ながら一言も読み解けず、殺生事を極端に嫌う世の中ゆえ、大々的に取り上げる訳にもゆかず、打つ手はなかった。
しかし、コレを読みとく手がかりを、手に入れたかもしれない彼は、嬉し気な笑みを浮かべ、本の表紙に頬を当てる。
手がかりは左大臣家の姫君。
思い出しているのは、今朝、畑に
「左大臣家の姫君は、語学にも秀でていらっしゃると言ううわさは本当でしょうか?」
熱心に
「あれは、秀でると言った言葉では表せない。まるで……」
「まるで?」
「すべての言葉を会得して生まれた気がする」
「それはそれは、陰陽師殿がそうおっしゃるのであれば、確かなことにございましょうね」
「ただのうわさだ……」
「そうですか……」
“四”は、肩をすくめて、そう言い置くと、
だが、なんの黒い影もなく、平凡な魂の輝きしか持たぬ彼が、実は
そんな“四”の言葉と昨日の出来事に、左大臣家の姫君に対する興味が本格的に
先日、とある官僧が、貴重なサンスクリット語で書かれた経典を、左大臣家に持ち込んで、姫君の精進潔斎をやぶるおこないが、いかに人としての道を外れているか、経典を指し示して説教を始めたところ「指摘の部分は話が全然違いますよ?」と姫君に言われ、大いに赤っ恥をかいた上に、出入禁止を言い渡されて、すごすごと自分の寺に帰った話である。
姫君に漢文の講義に行った博士たちが、「非凡なること、並ぶ者なしと言われる、関白の血を色濃く受け継ぐ、姫君の“異次元”とも言える語学の才には、ただただ押し黙るしかなかった」との逸話。
姫君本人への興味に加え、自分が頬を当てている『奇書』を読み解ける可能性を、姫君に見いだした彼は、いままで妹君以外に抱いたことのない、強い執着心を左大臣家の姫君に抱く。
それほどの才であれば、すぐに読み解けぬとしても、なにか手掛かりを見つけてくれるかもしれない。
「実におもしろい、姫君の頭の中身を見てみたいね……」
「でも、本当に頭の中身をのぞいてしまうと、この本の中身が迷宮入り、生け捕りの方法を考えないといけないね……」
姫君を生け捕りにしたあかつきには、閉じ込めておく
はじめて妹君以外に執着する相手ができた
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