第76話 裳着と宴 7
「最近は気晴らしに、自分で曲を考えているのですが、難しいです……」
葵の君は音を調節するために、弦を抑える左手と
本当は背負った刀の抜刀術とか、実用的なことを習得したかったけど、
この
心中は穏やかでないながらも、耳を傾けていた
彼女は思い切って、
自分で言うのもなんだけど、いまならひとりカラオケしても、むしろしてみたいと思うくらい、綺麗な声だと思う。母君にもいつも褒められているの! 葵の君って、つくづくなんでもできる子だと感動!
Is this the real life?
「美しい、聞いたことがない音色だ……」
「中々、進みません……」
「とても美しい。楽才のないわたくしも、なにか夢を見ているように、感動を覚えます」
「そうおっしゃって頂けると、勇気が出ます」
おしとやかに答えてみた。
感動は当然で、実はいま弾いているのは、彼女が前世、気分転換に流していた『作業用音楽シリーズ』で、よく耳にしていたピアノの曲を少しずつ思い出しては、ずっと試し
ちなみにそれが可能だったのは、
姫君が左手で調節をするついでに、“
“
葵の君は“
「なにかご希望はございますか? わたくしに
「いや、その、わたくしは楽才がなく、あまり詳しい曲は……ああ、先ほど姫君が、
『変なの、稽古だったら同期の男子に両腕を掴まれても、なんにも思わないのに!』
「えっと、先ほどの続き……」
『どうしよう、心臓がドキドキし過ぎて爆発しそう!』
耳の側で、音階を口ずさむ彼の低い声が聞こえてきて、ますます顔が赤くなったのを自覚する。
もう一度、頭から
『気絶しそうなくらいカッコイイ!』
彼女がそんなことを思いながら、この間のお礼もきちんと……と、思っていたのに、興奮しすぎたのか、目の前の彼の周囲には、いつの間にか星が飛び、赤と黒の点滅の中に彼の顔は、段々と消えてゆく。
『なんだろうこの感覚、夏合宿で頑張り過ぎて、救急車に乗せられた時と似ている……』
一方の
なぜなら
そして姫君は、自分に向かって大輪の花のような笑みを浮かべ、やがて可愛らしい小さな声で笑い出した。
「……です」
「えっ?」
突然の出来事にうろたえていると、姫君の手は自分の頬に伸びて、柔らかな手の感覚を感じた。紅を引いた小さな唇が、なにか言葉を耳元でささやくと同時に、そのままゆっくりと姫君は、自分に向かって倒れ込んできた。腕の中で目を閉じたままの姫君に彼は確信する。
『完全に酔っ払っている……』
「姫君! 葵の君!」
腕の中の姫君は、瞼を閉じてなんの反応もない。差し込む月明かりが、長い睫毛の影を作り出す。
これが部下であったなら、さっさと庭の池にでも捨ててくればよいが、呑んだこともない酒を呑んでしまった姫君を、まさか捨てる訳にはゆかない。
いや、そもそも、儀式で
「関白に申し上げます!」
少し離れた御簾の向こうの関白に声をかけるが、集中しきっているらしき彼からの返事はなく、なんなら邪魔をするなとばかりに、奥の屏風の向こうに姿は消えた。
女房を呼ぼうとも思ったが、可愛らしい声で笑っている姫君からは、見たこともないくらい、くっきりと、同じように嬉しそうな表情の『
『前に見た時より、髪が長くなっているような……』
ひょっとして、さっきの
月明かりが庭の夜桜を照らし出していた。
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