第74話 裳着と宴 5

 関白は、しばしひとりで考えごとをしたいと思い、姫君に中務卿なかつかさきょうにいただいたことの音色を聞かせるように優しく言うと、御簾の向こうに、ふたりを移動させ、脇息に両腕で寄りかかって目をつむり、深く考え込む。


 姫君と過ごすうちに、彼には大きく膨らみ続けている強い思いがあったが、ひとまず『姫君の夢』が現実となった場合を考える。


 未だ当主たる彼にとって『摂関家』と、そのしろである国家は大切な存在であり、姫君の『夢』を通して、己の頭に浮かんだ未来予測は、耐えがたいものであった。


 もし姫君の見た『夢見』が実現すれば、(恐らく誤差はあれども、近い形で実現するはずの運命であろうが)葵の君が残された、自分にとっては曾孫となるべき男君が、姫君ほどの逸材であって、摂関家を継いだとしても、それでは遅すぎるのだ。


 すでに支えるべき『根幹』である国家(律令制度/中央集権国家)の中心である、帝自身と国体が、急速に傾きつつある。


 葵の君が考えたのと同じように、関白もいまの国の情勢に押し寄せる、地鳴りのように不気味な物を感じていた。


 それは本来の人生は、すでに終えていたはずの彼が、感じることのないはずであった、かなり早まった時代のうねりであった。


 彼は尊大な上に、自己肯定感の強過ぎる人物であったが、まつりごとに対しては、『超』のつく現実主義者であり、際立った才の見える第二皇子に懸念ありとして、第一皇子を東宮に立てて、姫君を入内させれば済むという、簡単な話ではないことも分かっている。


 温和ながらも、あの年で事なかれ主義なところのある第一皇子が帝となれば、たとえ葵の君が中宮となり、東宮を産んだとしても、外戚である右大臣と、母である弘徽殿女御こきでんのにょうごから、姫君を守り抜くことは望めぬ。


 右大臣には調整能力はあるが、物事を根本的に解決する力はなきに等しく、弘徽殿女御こきでんのにょうごは、国家に対する忠誠心はあれども、あまりにも世間を知らぬ。


 葵の君が生んだ東宮が成人し、無事に帝となったとて、自分の産んだ帝を背景に、姫君が手腕を振るえる頃には、ただでさえ危うい状況の国家は、もはや手遅れなこと想像にかたくなく、夢のままにことが進んでも、進まなくても、立て直すどころか、国家倒壊の危機である。


 尊き身分の后妃の子が、先々の帝になるというのも気になった。姫君が“尊き身分”というのであれば、后妃は臣下の出ではなく、どこかの親王につながる身分であろうと推察する。


 で、あれば帝を中心とした、親王たちや右大臣家が手を結び、摂関家を凌駕する可能性すらも見える。


 国家の形成に彼らは必要ではあるが、“摂関家”にとって己を超える存在は、容認できるものではない。いっそのこと第一皇子を東宮に立てたあと、帝もろともに廃して、親王を新たな帝に立てるという手もあるが、どれもこれも役不足。


 関白にとって葵の君は、愛おしい孫娘というだけでなく、混迷を深めるまつりごとに対する懐刀ふところがたなであった。


 怨霊事件が発端ではあったが、摂関家の体裁というレベルではなく、いつの間にか彼は胸奥きょうおうで姫君に『稀覯きこうを越えた摂関家を統べる尚侍ないしのかみ』になって欲しいという野望すら抱いている。


 朝廷だけでなく、摂関家に連なる門閥貴族を差配すらする摂関家の当主、関白である自分と同様の存在。


 女君である葵の君がそうなるには、どうしたらよいか、さすがの彼にも想像がつかず、ひとまず入内は棚上げにして、姫君を名実共に実務的な『尚侍ないしのかみ』としての実績を、積み上げさせたかったのだ。


 そこにきて、この『夢見』の話である。悩みは深まるばかり。自分の息子である左大臣は、人柄はよくとも、ひとりの政治家としては、凡庸な存在であるのも頭が痛い。


 昼間の桜のうたげで見た、第二皇子のなにか影を含んでいるような言葉にすら反応できぬ。


 帝に対しても、それとなく釘は刺そうとは思うが、自分が近いうちに身罷れば、アレは唯々諾々と、帝の希望を呑んでしまうのが目に浮かぶ。


 葵の君に救われ、そこらあたりの長寿の者よりも、遥かに十年は長く生きている身であれば、いたしかたのないこととはいえ、姫君の『夢』の話のまま、時が流れるのであれば、最早それを知ったいま、己自身が怨霊となり果て、内裏に取り憑いてでも、政治を動かした方が、遥かにマシである。


 なにか雑音が耳に入る。集中したい彼は顔をしかめて、屏風の裏に入った。


 *


『多分本編とは関係の無い小話/左大臣家の兄と妹編』


 勢力を拡大したい関白に、右大臣家を乗っ取るくらいの気構えで、生きろと小さい頃から言われていた蔵人少将。最近実家にいなかったが、葵の君の裳着で帰ってきた。


兄「一応、摂関家の正式な嫡男なのに、御祖父君、色々と扱いが酷い……」


葵「それで最近、帰ってこなかったんですか?」


 最近、関白が左大臣家にしょっちゅう出入りしている。


兄「いや、母君が怖かったから。あと、四の君(奥さん)の手伝いをしてた」


葵「???」


 *


四「終わらなくて! もう明後日なのは、分かっているんですけれど!」


 裳着に着てゆく、十二単姿のコーデに悩み過ぎて、部屋で泣いていた。


兄「なにを着ていても、貴女の美しさは変わらないのだからと言いながら、山盛りの衣装をかき分けていた」


葵「仲がよろしくてよかっ……!」


 昨日手ごたえがあったと思われる姫君に、兄が歌を送っている。


兄「いい顔しといて、歌を送らないのは失礼だから。あと、御祖父君、葵の君には、五、六人、子供を産んでもらう計画みたいだよ」キッパリ。


葵「~~~~」


 右大臣家の柱にでも、くくりつけてもらった方がよいのだろうかと、思っているのでした。


 あとで子供の数とか、願えばかなう世界なのかと、ふと不安になっている。


葵「う~ん、大丈夫だと思うんだけど、呪いとか、怨霊とか『アリ』の世界だし……」


母君に聞いている。


母「まあまあ、兄君がそんなことを、もちろん神仏に願えば……」


 まだ、十歳なので、ふんわりぼやかしてる。


葵「!!!!(やっぱり!)」中身が二十歳なので、なんか陰陽師とか、そんなのに頼んでるのかと誤解しているのでした。


 *


葵「わたし、まだ結婚願望とか、子供とか、考えていませんから!」

六「???」

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