第73話 裳着と宴 4

「……わたくしが見た恐ろしい“夢見”の話を、いまここで申し上げても、よいでしょうか?」

「そなたの“夢”の話を?」

「国家と摂関家、そして、わたくしのゆく末に関する話でございます……」

「…………」


 実務的な話をしている中、そんなことを唐突に言いだした姫君に、隣に座っていた関白は、少し怪訝な顔をしたが『薬師如来の具現』とすら言われる賢い孫娘が話の流れをさえぎり、あえて持ち出すからには重要なことであろうと思い、人払いは済ませてはあるが、少し離れた向かいの畳で、首を傾げている中務卿なかつかさきょうを、もっとそばへと手招きする。


 やがて姫君が小さく透き通る声で、話しだしたのは、他の者が口にすれば、国家に対する讒言ざんげんと、とらえられかねられぬほどに恐ろしく、しかしまたまつりごとの中心にいる二人には、真にせまった話であった。


 姫君が口にした“夢”の話は、関白が引退した近い将来、父親である左大臣が姫君を臣下にくだった第二皇子に嫁がせるが、あろうことか姫君をめとったあとに、第二皇子は父親である、今上きんじょう(現在の帝)が未来に迎える尊き身分の后妃のひとりと不義の子をもうけ、生まれた皇子は今上きんじょうの皇子として育ち、いずれは帝位に就くという、そら恐ろしい話であった。


「姫君は、葵の君は、どうなられました?」


“夢”の話とはいえ、真に迫った話に、姫君の身が心配になった中務卿なかつかさきょうは恐る々々たずねる。


「元皇子の子を産み落とした時に……めかけのひとりの生霊によって、絶命をいたしました……」


 関白は思わずしゃくを取り落とした。


 大切な姫君が“夢”とはいえ、そのような目に会うのは耐えがたかった。が、続きがどうにも気になって、たずねずにはいられない。


「御子は姫君であったか?」


『摂関家』にとって『姫君』は国家に穿うがつ“扇のかなめ”と言える大切な存在である。

 

 だが姫君は首を振る。


「男君がひとり……父君と母君が寂しく育てていらっしゃいました」


 ここで葵の君は、あえて男君の名前も、ゆく末も語らなかった。彼の将来は問題が山積とはいえ、葵の上の血を引き、ちゃんと大臣の位に就いたはずだが、(父親の光源氏のキャラが立ち過ぎて、正直なところ、正確には覚えてない。)


 しかし、それを言ってしまえば、中務卿なかつかさきょうはともかく、摂関家の幸せと、わたしの幸せはリンクしなくなる可能性があり、ひょっとしたら御祖父君に、摂関家的には『まあよし』と判断される危険性があったからだ。


 いやホントうろ覚えだから、間違ってたらいけないし! 嘘はついていない。いまだってかなり話が変わってきてるから、あまり具体的には言わない方がいいよね!


 葵の君は憂いをおびた顔で、悲劇的な夢の話を語り、心の中で多少やましいところがありながら、自分のおこないを、自分に納得させていた。


 伏せられた長い睫毛のおかげで、彼女の瞳に映った少しうしろめたさのある表情は、幸いなことふたりには分からなかった。


 実のところ、言ってしまったところで、目の前の葵の君が、未来の見たこともないひ孫よりも可愛い上に、いまの政治的な現状を詳細に見ている関白の考えは、政治的な意味合いでも立場は変わることはなかったのだが、あの勉強地獄を味わった葵の君は、関白が家と自分のどちらを選ぶか、判断がつかなかったのだ。


「なんと……」


 関白と中務卿なかつかさきょうは息を飲んだ。


 姫君が続けておっしゃるには、それでも左大臣は、その存在の美しさゆえに、第二皇子を大切にし、いずれ彼は不義によって生まれた、彼を父親だと密かに察した未来の帝によって、第二皇子は臣下の地位から再び皇籍に戻るという。


「なにか、なにかそれが現実につながるという確証は、ございませんでしたか?」

「なんでもよい、なにか他に思い出せぬか?」


 ふたりは夢見など気の迷いと割り切る、日頃の現実主義も忘れ、われ先にと葵の君にたずねる。姫君は眉を寄せて考え込んで、まぶたを閉じていらっしゃった。


 関白も中務卿なかつかさきょうも、葵の君の“夢見”とあらば、おろそかにできる物ではないとは思ったが、ことがことだけに、なにか確証が欲しかった。


 できるなら出仕を前にした、姫君の不安が生みだした悪夢であって欲しい。


 関白は葵の君の肩を抱き、中務卿なかつかさきょうも思わず姫君の小さな両手を、自分の手で握りしめる。やがてなにかを思い出した様子の姫君は、まぶたをうっすらと開け、再び言葉を紡ぐ。


「帝は東宮決定の前に、第二皇子を、ふたりの“人相見”に見せていらっしゃいました。ひとりは異国の人相見、彼らが口をそろえて言うには、“第二皇子は帝となる人相なれど、皇子が帝となれば、世は乱れ、民草は苦しみにあえぐ”と……」


 関白と中務卿なかつかさきょうは黙って顔を見合わせる。先だっての人相見の見立ては、その通りであり、それが気に入らないと、帝が高麗人こまうどからきている人相見にも、第二皇子を見させるようにと、ついこの間、話を持ちだしていたところであったから。もちろん姫君が知るはずもない。


「……あい分かった。この“夢”の話は悪いようにはせぬゆえに、決して他では持ちださぬように」


 関白は姫君に優しくそう言うと、女房を呼び“螺鈿らでんの君”を御簾の向こうに持ってこさせ、また人払いをする。次の高麗人こまうどの人相見の判断にもよるが、それでも、なんらかの手を先に打つ方がよいと、彼は判断した。


 三者三様の心中であったが、共通していた思いはひとつ。


『何処カデ何カガ循環シテイル』

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