第69話 春の訪れ 4

 桐壺更衣きりつぼのこういからは、帝から頂いたという絵巻物が送られていた。


「これは……」


 桐壺更衣きりつぼのこういの使者から、それを受け取った時、三条の大宮は小さくも驚いた声を、御簾内で発していた。


 隣に並んでいた葵の君は、不思議そうな顔で母君の顔を見上げ、関白と左大臣も同じく大宮を見ている。そして、御簾みす越しにも分かる、凍りついてゆく空気に使者は固まっていた。


「どうかなさいましたか?」


 葵の君は、これ多分、竹取物語だと思いながら、母君の前に広げられた巻物を見て首を傾げる。


 どうしたんだろう? 別に成人指定な物語でもない、綺麗な絵巻物なのに?


 いや、成人の祝いに、春画とか送られても困るけどさ。芸術なんだろうけど、凄い版画の技術だけど、アレはわたし的には、いまひとつよく分からない。まあ、他の芸術が分かるのかと言われれば、もちろん分かってないけど。


「いえ、失礼いたしました。くれぐれもよしなに、桐壺更衣きりつぼのこういと“帝”にお伝え下さい」


 弘徽殿女御こきでんのにょうごであれば、すぐさま檜扇を投げつけたであろうが、本物の“お姫様育ち”の母君は、実に上品に言葉をつなぎ、女房に伝えさせると、非の打ちどころのない、礼儀をわきまえた『内親王スマイル(葵の君が心の中で命名)』を、御簾みす越しに浮かべると、失礼のないように、使者を歓待させるように告げ、その場はお開きとなった。


 実はこの絵巻物は、先帝の更に先、いまは亡き先々帝が孫にあたる『女三宮/現在の三条の大宮』が生まれた時に、祝いとして用意させた、ふたつとない絵巻物で、あまりの素晴らしさに降嫁する時も、宮中から持ち出すことを辞退した品であった。


 もしこれから先、中務卿なかつかさきょうのように、不遇な内親王にもなれぬ、皇女が降嫁することがあれば、持たせてあげて欲しいと、兄である帝に頼んでもいた。


「すっかりお忘れになって、桐壺更衣きりつぼのこういの物になっていたのね……。いいわ、喜んで頂きなさい。もとはといえば、わたくしの物ですけれど」

「はい……」


 こわっ! めちゃめちゃ怖いっ! 母君の美しい顔が、凍りついている……。美人が怒ると大迫力だ!


 元カノのプレゼントの時計を、気にせず身につけていた花音かのんちゃんの彼氏が、ぶっ飛ばされた話を、葵の君は思い出していた。


 そうして周囲を凍りつかせたまま、母君は優雅に衣の裾を捌き、姿を消す。


 葵の君は母君に押しつけられた絵物語を抱えて、その場に固まっていたし、あとの二人は使者を見送るといって、そそくさとその場をあとにした。


 それまで穏やかだった左大臣家の空気は、一瞬にして凍りつき、恐れをなした兄君は、珍しく妻である四の君のところに、妹君の裳着もぎの日まで、泊まり込みを決めていた。


『あれは怖かったよね……』


 葵の君は裳着(成人式)の当日の早朝、そんなことを振り返りながら、ハト麦茶で顔を洗い、身支度を始めていた。


 娘のせっかくの成人式だと、気を取り直してくれてよかった。


 それに今日は久々に中務卿なかつかさきょうと会えるのと、出仕に対しての対策を延々と考えて、中々眠れなくて、気がついたら明け方近かった。眠い。


 短眠者ショートスリーパーでよかったと、葵の君は思いつつ、気合の入った女房たちに、身支度を整えられてゆく。


 お待ちかねの中務卿なかつかさきょう服装規定ドレスコードの最上位、束帯そくたいで凛々しく現れた頃には、あとは儀式で『裳』をつけるだけ、満開の桜も恥じ入るような、少し大人びた美しい唐衣姿からぎぬすがた(十二単)の葵の君の姿が東の対にあった。


「桜が綺麗……」


 庭に咲く桜は八分咲き。風にあおられて、舞い込んできた桜の花弁はなびらが、葵の君を包み込み、姫君を一瞬包み込んでから、空へ舞い上がってゆく。



*



『本編とは恐らく関係ない小話/龍涎香りゅうぜんこうとキノコと陰陽師たち2』


弐「凄い! シメジが沢山!(高級品)」

伍「昨日、左大臣家の台盤所(調理場)の外の籠に、捨ててあったのを、拾ってきたんですよ。形が悪いからって、勿体ないですよね――」

壱「待て! みんな、箸をつけるな!」

参「……これ、しめじによく似た、毒キノコですよ」山奥の出身。

弐「危なっ! この馬鹿!」お玉で頭を小突いている。

六「そろそろ出勤の時間ですよ……」今夜は全員で、左大臣家に出勤なので、迎えにきた。


*


『とある日の左大臣家』


兄「しめじ、毒キノコ、毒キノコ、シイタケ、あわび茸、毒キノコ……」狩りに行って、持ち帰った、カゴの中身を、ピタリと言い当てている。

葵「全部同じに見えます! 兄君、凄いですね!」


 蔵人少将くろうどのしょうしょうは物心がついた頃から、領地のシイタケ山? で、趣味と実益? を兼ねたキノコ狩りをしているのでした。


兄「動物と違って、キノコは襲いかかってこないからね」しみじみ。

葵「キノコ狩りなら、弓は要らないんじゃないですか?」


 兄が手にしている弓と、背負っている矢筒に、見栄えにこだわる男だなと思っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る